変わったのは、生き物じゃなくて自分だった。


こんにちは、マキです。
爬虫類を飼い始めてから、気付けば数年が経ちました。
今では爬虫類だけではなく、両生類や水棲ガメ、メダカ。
さらに、ビカクシダ、アガベ、塊根植物まで。
「マキ爬虫類飼育部屋」という名前なのに、部屋の中にはケージと植物棚が並んでいます。
昔の自分が今の部屋を見たら、
「どうしてこうなった?」
と思うかもしれません。
でも、生き物や植物と暮らしていて最近思うことがあります。
変わったのは、生き物じゃなくて自分だったのかもしれない、と。
最初は「変化」を探していた
飼育を始めたばかりの頃は、とにかく変化が気になりました。
昨日より大きくなっただろうか。
餌を食べてくれるだろうか。
脱皮はうまくいくだろうか。
少しでも普段と違うことがあると気になる。
植物を育て始めてからも同じでした。
新芽は出たか。
葉は大きくなったか。
発根したか。
昨日と今日で何か変わっていないか。
毎日のように見ているのだから、それほど大きく変わるはずもありません。
それでも、つい確認してしまいます。
たぶん最初の頃は、「育てる」ということを、目に見える変化で感じたかったのだと思います。
生き物の時間は、人間よりずっとマイペース
当然ですが、
こちらが早く成長してほしいと思ったからといって、生き物が急に大きくなるわけではありません。
植物も同じです。
ライトを当てて、水をやって、風を当てて。
環境を整えることはできます。
でも、
「明日までに新芽を出して」
とは言えません。
爬虫類だって、
「今日は写真を撮りたいから出てきて」
と言ったところで、シェルターから出てこない日は普通にあります。
結局、こちらにできるのは環境を整えて、観察して、待つこと。
生き物も植物も、自分たちのペースで生きています。
昔より「何も起きない日」が好きになった
飼育を続けているうちに、自分の見方も少しずつ変わりました。
昔は変化を探していたのに、
今はむしろ、
「今日も特に変わったことはないな」
と思える日が安心します。
いつもの場所にいる。
いつものように餌を食べる。
いつものように寝ている。
植物も、
葉に異常なし。
害虫なし。
用土も問題なし。
新芽は……まあ、そのうち。
それで十分です。
派手な変化がなくても、昨日と同じように今日を過ごしている。
以前より、そのことを素直に喜べるようになりました。
「待つ」ということも趣味になった
植物を育て始めてからは、さらに待つ時間が増えました。
アガベを眺める。
ビカクシダの成長点を見る。
塊根植物の葉を見る。
水をやる。
照度を測る。
風の当たり方を確認する。
そして、また眺める。
やっていることだけを書き出すと、かなり地味です。
でも不思議なことに、それが楽しい。
新しい葉が一枚出ただけでうれしい。
昨日まで動きがなかった成長点が少し動いているだけで、何度も見てしまう。
爬虫類の脱皮や成長を見ていたときと、ほとんど同じです。
生き物を育てているつもりだったのに、
いつの間にか自分のほうが「待てる人間」になっていました。
趣味を見る基準も変わった
以前なら、
珍しい。
格好いい。
欲しい。
そんな気持ちが先に来ていたと思います。
もちろん今でもあります。
イベントへ行けば気になる生体を見ますし、植物のお店へ行けばアガベを見ます。
出張先でも、気付けば観光地より爬虫類ショップや植物店をGoogleマップで探しています。
そこは、あまり変わっていません(笑)
ただ、お迎えする前に考えることは増えました。
この環境で管理できるか。
置き場所はあるか。
今いる生き物や植物の管理に影響しないか。
出張中はどうするか。
数年後まで育てられるか。
「欲しい」だけでは決めなくなりました。
これも、生き物たちが変わったわけではありません。
自分の考え方が変わっただけです。
飼育部屋を見れば、自分の変化が分かる
最初は爬虫類のケージがあった部屋。
そこへ飼育用品が増えました。
温湿度計が増えました。
ライトが増えました。
そして植物棚ができました。
アガベが増え、ビカクシダが増え、塊根植物が増えました。
部屋は確実に狭くなっています。
でも、その一つ一つを見ていると、自分が何に興味を持って、何を調べて、何を経験してきたのかが分かります。
ある意味、この部屋そのものが自分の趣味の履歴なのかもしれません。
育てているつもりで、育てられていた
生き物や植物を育てていると、
「どうすれば、この子をうまく育てられるだろう」
と考えます。
温度。
湿度。
光。
水。
餌。
床材。
用土。
風。
毎日の小さな変化を観察して、必要なら環境を変える。
でも、何年もそれを続けていると、
変わっているのは飼育環境だけではありませんでした。
待てるようになった。
小さな変化に気付くようになった。
何も起きないことを喜べるようになった。
「欲しい」だけではなく、その先の管理まで考えるようになった。
そして、以前より生き物や植物の時間に合わせられるようになった。
こちらが育てているつもりだったのに、
振り返ってみれば、自分のほうも随分育てられていたような気がします。
変わったのは、生き物じゃなくて自分だった。
今日もケージの中では、いつものように生き物たちが過ごしています。
植物棚では、昨日とほとんど変わらない姿で植物たちが並んでいます。
たぶん明日も、それほど大きな変化はありません。
それでもいい。
むしろ、それがいい。
生き物たちは最初から、自分たちのペースで生きていただけなのだと思います。
早く成長してほしい。
変化が見たい。
もっと何かしてあげたい。
そう思っていた自分が、
いつの間にか、
「今日も異常なし。それなら十分」
と思えるようになった。
生き物と暮らして、植物を育てて。
ずっと彼らの成長を見てきたつもりでした。
でも、本当に変わっていたのは——
生き物じゃなくて、自分だったのかもしれません。
今日も飼育部屋は、いつも通りです。
そして、その「いつも通り」を楽しめる自分がいます。
