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民俗学断簡 翻訳され続けるカレー





インドに「カレー」というものは存在しない

インドにカレーはない、というのは一部界隈では有名な話です。

私たちが「カレー」と呼んでいるものを、インドの人々はそう呼びません。

クミン、コリアンダー、ターメリック、カルダモン──これらのスパイスには一つひとつ名前があり、それぞれに意味があります。

それを組み合わせた料理には、それぞれの名前があります。

「カレー」の語源で有力な説の一つは、南インドのタミル語で「ソース」や「汁」を意味する「カリ(kari)」が元になったというものです。

それを耳にしたイギリス人が「カレー」と聞き取り、スパイスの効いたインド料理全体を指す言葉として使い始めた、という経緯です。

「カレー」とはインドの側から発信された概念ではなく、外から貼られたラベルです。


多彩なるインド料理

とまあ、ここまでは知っている方は知っていることですから、もう一歩踏み込んでみます。カリ以外の料理名について。

焼き物なら、タンドール窯で焼いたものは「タンドゥーリー(Tandoori)」


食材を一口大にし、マリネして焼いたものは「ティッカ(Tikka)」


煮込みは「コルマ(Korma)」がクリームとナッツで煮たもの、聞き慣れていらっしゃるであろう「キーマ(Keema)」は「細かく刻む」に由来するひき肉料理。


サブジ(Sabji)は香辛料で味付けした野菜料理全般。


揚げ物は「パコラ(Pakora)」。衣揚げの総称です。


一まとめに「カレー」と呼ぶのは、インド料理の多様性を根こそぎ消してしまう単純化です。


スパイスとは「調味料」ではなく「医薬」である

インド料理の根底にあるのは、アーユルヴェーダという古代の生命科学です。

紀元前から体系化されてきたこの思想は、食べ物と薬を明確に区別しません。

ターメリックには抗炎症作用があり、クミンは消化を助け、カルダモンは体を温めます。

スパイスを組み合わせるという行為は、その日の気候、食べる人の体調、使う食材の性質を見極めながら、「今ここで必要なものを体に届ける」という医療的行為でもあったのです。

だから、インドにおいてスパイスの配合は標準化されません。一つの家庭の中でさえ、母と娘では同じ料理の味が違います。

体が疲れていれば生姜を増やし、胃腸の具合が悪ければフェヌグリークを加えます。

レシピを「固定化する」発想そのものが、インドの料理哲学とは相容れないのです。


多様性の地図

インドは文化の大陸です。北部と南部では宗教も言語も主食も異なり、当然、料理も全く異なります。

北インドでは乳製品”ギー”(澄ましバター)やヨーグルト──がベースになることが多く、タンドール窯で焼いたナンとともに濃厚なグレービー料理が食卓に並びます。

バターチキンやパラクパニールがその代表格です。


一方、南インドでは椰子油やタマリンドを使った酸味のある料理が主流で、サラサラとしたラッサムをサンバルとともに白米(インディカ米)にかけて食べます。

同じ「スパイス料理」と言っても、その姿はほとんど別の料理といっていいでしょう。

沿岸部ではマスタードシードとカレーリーフを使ったシーフード料理が発達し、内陸のラジャスタンでは水が貴重なため保存食的な乾燥料理が多くあります。

ケララ・ミーン・モーリー(Kerala Meen Molee)
ココナッツとスパイスをつかった魚の煮込み
ダール・バティ・チュルマ(Dal Bati Churma)
ダール(豆の煮込み全般を指す)・バティ(硬焼きパン)・チュルマ(甘い小麦粉菓子)


