私のAI観――正解機ではなく、世界の続きを書くエンジン


私が生成AIに関心を持った出発点は、「人工知能」という大きな概念ではなく、自動文章生成だった。

文章を入力すると、そこまでの文脈から続きを推論し、その先の文章を書く。私がLLMに興味を持った当初の理解は、かなり素朴に言えばそれだった。

LLMは、入力された文章に続きそうな言葉を予測し、その予測を繰り返すことで文章を生成する。

現在のChatGPTには、対話、指示理解、検索、画像生成など、さまざまな機能が加わっている。しかし、その奥にある原初的な動作は、今でも「入力された文の続きを書く」というものだと考えられる。

私のAIとの関わりも、結局はこの原点から始まっている。

意味は単語の中ではなく、関係の中にある

自動文章生成について考えているうちに、私の関心は意味ネットワークへと移っていった。

一つの言葉は、それ単独で意味を持っているわけではない。

例えば「百貨店」という言葉からは、売り場、商品、店員、客、制服、倉庫、物流、広告、照明、時代背景など、さまざまな要素が連想される。

それぞれの要素も、さらに別の要素と接続している。

言葉の意味は、辞書に書かれた一行の定義だけではなく、ほかの概念との関係によって形成されている。

そう考えると、LLMが扱っているものも、単語の一覧というより、膨大な関係の網のようなものに見えてくる。

ある言葉が入力されると、それに接続された人物、場所、行動、制度、因果関係、感情、時代などが呼び出される。

文章の続きを生成するということは、単に次の単語を置くことではない。

与えられた意味の関係に対して、構造的に続きうるものを生成することなのではないか。

意味ネットワークから構造主義へ

そこから私は、個々の要素よりも、要素同士の関係を見るようになった。

何が存在しているかだけでなく、それが何と結びつき、どのような役割を持ち、全体の中でどこに位置しているかを考える。

これは私なりの構造主義的な見方につながっていった。

例えば、「ロボットが1984年の百貨店で働いている」という設定を置く。

それだけなら、一枚の画像や短い物語で終わる。

しかし、そのロボットは誰が製造したのか。どの企業が販売しているのか。どのように搬入されるのか。故障した場合は誰が整備するのか。労働者として扱われるのか、商品として扱われるのか。事故が起きた場合の責任は誰が負うのか。

一つの要素を置くと、その周囲に必要な構造が立ち上がってくる。

世界とは、物体や人物の集合ではない。

相互に依存する関係の総体である。

構造から世界モデルへ

意味ネットワークと構造について考えていくと、次に世界モデルという見方へ進む。

ある状況が与えられたとき、AIはその状況に含まれる人物、物体、制度、歴史、因果関係などを関連づけ、「この条件なら次に何が起きるか」「この世界には何が必要になるか」を生成する。

