定年退職後記:妻との距離感
かつて家庭において、僕は「外で稼いでくる人」という記号的な役割しか持っていなかった。その役割を返上したあと、自分がどこに座ればいいのか、どの角度で呼吸をすればいいのかが分からない。
居場所を失った男たちが、定年を境に家庭内で迷子になるという現象は、どうやら僕個人の悲劇ではなく、この世界の片隅で静かに進行している社会病理でもあるらしい。
朝パートに出る妻に、「昼ごはんは?」という問いかけてみるものの、返ってくるのは決まって、「一日中家にいるんだから、冷蔵庫の残りものでも適当に片付けてよ」 という、実も蓋もない平坦な言葉だ。
これから先、僕たちの間でそんなキャッチボールが判で押したように毎日繰り返されることになるのだろう。
会社という重力から解放された生活は、一見すると穏やかで、どこか非現実的だ。
日曜の朝、義務のように車のキーを回し、妻を助手席に乗せてスーパーへ向かう――そんなささやかな「移動する役割」も、年齢とともに少しずつ色褪せていく。
欲しいものなんて、探そうとしなければそう見つかるものではない。
やがて毎週の運転手という任務は自然消滅し、家の中の掃除の縄張り争いには、定規で引いたような明確な境界線が登場することになる。
外で対価を稼いでくる人間、という長年張り付いていたラベルが綺麗に剥がれ落ちたとき、僕と妻を結んでいた見えない糸は、少しだけ緩み、そして少しだけ遠くなる。
それはまるで、潮が引いたあとの砂浜に取り残された、見慣れない流木のような距離感だ。
冷蔵庫の隅で出番を待つ、昨日の中途半端な残りものを眺めながら考える。
この問題は、決して先送りにすることはできない。
自分がこの見慣れたはずの家庭という森の中で、完全な迷子になってしまわないように。
僕は冷えたキッチンの床を踏みしめ、ただ、目の前の四角い箱のドアに手をかけた。
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