緑の予感--白駒の池に映るもの
八ヶ岳に伝わる「白駒の池」の伝説をご存じでしょうか。 僕が山を歩いていた頃に出会った、その忘れられない物語です。
あれはもう、四十年以上も前のことです。 海辺の町で波音を聞いて育った僕にとって、天を突くような高い山々は、どこか現実離れした未知の憧れでした。
当時の僕は、登山と高山植物に心を奪われていました。 ただ「頂上に立つこと」だけが目的ではなかった。
一歩一歩、険しい道を噛み締めるその過程で、登頂の達成感とはまた違う「何か」をこの眼で確かめたかったのかもしれません。
岩陰にひっそりと咲く可憐な花。 過酷な環境に耐える生命の輝き。
そんな、山の神様が隠した宝物を探すように歩き続けた日々。
今回は、そんな私の記憶の片隅にある、八ヶ岳に伝わる不思議なお話をお届けします。
茅野から険しい中山峠を越え、佐久へと続く道。その途中の「賽の河原」と呼ばれる場所に、かつて一人の長者と、その慈しみを受けて育った美しい娘が暮らしていました。
届けられた「女神の文」
あるとき、幸せだった親子を不幸が襲います。長者が重い病に倒れたのです。日に日に衰えていく父の姿を前に、娘はただ泣き崩れるしかありませんでした。
そんなある夜、静まり返った家の戸を「トントン」と叩く音が響きます。娘が恐る恐る外を見ると、そこには月明かりに照らされた、一頭の真っ白な馬が立っていました。
白駒がくわえていたのは、八ヶ岳の女神からの手紙。
「この白駒に乗り、黄色い花が咲き乱れる場所を探しなさい。そこで父を養生させるのです。ただし、父が治っても家へ戻ってはいけません。病に苦しむ人々を導き、救い続けることがあなたの使命です」
黄金の「湯の花」を求めて
娘は白駒の背に飛び乗りました。
白駒は矢のような速さで峻険な嶺を駆け抜け、深い谷を渡り、道なき岩場を飛び越えていきます。
八ヶ岳中をくまなく探し回りましたが、黄色い花は見つかりません。
諦めかけ、とぼとぼと硫黄岳のあたりまで引き返したその時です。
巨大な岩の陰に、目がくらむほど鮮やかな黄金の花が一面に咲き誇っていました。
それは植物の花ではなく、大地から湧き出る「硫黄の湯の花」でした。
娘は急いで父をそこへ連れて行き、熱い湯に溶かした湯の花をその体に丁寧に塗ってやりました。
すると、あれほど重かった父の病はみるみるうちに快方に向かい、ついには元の元気な姿を取り戻したのです。
消えた白駒と、約束の代償
当初、娘はここで人々を救い続けようと心に決めていました。
しかし、厳しい山の生活は若く美しい彼女にはあまりに過酷でした。
少しの間だけなら……と、彼女は女神との約束を破り、懐かしい我が家へと帰ってしまったのです。
ある日の夜明け、冷たい霧の中からあの白駒が現れました。
娘が抗う間もなく、彼女の体は吸い寄せられるように馬の背へと乗せられます。
白駒は狂ったように山頂を目指して駆け、深い原生林に囲まれた静謐な池のほとりへと辿り着きました。
白駒は大きな岩の上に立つと、娘を乗せたまま、一点の波紋も立てぬよう深い水底へと消えていきました。
それ以来、この神秘的な池は「白駒の池」と呼ばれるようになりました。
今でも、女性がこの池の鏡のような水面に顔を映して洗うと、たちまちあの長者の娘のような、透き通るほど美しい顔になれると言い伝えられています。
八ヶ岳には、富士山と背比べをして敗れたという話や、妹の蓼科山の涙が諏訪湖になったという伝説も残っています。
ただ、この白駒池の話は、それまで山全体を神様として擬人化していた話と異なり、どこか現実感があります。
白駒池も、中山峠も、賽の河原も、硫黄岳の温泉も。
これらは実在していますし、今でも登山が趣味な方々にも親しまれている場所です。
この話は、約束の代償を語る物語でもあります。
親を救ったとしても、神との約束を破れば、山は容赦なくその身を奪う。
そんな冷たさと厳しさを秘めています。
その教えは、現代を生きる僕たちの背筋を静かに正します。
「交わした契約は必ず守ること。結んだ約束は、決して違えないこと」
そして、誰かに救い上げてもらったなら、今度は自分が誰かの杖となること。
物語の結末で、女神は娘に容赦のない裁きを下したようにも見えます。
しかしそれは、彼女が「自分自身の信念」との約束を破ってしまったからに他なりません。
僕が、仕事に疲れ、都会に疲れて、救いを求めて白駒池を訪れた夏。
池のほとりの苔は、朝の光を受けて淡く輝いていた。
鳥たちが鳴き始め、人影もない朝。
静かに見える緑は、何かを教えてくれていたのかもしれない。
ただ水面は、鏡のように、何も隠してはいなかった。
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