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最期のとき、望みはありますか?|自分と家族の想いは乖離しているかもしれない|看護師のつぶやき


ピンピン生きて、急に倒れて、そのまま逝く

これが
わたしの理想の最期。

痛みも苦しみもなく
静かに幕を閉じられたら
どれだけ幸せだろうと思っている。

あなたは
自分の「最期の時」を考えたことはありますか?

“考えたところで、どうにかなるものじゃない”

そう思う人も多いかもしれません。



でも――
それ、看護師として反論させてください。



医療現場には
日々さまざまな患者さんが入院してくる。

若い方もいれば高齢の方もいて
余命宣告を受けた人
突然倒れて意識が戻らない人も。

たしかに
「どんな病気になるか」
「どういう最期を迎えるか」
これは自分で選べることではない。

でも
最後の時間をどう過ごしたいか
という希望は
あらかじめ“共有”しておくと
守られる可能性がある。



わたしが
「突然死を希望する」
というのには理由があります。

まず
自分が高齢者になったときの
希望だということ。

子どもが巣立ち
人生をやりきったと思える頃。

自分のことは自分でしながら
できれば“苦しまずに”逝きたい――

そんな風に思っています。


でも
もし子どもがまだ小さいとしたら。

わたしの希望は180度変わると思う。

何がなんでも生きたい。
子どもの成長を見届けたい。

そう強く願うと思う。

同じ人であっても
環境や年齢で「望む最期」は変わる。

中には、こう話す人もいる。

「高齢になったら、余命宣告を受けたい。
最期に人生を振り返って、
やりたいことをやって終わりたい。」

その考えも
とても納得できる。

そう
最期のかたちは人それぞれ。

答えはない。


でも――

自分の想いを「最期のとき」に
自分の口で伝えられるとは限らない。

その時
あなたの代わりに選択を迫られるのは

“家族”

それが今の日本の医療現場のリアル。

だからこそ、考えてほしい。

「あなたの最期」
大切な人に丸投げでいいのでしょうか?
あなたの希望は
伝えなくていいのでしょうか?

今のうちに、少しでいい。

話しておいてほしい。

その想いを知っているだけで
残された人の迷いや後悔が
少しだけでも軽くなる。

現場でたくさん
そういう場面に立ち会ってきて
そう思う。




わたしは循環器の病棟に勤務している。

心臓病の患者さんを多く看てきた。

その中でも
「心不全」はとても多い病。

誰にでも起こりうる病気で
主な原因は“生活習慣”と“加齢”。

だからこそ
あなた自身にも可能性がある話として
少しだけ想像してみてほしい。

心不全で亡くなる方の多くは
“眠れないほどの息苦しさ”
と闘いながら亡くなっていく。

それは
見ているこちらも胸が苦しくなるほど。

あなたなら、どうしますか?

「そんなに苦しいなら、眠らせてほしい」

「人工呼吸器をつけてでも、
できる限り長く生きたい」

「病院じゃなく、自宅で最期を迎えたい」

選び方は自由でいい。

正解なんてない。

でも
希望は伝えておいてほしい。

わたし自身は、
「痛みや苦しみを取ってもらえるなら
それでいい。
食べられなくなったら
それが寿命。
医療で生を引き延ばしてほしいとは思わない」

そんなふうに思っている。

そして、もうひとつ。
この問題は
家族のほうがずっと苦しい選択を迫られる。

本人の意思を知らなければ
「本当にこれでよかったのか」
そんな自問自答することになる。

どんなに寄り添っても
わたしたち医療者が決めることはできない。

最終的に決断するのは
家族――
当事者たちだけ。

だから
わたしは伝えたい。

今ある日常は
“当たり前”ではない。

明日どうなるかなんて
誰にもわからない。

どうか
ほんの少しの時間でいいから
「自分の最期」について考えてみてほしい。

そして
できれば誰かに話してほしい。


それだけで
“その時”に後悔する人が
少しでも減るかもしれない。

そんなふうに思っている。

看護師として
そして1人の人間として――

この想いが
誰かの心に届いたら嬉しい。



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