書いても何も残らないと思ってた|50代、2000記事書いた私がたどりついたこと
書いても何も残らない気がしていた頃の私へ
思えば昔から一人でいることが多かった。
だから自然と本と漫画を読む時間が
増えていった。
小学生、中学生のころ
コバルト文庫に夢中だった。
お小遣いは、ほとんど全部そこに消えたっけ。
一冊読み終わると
欲望がおさえきれなくなって
同じ日にもう一度本屋へ走ったりして。
高校では漫画にも同じくらいはまった。
『ガラスの仮面』を回し読みして、
土日で20冊一気に読んだこともある。
そのたびに思っていた。
「こんなに読んで将来なんの役にも立たないのに」
「時間のムダじゃないか」
でも、やめられなかった。
読んでいる間は、
物語の中に入っていられる。
現実の自分じゃなくていい。
別の誰かになれる。
トリップするみたいに
寂しさも
無力感も
いったん忘れられた。
そう。
私にとって「読む」ことは、麻薬みたいなもの。
目にもわるい。
将来の役に立つとも思えない。
勉強も集中できない。
それでも、やめられなかった。
———
時は流れて、昭和から令和へ。
もう40年くらい経つのかな。
短大を卒業して、普通のOLとして就職した。
今と違って、正社員になることが王道だった時代。
「書くことを仕事にする」なんて、選択肢はミジンもなかった。
結婚、出産、専業主婦、そして離婚。
そうして私は、アラフォーでようやく
「書くこと」を仕事にすることができた。
ブログで収益化し、
正社員のように安定して稼げるようになった。
そのとき、やっと思えた。
「あぁ、あの無駄だと思っていた読書の日々は、無駄じゃなかったんだな」って。
2000記事を書いても、見つからなかった答え
専業ブロガーとして約10年。
検索エンジンの顔色をうかがいながら、
2000以上の記事を書いた。
ユーザーにとって「役に立つこと」を、ひたすら書き続けた。
かつて「役に立たない」と
自分を責めていた読書の日々とは違い、
今度の「書くこと」は、たしかにお金を生み、
私と子どもたちの生活を支えてくれた。
それは事実。
でも…。
自分の感情よりも、
「売れるかどうか」を優先する日々だった。
検索キーワードに沿って、
読者の悩みを解決する文章を書く。
気づけば私は、
“正解”ばかりを書いていた。
2000記事書いても、
わたしのための記事ではなかった。
ようやく「第2の私」が始まる
今、私はnoteで “日記” を書いている。
誰の役にも立たないかもしれない文章。
検索も意識しない。
セールスも考えない。
ただ、
コバルト文庫を読んで “いつか私も” とトリップしてた感情を、
少しずつ言葉にしている。
一人の夜に、
ノートの端に書きなぐった整理のつかない気持ち。
無駄だと思って切り捨てようとした孤独な時間。
それらすべてが、
今、私の文章の「体温」になっている。
そして気づいた。
あの時間は、
ちゃんと積み上がっていた。
私の中に。
そして今は、
誰かの心とつながるための「資産」に変わっている。
無駄なことなんて、何一つなかった。
40年という遠回りをして、
ようやく私は、そう自分にいってあげられる。
———
書いても何も残らない気がしていた頃の私へ。
残ってるよ。
ちゃんと、全部。
私はようやく
「役に立つ」ではなく
「私である」文章を書き始めたんだ。
たぶん、これが2回目のスタート。
セカンドステージ。
もし、あなたもどこかで
同じような虚無感を抱えていたら。
一緒にnoteで
続きを書いてみないかな。
そしたら何か “動く”かもしれませんよ?
▼私のリアルタイムが分かる、自己紹介はこちら。
遊びにきてね💕
うつきゆき。
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