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セルフネグレクトと先進化によるハードルの上がった社会(考察記事)

社会のハードル、上がってますよね

社会参加=高いハードルって感じ
くぐりたくなりますよね~~~~~~~~。

まあ・・・そういう事も含めて書いていこうと思います。
どうしてセルフネグレクトは起こりうるのだろう?と言った点から・・・。

風呂キャンセル界隈とか、なんか話題になってたりしますよね。
去年位から・・・いやもっと前からかもしれません。

先進化しすぎた社会と、便利になりすぎた側面と、色々あるのかなって思います。

考察というか深掘りというか・・・普段脳内でふっと考えてる記事を反芻して吐き出す記事になります。

※自分は精神科医ではない(消化器内科医)ので、あくまでもガチ専門ではない門外漢であること、個人的な考察であることを前提にお読みいただければと思います。


〇セルフネグレクトとは?

Wikipedia(今回は綿密な定義ではなく簡易なものでいいと判断しWikipediaより引用)より引用すると・・・
セルフネグレクト:自己放任とも呼び、個人自身の基本的ニーズに対して発生するネグレクト行為であり、それには不適切な衛生、服飾や食事、医学的状況などがあげられる。より広義には個人の保健、衛生や生活環境などのセルフケアが不足している状況を言う。より重症のケースはディオゲネス・シンドロームと呼ばれている。

Wikipediaより

〇セルフネグレクトの6つの因子(アメリカの定義より)

1:不潔で悪臭のある身体:人並みな身づくろいをしない、トイレに行く意志が希薄。
2:不衛生な住環境:ごみを捨てない、ネズミや害虫を駆除しない。
3:生命を脅かす治療やケアの放置:内科疾患の治療や服薬を中断または拒否する。
4:奇異に見える生活状況:敗れた服を着て外出するなど、周囲の価値観から見て奇異に見える状態。
5:不適当な金銭・財産管理:日常的な買い物や公共料金・家賃の決済など自分の財産管理が適切にできない状態。
6:地域の中での孤立:近隣住民とのかかわりを拒否する。家に引きこもるなどの社会的孤立。
※精神的に健全で自らの自己決定でセルフネグレクトと同じ状況に意図的に身を置くものとしては基本的にセルフネグレクトの範疇からは除外される。
↑しかし客観的に見た場合意図的なセルフネグレクトと非意図的なセルフネグレクトはなんら変わりがないため現状臨床の領域では議論の対象になる事が多い。

風呂キャンセル界隈

〇原因(?)←Wikiにはそう記述あり

原因というよりはRF(Risk factor)ではないかと思います。
セルフネグレクトになりやすい因子として(※あくまで因子)精神障害やパーソナリティ障害といった心理的な問題やライフイベント・天災などの人的物的な喪失及び複雑化した福祉サービスや他人の世話になる事への忌避感、身体障碍や経済的困難や人間関係の忌避があげられる。

〇定義を踏まえてのセルフネグレクト

恐らく本邦で広く認知されている「セルフネグレクト」と言う単語は、上記のWikipediaより引用した内容からかんがみるに、定義としては「広義」の意味合いでのセルフネグレクトのとらえ方が一般的ではないかと考えられます。


〇実際に増えているのか(?)

これまた分かりかねます。実際にセルフネグレクトというものは病気として認定されているのでしょうか・・・。現状自分が観測する限りでは病気としてのくくりには入っていないと思っています。
認定するのであるなら、領域としては精神科領域になるものだと思います。
只調べた限りにおいても、まだ精神科領域においてもセルフネグレクトというものは病気として認定されていない(?)ようです(2025/6/26)。
(自分は専門が専門家領域ではないので確実に申し上げることはできないですが・・・)。実際にセルフネグレクトという現象があったとして、バックグラウンドに何かしらの疾患(身体的・精神的にかかわらず)がありそうではあります。

特に、専門外の私でも学生時代に学んだ典型的なうつ病(≠新型うつ病)であるとすると、まず基本的に身なりを整えたりする整容の概念が薄れたり食事を摂る気力がなくなる、今まで夢中になれていたことになれなくなるなどと言った症状が出現します(Major depressive disorder)
これ、確かに病的な内容としてはセルフネグレクトが内包されていると考えることできますよね。なので背景にそういったものがあることはよく考えられそうです。

