英語が苦手なまま、研究者をやっている|女性研究者のリアル
はじめに|研究者なのに、英語が苦手です
私は英語が苦手です(唐突)。
研究者たるもの、英語での論文の読み書き、英語でのディスカッションが当たり前。そう思われているかもしれません。でも、それは分野によって様々で、話せる人もいれば、話すのが苦手な人もいる。書くのがスムーズな人がいれば、全く英語で書き進めることができない人もいる。これが正直なところだと思っています。その中でも私は論文を読むのも、書くのも、学会で話すのも、ずっとしんどいと感じてきました。
この記事では、英語が苦手なまま研究者をやってきた話を書いてみようと思います。克服した話でも、うまくやっている話でもなくて、今も苦手なまま、なんとかやっているという話です。
論文を読むだけで、疲れてしまう
英語論文を読むことは、仕事の一部です。そんなことはわかっています。
でも、英語の論文を開くたびに、少しだけ気持ちが重くなります。単語はなんとなくわかるのに、文全体の意味がつかめないことがある。一段落読み終わっても、「で、何が言いたかったんだろう」となってしまうことが、今もあります。
日本語の論文なら30分で読めるものが、英語だと2〜3時間かかることがあります。その差が、じわじわとしんどいです。翻訳ツールをうまく使えるようになって少し楽になりましたが、それでも「ちゃんと読めている」という自信はなかなか持てないままです。
(生成AIに感謝ですね。簡単な内容理解でよければすぐに理解することができるようになりました。)
英語で書く、という重圧
論文を英語で書くことへのプレッシャーは、また別のしんどさがあります。
言いたいことは日本語では浮かぶんです。でもそれを英語にした瞬間、なんか違う感じがして。ネイティブが書いたような文章にはならないし、自分の英語が正しいのかどうかもよくわからない。
校正に出すと、思っていたよりたくさん直されて、「やっぱり自分の英語はダメだったんだ」という気持ちになることもあります。何度経験しても、あまり慣れません。
学会で、英語で話す怖さ
国際学会でのポスター発表が、一番緊張する場面かもしれません。
発表内容は準備できます。でも、想定外の質問が来たとき、とっさに英語で答えられるかどうか、いつも不安です。うまく聞き取れなかったとき、「もう一度言っていただけますか」と言えるかどうかも、瞬時に判断しなければならない。んで、大体聞き取れなくてうまく話せないというオチ。
海外の研究者と自然に話している人を横目で見ながら、「自分はどうしてあんなふうにできないんだろう」と思うことがありました。英語ができないことで、自分の研究の中身まで軽く見られているような気がして、惨めな気持ちになったこともあります。
「研究者なのに英語ができない」という引け目
一番しんどいのは、知識として引け目を感じてしまうことかもしれません。
研究者は英語ができて当たり前、という空気が、アカデミアの中にはあると思います。論文は英語で読み書きするのが標準で、国際学会で堂々と議論できることが求められる。そういう世界の中で、英語が苦手なまま生きていると、どこか「自分は研究者として足りていないのかもしれない」という感覚がついてまわります。
英語ができる同僚と比べて、劣等感を感じることは今もあります。「同じ内容の研究でも、英語で発信できる人の方が評価されるんだろうな」と思うこともあります。それが悔しいのか、諦めに近いのか、自分でもよくわかりません。
苦手なまま、それでもなんとかやっている
克服した、とは言えないです。今も苦手です。
ただ、苦手なままでも、なんとかやってきたのは事実です。翻訳ツールを使い倒して、時間をかけて論文を読んで、発表前に想定問答を練って。かっこよくはないですが、それでなんとか回ってきた部分もあります。
「英語ができないから研究者をやめる」という選択肢は、今のところ考えていません。でも「英語ができれば、もう少し楽だっただろうな」とは、ときどき思います。
英語が苦手な研究者は、たぶん私だけじゃないと思っています。でも、なかなか口に出せないことでもある。そういう話を、ここに書き残しておきたいと思いました。
おわりに|苦手でも、続けていける
英語が苦手なまま研究者をやっている、というのは、恥ずかしいことなのかもしれません。でも、それが今の私のリアルです。
実際英語を使う場面って意外と少なくて(だからこそ上達しないんだろうけど)、どうしても英語を話せるようになりたいと思う必要もあんまりないというのが本当のところ。
同じように英語に苦手意識を持ちながらアカデミアにいる方に、「自分だけじゃないのかも」と感じてもらえたら嬉しいです。
