映画ちいかわを見て、「誰が悪いのかわからない」と考え込んだ話
はじめに|可愛いだけじゃなかった
正直、もっと気楽に見られると思っていました。
可愛いキャラクターが動いて、ほっこりして終わる映画、くらいのイメージで見に行きました。でも実際は、見終わった後もしばらく頭の中に残り続けるような内容で、映画館を出てからずっと考えてしまいました。
特に引っかかったのが、「誰が悪いのかわからない」という感覚です。
教育者・指導者として学生と関わる立場から見たとき、ちいかわの世界で起きていることが、どこか他人事ではない気がしました。この記事では、そのことを書いてみようと思います。ネタバレは最小限にしますが、映画の雰囲気には触れています。
「誰が悪いのかわからない」という居心地の悪さ
映画を見ていて、ずっとどこか居心地が悪かったです。
悪役がいるようで、でも単純に「あいつが悪い」とは言い切れない。それぞれの立場で、それぞれの事情があって、気づいたらそういう構造になっていた——そういう感じがしました。
誰かを責めればすっきりするはずなのに、責める対象が見つからない。そのもやもやが、見終わった後もずっと残りました。
教育の現場にも、似たような構造がある
「誰が悪いのかわからない」という感覚は、教育や指導の現場でも感じることがあります。
うまくいかない学生がいたとき、それは学生自身の問題なのか、指導の仕方の問題なのか、環境の問題なのか、それとも制度や構造の問題なのか——一つに絞れないことがほとんどです。
誰かが意地悪をしているわけじゃない。みんな、なんとかやろうとしている。でも、気づいたらうまくいっていない。そういう状況を、ちいかわの世界に重ねて見てしまいました。
頑張っても報われないことがある、という現実
ちいかわたちは、けっして怠けているわけではありません。それでも、思うようにいかないことがある。努力が必ずしも結果に直結しない場面があります。
教育者として、これは難しいテーマだと感じています。
「頑張れば報われる」と学生に伝えたい気持ちがある一方で、現実はそう単純じゃないことも知っています。努力が評価されない構造があることも、運やタイミングが関係することも、指導する立場にいるとわかってしまう。それでも、どう伝えればいいのか、まだ答えが出ていません。
仲間がいることの意味
詳しくは書けないですが、映画の中で仲間との関係が大きなテーマになっていると感じました。
一人ではどうにもならないことが、誰かと一緒だと少し違って見える。そういう場面が、教育の現場でも確かにあります。
学生が「ひとりで抱えなくていい」と感じられる環境を作ることが、指導者としてできることのひとつかもしれない、とあらためて思いました。答えを与えることよりも、一緒に考える存在でいること。ちいかわを見ながら、そんなことを考えていました。
可愛い見た目の中にある、重いテーマ
見終わってから、「子ども向けじゃないな」と思いました。いや、子どもが見てもいいんですが、大人が見た方が刺さるかもしれない。
可愛いキャラクターの中に、社会構造への問いや、理不尽さへの怒り、それでも生きていくしかないという感覚が込められている気がして、それがずっと心に引っかかっています。
研究者・教育者として日々感じている「誰が悪いのかわからないもやもや」と、どこかでつながっていた気がします。
おわりに|気楽に見に行ったのに、考え込んで帰ってきた
ちいかわの映画、気楽に見に行ったのに、帰り道からずっと考えてしまいました。
教育者として、指導者として、何ができるのか。誰も悪くないのに誰かが傷つく構造に、どう向き合えばいいのか。すぐに答えは出ないけれど、考え続けることをやめたくないと思っています。
見た方がいたら、ぜひ感想を聞かせてもらえると嬉しいです。