個人的な印象としては、整容(顔を洗ったり着替えたりすること)→風呂キャン→食欲低下って感じの印象です。多くのパターン的に・・・。

個人的には、うつ病ではなく「適応障害」がここ10年くらいで急増している印象があるので、そういう背景がありそうです。

※適応障害:個人的には「環境要因のうつ病」のようなものと認識しており、場所(環境→職場環境など)を改めたり離れる事によって症状が軽快する場合の抑うつ症状が出る疾患と自分は認識しています。よくある教科書的な大うつ病の患者様もいらすとは思いますが、割と世間一般で「うつ」とされる方は大体「適応障害」なイメージがあります(あくまでも他科視点からの意見)。
色々と複合的な要因があると思いますが(家庭環境や生い立ち、アダルトチルドレンの増加や毒親の増加等・・・)・・・。


Noteとか見ると、セルフネグレクトのタグが付いた記事が活発に増えていたり、SNS(とりわけX)とかでもセルフネグレクトの単語は度々話題になりますね。そうしてみると、滅茶苦茶多く感じますが、実際どれくらいいるのでしょう・・・。

単純に自分が「観測するようになった」から見えるようになったのかもしれません(元から一定数の方が居て、そういった方を自分が観測するだけなのかも?)。

最近のSNSとかでは、自分が見た情報に関連する内容がおすすめ欄に表示されるアルゴリズムなどから、そういったセルフネグレクト関係のワードを拾うと、おすすめ欄がそれに占拠され、滅茶苦茶世の中に沢山そういった方がいらすような誤解を受けますが・・・。
その実、どれくらいの割合でいるんでしょうね・・・。

大なり小なりこういったセルフネグレクトの要素は誰しもが皆持っていると思います。特に体力を使い果たしかけてたり気力を使い果たしかけてたりするとなおさら・・・。
あと思うのは、「ソロ」というか「未婚」の人とかの増加もあるんでしょうか?とも思います。

〇うつ病大国日本

メンタル面の耐久値は人それぞれ
只伸ばすことは多分出来るけど・・・塩梅が難しいですよね。
耐久値を伸ばさず初期値のままレベリング無しで大人になるとボキっと折れやすくなるかもしれません。
只、これは生存バイアスで・・・。今を元気に生きている人でボキっと折れた後立ち直れている人は、数多の立ち直れなかった人たちの上に立っているのだと思います。

これは昔から言われてることですし、今でもそうだと思います。
先進国であることをベースに考えても、村社会、悪口、陰口、人の失敗失態を取り上げる社会・・・。同調圧力過多な社会において・・・。

まあ日本に限らずどこの国においても陰口悪口ってのはあるもんだと思います。
こどもから大人まで何時まで経ってもどこに行ってもありますよね、いじめとか・・・。
人間関係で一生揉めるのが人間だと思います。

まあ多くても仕方がないよなと思います。具体的な人数は・・・分かりかねますが・・・。
只、AIの進歩などを含めた西暦2000年以降の急激な先進化に伴い、生きにくくなっているのもあるんじゃないかと思います。

〇社会の先進化に伴う社会参加のハードルの上昇

これぶっちゃけデカイよなーって思うんです。
社会の先進化、つまりまあ便利な社会になればなるほどどんどんその社会への参加の最低のハードルラインが上がっていく感じ。

例を挙げるなら、ほんの数十年前であれば大容量のデータ転送等はインターネットの回線速度的な意味で不可能であったため出張として1日単位かけてIT会社の社員が情報が入ったHDDを抱えて新幹線や在来線でのんびり先方に移動していたのに対して、現代ではネットの進歩によって回線速度の向上などで、大容量のデータ転送が容易になり、そういった出張が無くなりほんの数分・数十分でデータの送受信が可能になった効率化・・・とかがあげられそうです。

今までは「社会参加」に対するハードルが低かった(?)かもしれません。
今はインターネットの発達とかAIの発達、いろいろありますが・・・。
24hいつでも連絡が取れるようになった世界で・・・。
世界中の人々とリアルタイムで繋がれる世界になった今・・・。
ハードルは上がっていると思います。これは現在進行形で・・・。

上記はあくまで社会の先進化という内容の例ですけど・・・、そういった仕事の効率化とかも含めて、社会への参加のハードルは高まった気がします。

世の中が便利になればなるほど、その分誰かの善意や情熱が関わってるみたいな感じで・・・、社会からの恩恵がでっかくなるほどそれはつまりその分社会に参加した際の負担が大きくなることと同義で・・・。

