緑の溶解
空に消え、山に浮かび、雪に紛れる。
水色の翼と過ごした季節は、僕に“見えること”と“見えないこと”の意味を教えてくれた。
30年ほど前、僕が初めてパラグライダーの機体を購入して思った事。
初めて手にした自分だけの翼は、驚くほど澄んだ「空の色」をしていた。
それまでは、先輩から譲り受けた緑をベースに、ピンク色のストライプが入った機体。実用重視のデザインで、空に浮かぶとどこか“借り物”のように感じていた。
少し練習が進んできた初夏、なけなしのボーナスで機体を買うことになった。EDEL社の「SPACE」をみたとき、胸の奥がふっと軽くなった。
メーカーのロゴすらない、ただ一面の水色。まるで空の欠片をそのまま手に入れたようだった。長野のスクールの教官は、呆れたように眉をひそめた。
6月から7月。地面を焼く初夏の陽光がサーマルを生み、空はどこまでも透き通っていた。
その青に漕ぎ出すと、僕の機体は本当に空へ溶けてしまう。
無線越しの怒声は、青の中に紛れた教習生を探す必死の声だった。
スクールの日々は、空中散歩とは程遠い。
重いハーネスと機体を背負い、雪の消えたスキー場を黙々と登る。照り返す緑の中、一日数本のフライトで体はくたくたになった。
ようやく足が浮いた瞬間に聞こえるのは、「どこだ! 良く見えない!」という無線の指導。そのたびに、胸の奥で小さな反発が芽生えた。
その思いが逆転するのは、山々が燃えるような装いを見せ始めた秋だった。
紅や黄金色に染まった山肌は、夏とはまるで別の世界だった。
その圧倒的な背景の前で、僕の水色の翼は、静かに、しかし鮮烈に浮かび上がった。
高い木々の上に不時着してしまったことがある。
翼が枝葉に絡まり、身動きが取れなくなった僕は、この色に救われた。
色づいた森の中で、水色の翼はひときわ目立ち、仲間たちはすぐに僕を見つけてくれた。
空中ですれ違う仲間たちは、遠くからでも僕を見つけ、余裕を持って進路を譲ってくれる。緑の翼やピンク色の翼では、こうはいかなかっただろう。
山の緑に溶けてしまう緑。空では気高く見える色も、背景が変われば簡単に姿を失う。
それは、山の緑に滲むように、機体が姿を失っていくように見えた。
やがて季節は冬へ向かう。
ただ一度だけ、東北の冬の空を飛んだことがある。 一面の田んぼが雪に閉ざされ、色彩を失った白い世界。低く垂れ込めた雲が白く濁っていた。
離陸した瞬間、僕の水色は再びその姿を消した。 白銀の地表と、乳白色の空。その境界のない白の世界で、水色の翼はふたたび「空の欠片」に戻り、空に溶けていくようだった。
巨大な翼の存在すら消え、ただハーネスひとつで空に身を預けているような感覚。自分自身が空の一部になって、ふわりと浮遊しているようだった。
緑は、いつだって背景に溶けていく色だった。
その中で、水色だけが、僕を世界から切り離し、そして浮かび上がらせた。
目立たなくても、叱られても、やはりこの色だ。
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