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彩音 -風の続き-|第五話【全五話】|風の続き

――この物語は、『同級生 -第三部-(最終章) So Long』と同じ時間の中で、静かに続いていた彩音の記録である。(全五話)


彩音は静岡の地方再生事業へと転職した。

それは、8月に始めた応募がきっかけだった。

秋にはもう新しい環境へと移っていった。

新しい仕事。新しい人間関係。

慣れるまでは、ただ忙しさに追われる日々だった。

けれど、季節がひとつ過ぎる頃には、

生活はようやく形になり始めていた。

そして、春。

ゴールデンウィークに、彩音は初めて駿河湾を訪れた。

どこまでも続く水平線。

碧い海とスカイブルーの空。

その鮮やかなコントラストは、想像以上に深く心に残った。

潮風に吹かれながら、ふと過去の記憶が浮かぶ。

転職してからは、思い出すことも少なくなっていた。

あの人のことも。

忙しさの中に埋もれていたはずの記憶が、

静かに満ちてくる。

手元にある、あのパーティーの案内状。

「Restaurant SurfWind」

ずっと気になっていた場所だった。

「一度だけ、行ってみようかな」

そう呟いた瞬間、心はもう決まっていた。

それは迷いではなく、静かな確信だった。

それからさらに時間が過ぎ、秋の連休。

彩音は静岡から九十九里へ向かった。

初めて訪れる場所だった。

東京を経由する電車の窓に、

かつてのオフィスビルが流れていく。

品川を通過するのは、あの送別会以来だ。

みんな、変わらずにいるだろうか。

あの人も。

そう思った瞬間、胸の奥がわずかに揺れた。

視線を少しだけ外すと、

胸の奥に「蒼い記憶」がかすかによみがえる。

東京駅からレンタカーに乗り換え、

エンジンをかける瞬間、心がわずかに跳ねた。

ワクワクと緊張が、同じ温度で混ざり合っている。

ハンドルを握りながら、彩音は静かに自分へ言い聞かせた。

行くと決めたんだから、と。


九十九里の海は、思っていたよりも静かだった。

潮の匂いが、強張っていた胸の奥を少しずつほどいていく。

「Restaurant SurfWind」

その名前を確かめて、そっと扉を開けた。

落ち着いた雰囲気の店内。

壁にはいくつかのモノクロ写真が飾られていた。

「10周年記念パーティー」と書かれた一枚のパネルに、

彩音の視線が止まる。

そこに正人がいた。

そして、その隣で微笑む女性。

見覚えのある顔だった。

かつての取引先の担当者であり、

何度も仕事で顔を合わせたことのある、かおりだった。

その瞬間、すべての点と点がつながっていく。

正人が大切にしていた時間。

正人の心に残っていた場所。

自分が知らなかった、彼の物語。

「そうだったんだ……」

マスターは彩音の胸中を知る由もなく、

ただ穏やかに言葉を添えた。

「10周年のときの写真なんですよ」

それ以上は語らない。

彩音もまた、それ以上を求めなかった。

ただ写真を見つめ、そして、小さく息をついた。

運ばれてきたオムライスをひと口、口に運ぶ。

ほんの少しだけ、微笑みがこぼれた。

「正人さんがここに来る理由、分かった気がします」

食事を終え、店を出ると、

心地よい潮風が頬をかすめた。

目の前に広がる、果てしない海。

そして、自分の未来。

正人の物語は、正人の場所へ帰った。

そして彩音もまた、自分の場所へ帰っていく。

もう誰かの背中を追いかけるためではなく、

自分自身の人生を歩くために。

風の続き。

それは、誰のためでもない、

彼女が彼女として生きていくための風だった。

-完-


あとがき「風のあとに」

この物語を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

彩音の歩いてきた道は、

決して大きな出来事に彩られたものではありません。

けれど、静かな日々の中で揺れ、迷い、

それでも前へ進もうとする心の動きは、

彩音だけではなく、誰の人生にもそっと重なるものなのかもしれません。

正人への想いは、

彼女の人生を縛るものではなく、

むしろ彩音を優しく前へ押し出す“風”のような存在でした。

その風が止んだあと、

彼女はようやく自分の足で歩き始めます。

誰かの背中を追うためではなく、

自分の未来を選び取るために。

九十九里の海に立った彩音が見つめていたのは、

過去ではなく、これから続いていく自分の物語でした。

彼女の人生は、まだ続いていきます。

その先にどんな景色が待っているのかは、

きっと彩音自身が見つけていくのでしょう。

読んでくださったあなたの心にも、

小さくても確かな“風”が届いていたら嬉しく思います。

Ryo.


▶同級生シリーズ第一部 かおりと正人の青春編
マガジン|同級生 ─流れゆく季節の中で─

▶同級生シリーズ第二部 かおりと正人の再会編
マガジン|同級生 -after 15 years-

▶ 同級生シリーズ第三部 かおりと正人の黄昏編
マガジン|同級生(最終章) So Long

▶ 同級生シリーズ スピンオフ
マガジン|同級生シリーズ Another Story|彩音-風の続き

▶ 作者
Ryo.|プロフィール・作品一覧


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