世の中が便利になる・生きやすくなればなるほど、社会に参加する事へのハードルが高くなり、社会生活を行いながら生きていくハードルは上がり・・・、こと「社会生活」の中では生きにくくなるといった矛盾にも似た内容が出てくるのではないかと思うのです。

これは言い過ぎですけど、かなり社会参加のハードルは上がっていると思います。
只社会成長≒ハードルの向上だと思うのです。だから資本主義の世界において・・・。
成長は不可欠であるが故に自然と求められる最低のベースライン値は上がるよねって思うのです。

だからこそ、一般的な社会生活を送るハードルが上がる分、ついていけなくなり一般的な社会の歯車的な生活から降り、何らかの支援(医療などの通院)を受けながら生活をしなければならない人が、相対的に増えたのではないかと思うのです。

社会生活からべた降りして「くぐる」事を選ばざるをえなくなるってのも
仕方ない部分があると思います。
社会的には何とかしないといけないのですが・・・。

便利になりすぎるのも問題というか・・・。ただ、社会は「進歩」無くしては「停滞」まっしぐらで先細りになるので・・・、避けられない問題なのかもしれません。

〇周りがよりリアルタイムで見えるようになる弊害

SNSの発達は著しいですよね。InstagramとかTiktok、Twitter(X)やBerealとか・・・。そして誰しもが持つようになったスマートフォンと言う存在で24hいつでもどこでも繋がろうと思えば誰とでも繋がれてしまう世界において・・・。有名人のリアルタイム発信とかも見えたりするわけです。
インフルエンサーとかそういった「SNS」を中心に活動する有名人も増え、有名人と言うくくりはもうテレビの中だけに収まらない存在になってきたと思います(ここ15年位で変わってると思います)。
そういう意味で見ると、井の中の蛙大海を知らずということわざがある意味で無縁と言うか・・・あわないというか・・・。何かをやり遂げよう目指そうと思ってもすぐに見えるのはその手の分野で活躍する有名人の人たち・・・。
そうなると、自分が頑張ろうって思っても中々難しい部分もあるかと思います。

まず井の中でトップに立って、井戸の外出て大海を知って、
そこからまた頑張っていける・・・ってのが今中々難しいんですよね。
井の中からでもスマホとかを通じて大海(≒世界)が見えてしまうので・・・。

勿論これは有名人レベルに広げた話ではなく規模を小さくした身の回りの環境もリアルタイムに把握できるようになったことで、優劣がより顕著にわかりやすく比較できるような環境になってしまった分、より身近に比較される対象が以前より近くなることでマウントを取りやすくなったり取られやすくなったりするのかなあと思うのです。

まあ・・・要するに・・・生きづらくなったよな・・・って思うのです。

〇真面目な人ほど「損をする」? そして「要領の良さ」について

真面目って何でしょうね。相手からして「都合のいい」人なんでしょうか。
うーん・・・分かりかねますが・・・。
真面目って単語、いろんな意味でとらえることが出来すぎて難しいです。
愚直?という表現が正しいべきか・・・。

・・・。

個人的に思うのは、結局、世の中で死ぬほど重要なスキルって「要領の良さ」なんですよね。
(勿論ベースにある頭の良さとか身体能力もあるしもっと大事なのは頭の良さとか身体能力の初期値が低くてもその「伸びしろ」がどれだけあるかってのが大事ですけど・・・それは「やってみない」と分からんものですし)。

要領の良さというものはヒトに等しく与えられた24時間という1日の時間をどれくらい効率的に使えるかと言った意味として自分はとらえています。

24hをどのように使うかは自由です。
隙間時間の使い方とかうまい人はうまいですよね。
後は「並列作業」とか、マルチタスクをこなすとか。
業種や仕事、タスクの内容によってはシングルタスクの方が効率がよかったりしますし
逆にマルチタスクでこなした方が効率がイイタスクもあります。
そこの塩梅の「見極め」の審美眼もある意味で「要領の良さ」なんだと思います。

実際、要領が一般的な他の人に比べいい人は等しく与えられた1日の24時間の中で、何倍も効率を出します

こどもの頃から天性の才能(?)として元々生まれながらに要領がいい人ってのはごく稀にいて、運動や勉強、コミュニケーションや恋愛なども全部両立できるバケモンだったりします
そういう人、学校生活において何人か観測したことあると思います(たぶん)。

