定年退職後記:朝の光と孤独
朝の光がリビングの床に描く台形の模様は、現役時代のように僕を急かすこともなく、ただそこにあり、ゆっくりとその形を変えていった。
スマートフォンの画面をスクロールし、テレビの頼りない音頭に耳を傾けているうちに、気がつけば一日は帳尻を合わせるように終わってしまう。
現在、僕がまともに言葉を交わす人間は妻だけだ。
そして哀しいかな、その唯一の存在からも、僕はじわじわと、しかし確実に、妻の生活リズムから外側へ押し出されつつある。
まるで、賞味期限の切れた調味料が、冷蔵庫の奥へと追いやられるように。
その比喩が、思いのほか現実味を帯びていることに、ふと気づく。
会社という場所にいた頃は、世界はもっと賑やかだった。
同僚がいて、取引先がいて、自分が何者かであるような実感をいつでも引き出すことができた。
しかしそれは結局のところ、「仕事」という共通の通貨で売り買いされていた関係に過ぎない。財布が空になれば、市場から足が遠のくのは至極当然のことだ。
仕事を完全に辞めたあとに訪れる深い孤独には、ある種の共通したメカニズムがあるように思える。
一つは、現役時代の人間関係が綺麗さっぱり清算されてしまうこと。
そしてもう一つは、その反動でリビングの狭い器に、一晩で、似つかわしくないソファが出現するような窮屈な依存を求めてしまうことだ。
組織の中でしか人間関係の耕し方を知らなかった人間は、退職の鐘が鳴ると同時に、すべての網の目を失ってしまう。
ここからの脱出が容易でないことは、うすうす解っていた。
僕はただ、具体的な回答を探すように天井を見つめる。
その白い面には、何の答えも書かれていない。
けれど、キッチンの方から妻が朝の食事の支度を始める気配が聞こえた。
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