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動物と人間のエゴの話(ブラッシュアップ記事)

生物は好きですか?ここでいう「生物」は生きているものを指します
ウーン・・・そういう言い方だと、概念的に「植物」も含んでしまいますね。

何というかこう、世間で言うところの「心臓」か何かを持ち、自律的に動く生物を今回はそう定義したいと思っています。

↑この記事のブラッシュアップ記事です。


※「ヴィーガン」とか、「ベジタリアン」とか、そういった概念の話も今回含みます。逆に言うと浅学ゆえそれ位にしか踏み込めない浅い記事でもあります。

・・・。

哺乳類、爬虫類、魚類など・・・、果ては昆虫等も含んで、好きですか?

私は結構好き嫌いあります。動物はスキだけど、基本的に昆虫は苦手になりました(大人になってからは特に←カブトムシが苦手になった)。

このスキキライも、今回の命題のテーマにあるエゴなんだろうって思います。


〇生きとし生けるもの


こと「地球」に生きているヒトを含めた生物全般に言えますが・・・。
多様性に溢れ、肉食、草食、雑食と植生も様々でありつつ、寿命も生物ごとに違いますよね。

人間以上に長生きしているかもしれない生物もいる中・・・(←深海生物とか)。

只、不変なのは「寿命」の概念があるってことです。これは私の生きているうえでの根幹にもあるテーマでもあって・・・、不老不死ってまあ難しいし成れないかどうかは分からないけど(この先の未来の発展を見越して)、まあ少なくとも自分が生きているうちには成れないだろうなと思うんですよね。

・・・。

そして、多くの生物は他者(他生物・植物?)を取り込み(捕食?摂食?)、栄養を得て生きながらえているわけです。

ヒトも然りですね(当たり前)。

〇生き物を殺して食べるコト

殺して食べるって普段は意識しないと思います。この現代において。

少なくとも日本に住んでいたら、お肉が食べたくなったらスーパーの生鮮食品売り場に行けばいいし、何なら外食で済ませる事だって、テイクアウトだってコンビニとかで出来あいのものを買って食べることもできますよね。

他者という存在が、誰かが作ってくれるのであればさらに分かりにくくなると思います。

・・・、多分というか、これはホントにガチなんですけど普段から「殺生」を意識して肉を食うってこと、普段しないと思うのです。だからこう何というか・・・抵抗感なく肉を食べられる部分もあるのかなあって思うんですよね。

なんかこの感じ、「死ぬこと」を過度に拒否してひた隠しにしている現代社会に似ている気がします。

戦前や戦中のように、庭で飼っている鶏をシメて殺して、生活における「贅沢なごちそう」として認識する時代であったら、また違うのかな?と思うのです

どの家にもむかしは多分あったと思う鶏小屋

〇動物好きであることはどこからどこまで?

動物が好きな人は多いと思います。勿論苦手な人もいると思います

あなたはどうでしょう?私は動物全般がすごーーーく好きです。
特に陸棲動物、わんことか猫ちゃんとか、凄く好きです。勿論他の生物も好きですし、水族館で飼われているような魚類や哺乳類も好きです(シャチ・イルカとか)。

でも、肉は食べます。美味しいですし、栄養が沢山あるので・・・。
そして苦手な動物や生物も「います」

矛盾している!って思う人もいると思うんですけど、その「矛盾」こそがヒトの「エゴ」だと思うんですよね(今回のテーマです)。

うーん・・・。難しいんですが・・・。

動物が好きだからって、肉を食べちゃいけないとはならないと思うんです。

ベジタリアン≒悪いものとは思わないですが・・・。

「なんでや!生きとし生けるもの、全て尊重するんなら命を食う行為自体が生命に対する冒とくじゃねぇか!

確かにそれは一理あると思います。でもこれって、解釈も含めて・・・ムズいですよね。

理論的に考えるのであれば「動物を好きであるならば、その肉を食うべきか?」と言われたら「否」と答えるべきであるのではないか?と思うのですが・・・。

牛とわんこ、猫の違いは?
難しいですよね。家畜と愛玩動物の違い?
それはどこから来ている?定義は?起源は?
牛がもっと可愛かったら愛玩動物になるのか?
尽きない話題です。

お肉って、「美味しい」ですよね。後は「栄養豊富」で、生きていくうえで必要な栄養分をたくさん含んでて。

多分生きていくうえで「必須とまではいかないけど手軽に効率よくエネルギーを補充できる」ものとして肉って存在すると思います。
代わりのたんぱく質を大豆とかの豆類からとるってのもできますが、やはり効率でいうなれば肉とかには勝てないと思いますし(豆=畑の肉)。

後は脂肪分とかですね。脂肪だって一応身体にとっては必須の栄養素でもあります。飽食のこの時代において、脂っこい食べ物が先進国では多い故忌避されがちですが、立派なエネルギー源となるのです(炭水化物1g=4kcal、タンパク質1g=4kcal、脂肪1g=9kcal)。

・・・。

〇どこからどこまでを「命」と取るべきか?