(※ちなみにこういった「要領の良さ」は成長中にいくらか自身の努力である程度磨くことはできると思っています。要領の良さを磨くのは遅いは無いとも思っています)。

そういう「自己」に向かって「要領がイイ」人はそれはそれで無害ですし、真面目という属性も含みうるとは思いますが・・・。

問題は・・・。

自己への負担を減らし、うまいこと他者へ仕事を押し付け、うまい事自身の仕事量を減らしつつコスパのいい給料をもらうといったタイプの要領の良さを持った人は「います」

そういったときに・・・「押し付けられる」側の人が「損をするタイプ」なんだろうと思うのです(そういう意味で世間的によく言われる「真面目」ってのはこういうタイプを指すのかも?)。

そしてそういう人ほど「いい人(≒都合のいい人?)」で振られた仕事を断り切れなくて・・・無理して何とかしようとしてしまって自己のキャパシティをオーバーし、あたふたして・・・結果的に、最終的に病んでしまうといった感じに・・・なったりするのかなと思うのです。

・・・先進化ってのも考えものだナアって思うんですよね。
まあ進み続けなければ停滞を呼び、社会の停滞を引き起こす可能性がある故先進化し続けることでしか、人類は維持できないわけですが・・・。

〇だから・・・無理に・・・自己を否定せず・・・

だからこそ、無理に・・・自己を否定するのではなく・・・。

「そういったもんだ」と受け入れてもいいのではないかと思います。

自分であれば、自分であれば・・・「己が悪いんだ」と自身に発破をかけ鼓舞し更に進み続けるつもりで生きますが・・・。

世の中みんな強いわけではなく・・・誰しもがバケモノ・バーサーカーになれるわけではありません。

自分は・・・文字通り血反吐を吐いて、ケツから血を垂れ流し、強迫観念に囚われながらも自己の修羅場を潜り抜けて夢を成し遂げてきましたが・・・自分ができたのだから、他人もできるとは思っていなくて・・・。

必ずしも泥をすすって這いつくばって無理して進む必要はないと思います。
人によりけりだと思っていて、泥すする覚悟があるなら突っ込めばいいし、
もっと他の道を模索するってのも正しい選択肢だと思っています。

・・・。

「社会のせい」にして、どうか自死だけはしないよう・・・と思うのです。

理不尽で、不平等で・・・容赦のない世界だからこそ・・・。
己のキャパシティを超えて、無理だと思ったのであれば・・・、社会のせいにしても良いのかなって思うのです。

あくまでそういった人の方が多いですし・・・。

〇出来るといいかも?「自身のキャパ」を知る事

自分の身体的・精神的キャパシティを増加させることは恐らく後天的にもある程度は可能だと思っています。

只やっぱりある程度のストレス負荷があってこそ少しずつその身体的精神的キャパシティの最大値がレベルアップしていくものであって・・・。

まずは自信の現在の「キャパ」を認識することが出来ればいいなと思います。
中々口で言うのは簡単だけれど、実行は難しいですが・・・・・・。

〇時間は止まってくれないからこそほどほどに無理をせず

時間は止まってくれないもので、悩んでいても時間は過ぎます。
悩んで眠れなくても朝はやってくるものですし、避けられません。

でも悩むことは悪い事ではないと思っています。内省の時間ですし。
只、悩み過ぎるといけないのですが・・・ある程度悩むってことは自己の成長において必要だと思っているので、程ほどに悩む時間はあった方が良いと思っています。

只悩むってのも体力や精神力を使うもので、ある意味で内省と言うものは精神的自傷のようなものです。だから・・・普段の生活で体力精神力ギリギリの状態で悩んでしまうと限界を迎えやすくなりますし、それならばほどほどに無理をせずの生活をしつつ悩んで精神的自傷をし、そこからレベルアップにつなげる方法を選ぶのがイイのではないかなあって思うのです。

人生において壁にぶつかることは大事っちゃ大事
乗り越えても乗り越えられなくても経験値は絶対に入ります。

人はそれぞれ出自とか環境とか生まれとかみんなそれぞれ十人十色で違いますし、だれだれに合った最適解ってのは無くてみんなそれぞれ答えは違うと思うのですが、自分に合った答えを見つけるのが人生をうまく運ぶコツなのかもしれないかなって思うのです。