研究者は結局論文数で測られるのか|業績第一主義に感じること
はじめに|「業績はどのくらいありますか?」
研究者の世界では、自己紹介の延長でこんなことを聞かれることがあります。
「論文は何本くらい出していますか?」「インパクトファクターはどのくらいの雑誌に載せていますか?」
もちろん、業績は研究者を評価するうえで重要な指標だと思っています。それは否定しません。でも、気づくと「あの人は論文が多い」「あの雑誌に載せた」という話が、その人の研究そのものへの評価より先に来ることがあって、それがずっと引っかかっています。
この記事では、業績第一主義に感じること、できるだけ冷静に書いてみようと思います。
論文数・引用数だけで、研究者の価値は測れるのか
論文数や引用数は、わかりやすい指標です。数字で比べられるし、客観的に見える。採用や評価の場面では、使い勝手が良い。それはよくわかっています。
でも、論文数が多いことと、研究の中身が深いことは、必ずしも一致しないと思っています。
時間をかけて丁寧に積み上げた研究より、量を重視して短いサイクルで論文を出し続けた研究の方が、数字の上では「優秀」に見える場合があります。引用数にしても、話題になりやすいテーマや分野の研究が有利になりやすく、地道に続けてきた研究が数字に反映されないこともある。
「この研究、本当に意味があるのかな」と思いながらも、業績のために書き続けなければいけないような感覚になることが、正直あります。
質より量を求められる空気
研究者の世界には、「とにかく出し続けなければいけない」という暗黙のプレッシャーがあると感じています。
任期付きのポジションであれば、次の職を探すときに業績リストが問われます。科研費などの研究費を申請するときも、これまでの業績が評価される。そういう仕組みの中にいると、「質の高い1本」より「とりあえずの3本」を選ぶ方が合理的に見える瞬間があります。
研究に時間をかけたい、もっと深く掘り下げたい、という気持ちと、業績を積まなければいけないという現実の間で、引き裂かれるような感覚になることがあります。これは、自分だけが感じていることではないと思っています。
業績がない時期の、肩身の狭さ
論文が出ていない時期というのは、どうしても肩身が狭くなります。
学会に行っても、「最近何か出しましたか?」という話題になると、少し身が縮む感じがします。業績がないことは、「最近何もしていない」と見られているような気がして。実際には、論文になる前の段階で地道に研究を続けているのに、その過程は外から見えにくい。
業績リストに載っていないものは、存在しないも同然、という空気がアカデミアにはある気がします。研究のプロセスより、アウトプットだけが評価される世界で、それが苦しいと感じることがあります。
業績第一の空気が、人間関係にも影響する
業績第一主義の影響は、研究内容の評価だけにとどまらないと思っています。
「あの人は業績が多い」「あの人はあまり出していない」という情報が、その人への接し方に影響することがあります。業績の多い研究者の意見は通りやすく、少ない研究者の意見は軽く扱われることがある。研究の中身ではなく、論文数という数字が、発言力や存在感に影響してしまう。
そういう場面を目にするたびに、「これでいいのかな」と思います。研究者同士が、お互いの数字を意識しながら関わる空気が、研究環境を息苦しくしている側面はないでしょうか。
人間性は、どこで評価されるのか
業績第一主義の中で、ずっと気になっていることがあります。
研究者の採用や評価の場面で、「どんな人間か」という部分がどこまで考慮されているのか、ということです。
教育者として学生に向き合う姿勢、チームの中での振る舞い、後輩への関わり方——そういったことは、研究室や大学という場では確実に重要なはずです。でも、採用の場面では業績リストが前面に出て、人間性や教育力、コミュニケーション能力といった部分は、なかなか可視化されにくい。
論文を量産できる人が必ずしも良い指導者であるとは限らないし、業績が少なくても学生に深く寄り添える研究者はいます。でも、数字として見えない部分は評価されにくい。その構造が、研究者の育ち方や研究室の雰囲気にも影響しているんじゃないかと思っています。
「業績があれば採用される、なければ採用されない」という単純な図式の中で、研究者としての人間的な側面が後回しになっていく感覚が、どこかずっとあります。
結局コネクションと内部事情で決まる、という現実
アカデミアの採用が、業績だけで公平に決まるかというと、正直そうとも言い切れないと思っています。
公募という形をとっていても、実際には「内部でほぼ決まっている」と感じるケースがある、という話を耳にすることがあります。指導教員のコネクション、研究室間のつながり、学閥——そういった見えない力学が、採用に影響することがあると感じている研究者は、少なくないんじゃないかと思います。
自分自身も、公募に応募する中で「これは最初から決まっていたんじゃないか」と感じた経験がないわけではありません。もちろん、すべてがそうだとは思っていません。公平に選ばれるケースもあると思っています。でも、「業績を積めば機会が得られる」という前提が、必ずしも成り立たない場面があることも、現実としてあると感じています。
業績第一主義の建前と、コネクションや内部事情が動く現実が同時に存在している。そのギャップが、研究者のキャリアをより不透明にしている気がします。頑張って業績を積んでも、それだけでは届かない壁がある、という感覚は、任期付きで就活を繰り返してきた中で、じわじわと積み重なってきました。
業績第一主義の先に、何があるのか
業績を積み上げることは、研究者として生き残るために必要なことだと思っています。それは変わらない現実です。
ただ、「業績のために研究をする」という感覚が強くなると、「研究のために研究をする」という根本的な動機が薄れていくような気がして、それが怖いと感じることがあります。
研究者にとって本当に大切なものは何か。論文数や引用数という指標が、それをどこまで正確に測れているのか。簡単に答えが出る問いではないですが、考え続けることをやめたくないと思っています。
おわりに|あなたはどう感じていますか?
業績第一主義への違和感は、私だけが感じていることではないと思っています。でも、アカデミアの中にいると、なかなか口に出しにくい話でもあります。
研究者として業績とどう向き合っているか、どう感じているか——同じような場所にいる方の声を、ぜひ聞いてみたいです。
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