菜食主義が広く根付いているため豆料理(ダール)の種類は無数にあり、場所によってはチャパティ、ドーサ、イドゥリと、パンの形もまるで違います。

サンバー(Sambar)とイドゥリ(Idli)
サンバーは豆のスパイススープ イドゥリは蒸しパン


この多様性の中に「カレー」という単一の概念を当てはめようとすること自体、難しいものがあります。


欧州での解釈

18世紀、東インド会社によってインドの文化がイギリスへと渡り始めた時代。

イギリス人たちはインドの食卓で、これまで経験したことのない複雑な香りと味に出会いました。

彼らはその料理を理解しきれないまま、「カレー」という一つの言葉に押し込んで持ち帰りました。

当時の欧州が考えるインドの範囲はあまりに広範囲


ロンドンの上流階級の食卓に「インド風の料理」が登場し始め、エキゾチックな味として珍重されるようになります。

しかし問題がありました。

インド料理を本当に再現しようとすれば十数種類のスパイスを揃え、食材や体調に合わせてその都度配合を変える必要があります。

それはイギリス文化とは、あまりにもかけ離れていました。

イギリス人が求めたのは「あの味」を手軽に、いつでも再現できる方法でした。


世界初のカレー粉、誕生

18世紀後半から19世紀初頭にかけて、ロンドンの食料品商たちが「カレー粉(curry powder)」を商品として売り出し始めます。

これは画期的な発明でした。インドでは決して固定されることのなかったスパイスの配合を、あらかじめ調合して粉末にしてしまったのです。

ターメリック、クミン、コリアンダー、レッドペパーなどを一定の比率で混ぜ、缶に詰めて売る。それを使えば、誰が作っても「カレー味」になる。

インドの料理哲学からは外れます。しかしイギリスはそれを切り捨てることで、カレーを世界に流通させる商品へと変えました。

インドから持ち帰られた「カレー」は、まずはカレー粉という形で生まれ変わりました。


フランス料理との出会い

カレー粉の登場と前後して、もう一つの重要な変容が起きます。

当時のイギリス上流階級の料理は、フランス料理の強い影響下にありました。

フランス料理のソース技術の核心は「ルー」。


バターと小麦粉を炒め合わせたもので、これを加えることでソースに豊かなコクととろみが生まれます。

イギリスの料理人たちは、カレー粉で作ったスパイスソースにこのルーの技法を組み合わせました。

さらに肉の出汁を加え、玉ねぎをじっくり炒めて甘みを引き出したものと合わせる。

こうして生まれたのが、インド料理とは似て非なる「欧風カレー」です。

サラサラとしたインドの汁料理は、ここでどっしりとしたシチュー状の料理へと姿を変えました。

普通に炊いた米は好みではなかったようで、パラパラに仕上げていたとか
現代では日本米のような米も受け入れられています


「カレー」が帝国とともに広がる しかし…

欧風カレーはイギリス国内に定着するだけでなく、大英帝国の拡大とともに世界各地へと運ばれていきます。

インド、東アフリカ、カリブ海、東南アジア。

イギリスと関係が深い地域には、この「イギリス化されたカレー」の痕跡が今も残っています。

一方でイギリス本国では、様々な事情で家庭料理としては衰退してしまいました。

近年の日本式カツカレーブームにより、イギリスに里帰りを果たしました
カツがご飯の下にあったり、カツなしのカレーもカツカレーと呼称されたりしていますが、
些細なことです


日本での再解釈

明治初期、カレーは銀座のレストランで供される高級メニューでした。

牛肉、玉ねぎ、小麦粉でとろみをつけた欧風スタイルがそのまま移植され、当時の文明開化の象徴として珍重されます。

当時の料理書にはカレーの具として牛肉、鶏肉、海老、牡蠣、鯛、そしてカエルまでもが書かれていました。

何を入れるべきか、誰も分からなかったのです。辛みが強すぎると感じたのか、牛乳で伸ばすレシピも残っています。

「西洋の料理」というものが、誰もピンと来ていなかった時代だったのでしょう。

グレイビーボートにカレーを入れて提供するスタイルもまた、錯綜の結果生まれたもの


補足 カレーの二大付け合わせについて

・福神漬け
明治18年(1885年)頃、東京・上野の「山田屋」(現・酒悦)店主・野田清右衛門が開発した漬物。

カレーとの組み合わせは明治30年代、日本郵船の船上食堂で添えたのが始まりという説が有力です。(インドの薬味であるチャツネの代用だったとされています)

