19の私とメゾン・グリーンアップル|第四話【全九話】|20th Anniversary
「少しだけ、おしゃれしてきて。」
健二から届いたメッセージを見て、私は首をかしげた。
「少しだけって、それが一番難しいんだけど。」
今日は十一月一日。
私の二十歳の誕生日だった。
授業が終わると急いで部屋へ戻り、クローゼットの前に立った。
派手すぎない。
でも、いつもより少しだけ大人っぽく。
選んだのは、淡いベージュのワンピース。
髪をポニーテールに結び、リップを塗り直す。
鏡の中には、十九歳だった昨日より少しだけ背伸びをした私がいた。
「かわいいって言ってくれるかな。」
口にしてから、少し恥ずかしくなった。
約束の時間。
外へ出ると、白いシビックが停まっていた。
助手席のドアを開けると、健二が私を見つめる。
「かわいい。」
その一言で、朝からの緊張がほどけた。
「ほんと?」
「何回言わせるんだよ。かわいいって。」
私は満足して、シートベルトを締めた。
「今日はどこへ行くの?」
「秘密。」
「まだ?」
「着けば分かる。」
車は夜の八戸を走っていく。
見慣れた信号も、店の明かりも、今日だけは少し特別に見えた。
やがて、車が大きな建物の前で止まった。
「えっ……ここ?」
八戸グランドホテル。
名前は知っていたけれど、中に入るのは初めてだった。
「行こう。」
「本当に?」
「誕生日だから。」
少し緊張しながら、健二の隣を歩く。
柔らかな照明。
静かなロビー。
磨かれた床。
案内された部屋のドアが開いた瞬間、私は立ち止まった。
広いリビングと大きな窓。
その向こうには、八戸の夜景が広がっていた。
「ここ、泊まるの?」
「うん。」
「スイート?」
「たぶん。」
「たぶんって何?」
「予約するとき緊張して、よく分からなかった。」
健二の耳が少し赤い。
きっと、こういう場所に慣れているわけではない。
私を喜ばせようと、一生懸命考えてくれたのだ。
「ありがとう。」
「まだ何もしてない。」
「もう、してくれてるよ。」
健二は照れたように視線をそらした。
食事の席でも、二人とも少し緊張していた。
健二がナイフとフォークを見ながら、小声で聞く。
「外側からだよな?」
「たぶん。」
「瑠奈も分かってないのかよ。」
「初めてだもん。」
「じゃあ、間違えても二人ならいいか。」
「うん。」
顔を見合わせて笑った。
完璧じゃなくてもいい。
二人で緊張して、二人で間違える。
それさえ、今の私には幸せだった。
食事が終わると、健二が小さな紙袋を取り出した。
淡いティファニーブルー。
それを見ただけで、胸が跳ねた。
「開けていい?」
「うん。」
箱の中には、オープンハートのネックレスが入っていた。
小さなハートが、部屋の灯りを受けて輝いている。
「二十歳、おめでとう。」
「健二……。」
うれしいのに、声がうまく出なかった。
健二が私の後ろへ回る。
髪をそっと持ち上げ、ネックレスを首にかけてくれた。

チェーンは少し冷たくて、うなじに触れる指は温かい。
「どう?」
鏡の中で、オープンハートが胸元に揺れていた。
「すごく、うれしい。」
振り返り、そのまま健二に抱きついた。
「ありがとう。」
「泣くなよ。」
「泣いてない。」
「泣いてる。」
「少しだけ。」
健二の腕に力がこもる。
大きな手が、私の髪を優しくなでた。
「ずっと大事にする。」
「ネックレス?」
「ネックレスも。」
「も?」
「健二も。」
言った瞬間、恥ずかしくなって顔を伏せた。
健二は私の顎にそっと指を添え、顔を上げさせる。
「俺も、瑠奈を大事にする。」
そのまま、ゆっくりと唇が重なった。
窓の外には、八戸の夜景が静かに広がっている。
私のために選んでくれたホテル。
少し緊張していた健二の横顔。
胸元で揺れるオープンハート。
こんなに大切に想ってくれる人がいる。
そう思うだけで、胸の奥が熱くなった。
健二の胸に頬を寄せる。
私が腕に力を込めると、健二も何も言わず抱き返してくれた。
この人となら大丈夫。
何があっても離れない。
二十歳になったばかりの私は、本気でそう信じていた。
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む光で目が覚めた。
隣では、健二が穏やかな寝息を立てている。
昨夜のことを思い出し、布団を鼻まで引き上げた。
すると、健二が小さく笑った。
「起きてるだろ?」
「……寝てる。」
「寝言がはっきりしてるな。」
「夢の中。」
「じゃあ、夢の中で。」
額へ、そっとキスが落ちる。

