風を切る背筋
少し湿った風が吹く、雨上がりの朝、駅からオフィスへと続く緩やかな歩道で、
一人の若い女性を見かけた。
彼女は歩きながら、一心不乱に単行本を読んでいた。
その先にあるキャンパスへと向かう学生のようだった。
現代の街角において、視線を落としたまま歩く人々の手にあるのは、
たいていの場合、発光するガラスの板だ。
けれど彼女が手にしていたのは、重力を持った紙の束だった。
首をすくめてスマホを覗き込む人々の中で、本を掲げるようにして歩く彼女の背筋は、
奇妙なほど真っ直ぐに伸びていた。
それはどこか、都会という砂漠に現れた姿勢の良い植物のようにも見えた。
そして、その姿は「格好よく」映ったのだ。
かつての僕も、鞄の中には常に時代小説が潜ませていた。
司馬遼太郎の『最後の将軍 徳川慶喜』を読み耽っていた頃などは、
通勤時間はもはや移動手段ではなく、幕末へと繋がるタイムトラベルのようなものだった。
物語の密度があまりに濃すぎて、本来降りるべき駅を軽やかに通り過ぎ、
見知らぬ景色の中で我に返ることもしばしばあった。
若さとは、時として物理的な距離感や疲労さえも曖昧にするらしい。
当時は、インクの匂いのする紙か、隣に座った見知らぬ誰かの寝顔くらいしか、
視線のやり場がなかったのだ。
彼女が読んでいたのは、胸が躍るような物語だったのだろうか。
それとも、試験直前の切羽詰まった知識の詰め込みだったのだろうか。
けれど、長い髪をなびかせ、本の頁を風に遊ばせながら横断歩道を渡る彼女の姿は、
冷ややかな都会の風景に驚くほどしっくりと馴染んでいた。
彼女の背筋の真っ直ぐさは、紙の本が持つ“重さ”そのもののようにも見えた。
風を切る背筋は、今の自分にはあまりにもまぶしすぎる。
今それを実行する体力も気力もない。
彼女の姿は、そのまぶしさとともに、
かつての自分が持っていた“世界への向き合い方”を思い出させてくれた。
そしてその分、危なげにも見えた。
でも、首をすくめて、スマホをのぞき込んでいるよりもずっと潔い。
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