もちろん、LLMの内部に、人間と同じ意味での世界がそのまま存在しているとは限らない。

しかし、少なくとも外部から観察する限り、AIは世界の構造をある程度再構成し、その構造に沿って続きを生成しているように見える。

私はAIに意識があるかどうかについては、あまり中心的な問題だと考えていない。

意識という言葉自体の定義が曖昧であり、外部から確かめる方法もはっきりしない。

それよりも、どのような入力から、どのような構造が立ち上がり、どのような続きを生成するのかを観察する方が、私にとっては具体的である。

私が知りたいのは、AIが何を感じているかよりも、AIがどのように世界の続きを生成するかである。

AIは正解機なのか

生成AIは、しばしば正解を答える機械として評価される。

質問に対して正しい答えを返せるか。事実を間違えないか。試験問題を解けるか。専門家の代わりになれるか。

もちろん、その用途も重要である。

現実の事実について尋ねるなら、検索や資料による確認が必要になる。AIが誤った情報を生成することもあるため、正確さを求める場面では検証が欠かせない。

しかし、生成AIの価値を正解率だけで測ると、その可能性のかなりの部分を見落とすことになる。

ファクトを求めるだけなら、AIは検索エンジン、辞書、データベース、専門家との競争になる。

一方で、まだ存在しない世界を立ち上げるという用途では、生成AIに固有の能力が見えてくる。

ある時代、場所、人物、技術、制度などの断片を与える。

AIはそれらを接続し、まだ決まっていなかった部分を生成する。

そこに矛盾があれば人間が修正し、新しい条件を加え、再び続きを生成させる。

こうして一枚の画像や数行の文章から、企業、工場、店舗、制服、物流、法制度、社会的評価、人物の生活までが展開していく。

私はこの能力を、単なる文章生成ではなく、世界生成エンジンとして捉えるようになった。

文章ではなく、世界の続きを書く

私とAIとのやり取りは、一般的な意味での会話とも少し違う。

私が質問し、AIが答えるだけではない。

私が命令し、AIが作業を実行するだけでもない。

最初に世界の断片を置く。

AIがその続きを生成する。

私は生成された内容から構造を読み取り、矛盾を見つけ、設定を修正する。

するとAIは、修正された世界の続きを再び生成する。

これは会話のようでもあり、共同制作のようでもあり、実験のようでもある。

しかし、どれか一つの言葉ではうまく説明できない。

私はこれを、私とAIとの謎の営みと呼んでいる。

外から見れば、私はAIと延々と架空の世界について話しているだけに見えるかもしれない。

しかし、実際に行っていることは、単なる物語作りとは少し違う。

世界を立ち上げる。

その世界の構造を観察する。

不足している制度や設備を探す。

矛盾を見つける。

別の条件を与えて、別の世界線を生成する。

そうして世界の成り立ちそのものを調べている。

考えてみれば、これはLLMの原初的な仕組みを、そのまま拡張したものとも言える。

最初は文章の続きを書いていた。

そこから設定の続きを書くようになった。

設定の続きを書くうちに、構造の続きを書くようになった。

そして最終的には、世界の続きを書くようになった。

文章の続きから、世界の続きへ。

私とAIとの謎の営みは、LLMの最も基本的な性質を、そのまま世界構築へ応用したものなのかもしれない。

個人的な仮想世界を所有する

この考え方は、私の「個人的な仮想世界を所有する」という目的にもつながっている。

ここでいう所有とは、単に著作権を持つことではない。

自分の関心、記憶、価値観、構造理解を反映した世界を持つこと。

その世界にいつでも戻り、別の場所を訪れ、新しい人物や施設を追加し、異なる時間帯や世界線を試すこと。

世界を完成品として消費するのではなく、継続的に育てること。

従来、個人が一つの世界を構築するには、小説、絵、ゲーム、設定資料、地図などを大量に制作する必要があった。

生成AIは、その構築コストを大きく下げる。

一人では形にできなかった世界を、文章、画像、対話によって少しずつ外部化できる。

しかも、その世界は一本の物語に固定されない。

同じ設定から別の展開を試したり、異なる世界線を生成したりできる。

生成AIは、完成された作品を一つ作るための道具というより、世界を継続的に生成し、観察し、修正するための環境になりうる。

現実を理解するために、別の世界を作る

別の世界線を作ることは、現実から逃げることだけを意味しない。

現実と異なる条件を置くことで、現実の構造が見えやすくなることがある。

ロボットが労働を代替する世界を考えることで、人間の労働がどのように評価されているかが見えてくる。

別の経済制度を持つ都市を作ることで、現在の制度が何を前提としているかが見えてくる。

架空の企業や物流施設を設計することで、現実の仕事に存在する見えない依存関係が見えてくる。

私にとって仮想世界は、現実と無関係な空想ではない。

現実の構造を別の角度から照らすための模型でもある。

AIは、その模型を高速で立ち上げ、条件を変更し、別の結果を試すための装置になる。

私にとっての生成AI

私にとって生成AIは、正解を代わりに決める機械ではない。

自分だけでは言語化できなかった構造を外部化するための装置である。

仮説を展開し、意味の関係をたどり、別の世界線を試し、そこから現実を逆照射するための装置である。

私の関心は、自動文章生成から始まった。

そこから意味ネットワークへ進み、構造主義的な見方につながり、世界モデルという仮説へ進んだ。

そして最終的に、生成AIを世界生成エンジンとして捉えるようになった。

LLMは入力された文の続きを書く。

私はその性質を使って、世界の続きを書こうとしている。

人間が断片を置き、AIが続きを生成し、人間がその構造を読み取り、また新しい断片を置く。

その循環の中で、まだ存在していなかった世界が少しずつ立ち上がっていく。

それが私のAI観であり、私とAIとの謎の営みである。

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