私は布団から少しだけ顔を出した。
「……おはよう。」
「おはよう。」
健二は私の髪を指先で整えながら、笑った。
「昨日、楽しかった?」
「うん。」
「俺も。」
その横顔が少し照れていて、また胸がくすぐったくなった。
朝食を済ませ、ホテルを出る。
ロビーへ向かう廊下で、健二がふいに立ち止まった。
「ん?」
振り向くと、そっと抱き寄せられる。
「昨日のお礼。」
「私がお礼を言う方でしょ。」
「じゃあ、もう一回。」
唇が優しく重なる。
「もう……。」
「だめ?」
「……だめじゃない。」
そのまま二人で笑った。
何でもない朝。
何でもないキス。
そんな時間が、たまらなく幸せだった。
学校へ向かう途中、私は何度も胸元に触れた。
歩くたびに揺れる、オープンハート。
教室へ入ると、美香がすぐに気づいた。
「瑠奈、そのネックレスかわいい!」
「ありがとう。」
「彼氏から?」
私は照れながらうなずいた。
「いいなあ。二十歳の誕生日?」
「うん。」
「顔が幸せそう。」
「そんなことないよ。」
「あるある。」
美香が笑ったところで、チャイムが鳴った。
教室のドアが開く。
「おはようございます。」
礼美先生だった。
いつもの濃紺のブラウス。
柔らかな笑顔。
そして、その胸元に揺れていたものを見て、私は息をのんだ。
私と同じ、オープンハート。
礼美先生も私のネックレスに気づいた。

一瞬だけ目を丸くし、自分の胸元へ視線を落とす。
それだけだった。
けれど、その沈黙が私には違う意味に見えた。
どうして先生も同じものを持っているの。
どうして、目をそらしたの。
昨日、私に「二十歳おめでとう」と言ってくれた健二。
ホテルで抱き締めてくれた健二。
その優しさを、先生にも向けているのだろうか。
そんなはずはない。
そう思うほど、不安は大きくなった。
授業はほとんど頭に入らなかった。
胸元のネックレスが急に重く感じる。
私はそっと、服の中へ隠した。
放課後。
廊下の向こうで、健二が礼美先生と話していた。
礼美先生が何かを説明し、健二が真剣にうなずいている。
就職相談だとは知らなかった。
二人が笑ったように見えた瞬間、胸が苦しくなった。
見なければよかった。
それでも、足は動かなかった。
数日後。
授業が終わると、礼美先生が声をかけてきた。
「瑠奈、最近元気ないね。」
「大丈夫です。」
「何かあった?」
「何でもありません。」
無理に笑うと、礼美先生は心配そうに私を見つめた。
「無理しないでね。」
そう言って、職員室へ戻っていく。
先生の後ろ姿を見送りながら、私は小さく息を吐いた。
「瑠奈。」
振り返ると、静香先生が立っていた。
「礼美先生には内緒よ。」
私は黙ってうなずく。
「礼美先生ね、この前、付き合い始めた人がいるの。」
「……え?」
「八戸で知り合った人。十一月一日の誕生日に告白されて、
その時にもらったのが、あのネックレスなんだって。」
私は立ち尽くした。
十一月一日。
私と同じ誕生日。
同じプレゼント。
それだけだった。
全部、私の勘違いだった。
「よかった……。」
胸につかえていたものが、ほどけていく。
気づけば、涙がこぼれていた。
静香先生が優しく笑う。
「恋をすると、不安にもなるものよ。」
私は慌てて涙を拭いた。
「ありがとうございます。」
夕方。
校門を出ると、白いシビックが停まっていた。
健二が窓を開ける。
「お疲れ。」
私は返事をする前に、助手席へ駆け寄った。
ドアを開け、そのまま健二に抱きつく。

「えっ?」
何も言わず、唇を重ねた。
健二は驚きながらも、すぐに私の背中へ腕を回した。
「どうした?」
「……何でもない。」
「何でもない人は、いきなりキスしないだろ。」
「今日はしたかったの。」
「そっか。」
健二はそれ以上聞かなかった。
その一言だけで、十分だった。
帰り道。
街の灯りがフロントガラスを流れていく。
健二が前を向いたまま言った。
「今度、ディズニー行こう。」
「ディズニー?」
「うん。二十歳の記念。」
「本当に?」
「約束。」
「行く。」
私は胸元のオープンハートをそっと握った。
「東京って、どんな街なんだろう。」
「行けば分かる。」
健二が笑う。
私は窓の外へ目を向けた。
東京。
夢の国。
テレビの中でしか知らない街。
その街が、私の未来を少しずつ動かしていくことを、
二十歳になったばかりの私は、
まだ何も知らなかった。
つづく

▶次の物語
第五話|東京がくれた未来
▶本作のマガジン
19の私とメゾングリーンアップル【全九話】
▶ワンルームシリーズの原点
東京ワンルームの恋 ─Time Goes By─【全五話】
30歳になった礼美が振り返る、18歳から東京で過ごした恋と別れの記録。
▶ 作者
Ryo.|プロフィール・作品一覧