・らっきょう
ホテルの食堂で、カレーに添えたのが始まりという説が通説です。

当時日本に馴染みのなかった洋風の漬物(ピクルス)の代わりに、身近だったらっきょうの漬物を出したとされています。

発祥には諸説ありますが、上記は最も広く語られているものです。


軍隊での経験がカレーを全国区に

転機は明治末から大正時代にかけて、日本海軍、陸軍ともにカレーを正式なメニューとして採用したことです。

採用の理由は明快でした。栄養バランスが良く大量調理がしやすく、米と合わせて食べられる。

とはいえ、カレーが兵士たちにとってどんな意味を持つかは、どちらの軍に属するかで大きく変わりました。

海軍は「食事も戦力のうち」という考えの元、専属の料理人を育て洋食から和食まで本格的な食事を提供していました。

海兵が実家へ送った手紙や戦後の回想で「あんなに美味いものは人生初」「実家の飯よりいい」と語ったエピソードは無数に残されています。

その充実した食環境は現代の海上自衛隊にも受け継がれ、カレーをはじめとする「護衛艦めし」として今も語り継がれています。

乗艦で差があったようですが、他にもチキンライスやコロッケ、ロールキャベツなどが出たとか


一方の陸軍では大釜で炊いた麦飯や冷めた薄味の煮物が日常で、兵士たちの不満は少なくなかったといいます。

そんな食事環境の中でたまに出るカレーは他と比べて圧倒的に美味く、兵士たちの記憶に深く刻まれました。

どこの国でも食事の質は海軍>陸軍のようです


除隊した元兵士たちが全国の故郷へ帰るとき、カレーの味も一緒に持ち帰りました。

カレーが国民食になったのは、そういう人たちの"忘れられない一杯"が積み重なった結果かもしれません。


日本の米に合わせて工夫

日本に定着していく過程で、カレーは変化しています。

インドの汁料理はサラサラとしており、南インドでは水分の多いラッサムを米にかけて食べます。

欧風カレーはルーでとろみをつけましたが、それでもまだ流動性がありました。

日本のカレーはここからさらに、とろみを強めています。理由は米にあります。

世界で広く食べられているインディカ米(長粒種)はパサパサしており、水分の多いソースを吸いやすい。

一方、日本のジャポニカ米(短粒種)は粘り気があり、サラサラのソースはうまく絡みません。


濃厚なとろみのあるルーでなければ、日本の米と一緒に食べたときに馴染んでない印象になってしまうのです。

「ジャガイモ・玉ねぎ・人参」という定番の具材が定着したのも、この時代です。

明治から大正にかけて、これら「西洋野菜」の国内栽培が北海道を中心に本格化しました。

安く、保存性が良く、煮崩れしにくい。カレーの具材として、これ以上ない条件が揃っていました。

ご家庭で使用する肉については
近畿地方(関西)    牛肉 約64%
北海道・東北・関東(東日本)豚肉 約65〜72%
ハウス食品株式会社「日本全国カレー白書」より


固形ルーが「失敗しない料理」を作った

戦後の昭和、日本のカレーを現在の姿に完成させたのは固形カレールーの登場です。

それまでカレーを作るには、

スパイスを炒め
出汁をとり
小麦粉でとろみを調整

という手順がありました。

固形ルーはこれらの工程をあらかじめ一つのブロックに封じ込めました。

鍋に具材と水を入れて煮て、最後にルーを割り入れるだけ。

カレー粉以上に「誰が作っても同じ味になる」。

二度の翻訳でカレーからアーユルヴェーダの思想は消え去り、完全に標準化されました。

学校給食への導入がさらに普及を後押しし、昭和30〜40年代には日本の家庭料理として完全に定着します。

生煮え、焦げに気を付ければ食べられるものにはなる
私も自炊を始めるにあたり、最初に挑戦したのはカレーでした


カレーの変容を振り返る

インドを出発したスパイス料理はイギリスで「粉」になり「とろみ」を得て、日本で「米に絡む固形ルー」になりました。

それぞれの段階で、前の文化の「本質」は一つずつ削られています。

インドの「医食同源」はイギリスの標準化で消え、イギリスの「フランス料理的手仕事」は日本の固形ルーで消えました。

しかし同時に、新しい「個性」が加わってもいます。

イギリスでは「再現性」を得ましたが、それが完成したのは本国ではなく海を渡った先でした。

日本はその到達点の一つです。カレーの歴史とは、何かを失いながら何かを得ていく翻訳の歴史です。

今日まで様々な翻訳がなされました
これからも新しい翻訳が見られることでしょう




まとめています。


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深水 夜名河(フカミ ヨナガ) 面白いと感じていただけたら、コストのかからないフォローとスキをくださると嬉しいです。 よろしくお願いします。