動物を・・・というか、所謂動き回る「生命」を感じるモノを殺め、栄養として摂取する自分たちを見て・・・それを「生物」として取るならまだしも、じゃあ、「植物」はこの地球上において「生命」たりうるのか?と言われたらどうしましょうか?と思います。

生命でしょうか?それとも動かず、殺されることに嫌がられることをしない(無言で黙って収穫されるという点で)ということから生命とは言わないのでしょうか?

私は実家が農家ってのもあり、植物に該当する「作物(さくもつ)」はよーく育てていたので、分かる気がします。

・・・。

ウーン・・・。

これは、個々人によって解釈が分かれると思うのです。


只、そういったいわゆる「植物」に該当するモノに対しても「生命」と言うものを感じるのであるとするならば、いよいよヒトという人種は「何も食べることができない」ことになると思うのです

何を食え?と言えば、「霞(かすみ)を食う」仙人のようなことをしなければいけないわけです。それで生きながらえることができるか?と言えば無理ですよね。(できたとして、じゃあ「霞」は生物か?という問題も出そうです。)

〇動物と植物、違いはあるの?

これも、個々人の裁量によって変わる相対的なものだと思います。
動物も植物も等しく生命を持っているものと考える人もいれば、「動物」はダメだけど「植物」はOKという人もいると思います。

ココもたぶんきっと、その考える人の「価値観」が関与するものだと思っています。

でも、否定するべきものじゃないと思うんですよね

自由なこの社会において、「植物を生命で動物を等しく思う」ということも否定されるべきものじゃないと思うし、「植物は生命だけど逃げないからOK、動物は嫌がるから生命として奪うべきではないと思う」という気持ちを持つことも、多様性の社会から否定されるべきではないと思います。

自由なんだって思うのです。只、一言言えるのは、「それを他者に強要できんの?」って言われると難しいよねって思う点です。

自分の意志で「植物は食べるけど動物系は一切食べない」という信念を持つのはいいですし、「植物さえも食べないポリシー(≒即身仏?)」と言うのもいいと思います。後者はまあ死ぬので、こと日本では病院送りになりますけど。

ただ問題はそれを「他者に強要することなかれ」と思うのです

〇「ニンゲン(ヒト)」が食肉という概念を消し去ったとしたら

他の生きとし生ける生物の命を殺め、ヒト(ニンゲン)という生物が他の生命をすすって生きながらえるものだとしたら・・・。

それに反対する人がいるのもまあ、分からなくもないです。

じゃあ・・・。こと「ニンゲン(ヒト)」という概念が他の「肉」を食わなくなる世界線があったとして・・・何が変わるのでしょう?と思うのです。

〇肉食動物はどうなる?

ライオンに「今日からお前肉食うな」と言ったらどうなるでしょうか・・・

トラとか、ライオンとか、その他ハイエナとか所謂「肉食」メインで草とか草食ではない動物たちはどうなるでしょうか。

人間が「肉食を否定する」からと言って、じゃあライオンとかの肉食動物が「ニンゲンとか言うヒトが肉食辞めるから今日から草食動物になるわw」と言って変わる事が出来るか?といったら無理ですよね。

ニンゲン(ヒト)ごときが、と言い方は悪いかもしれませんが・・・。
たかがこの世界の陸上における頂点捕食種(?)である人間の一部が、「愛玩動物を愛するから(or好きな動物を愛するから)」という理由で「肉食を拒否」したとしたって、他の肉食動物とかは「自然の摂理(≒本能)」で他生物を殺して肉を食うわけです。

これは避けられなくて・・・。避けることはできない事実だと思うのです。

〇じゃあ「肉食動物」を否定して「草食化」したら?

じゃあヒトという先進的な技術を持つ種類の生物によって、世界的に「肉食」である生物を品種改良して「肉食」から「草食」にするとしたら、どうなるでしょうか?

トラとかライオンとか、所謂「肉食」に該当する動物たちがみなこぞって「草食化」したらどうなるでしょうか・・・

まあ、そのトラとかライオンとかが草食化するのは一度置いておくとして、トラとかライオンに従来捕食されるような存在であった「草食動物」たちが「過度に生き残る」と言う事実があると思いませんか?

そういった「草食動物」が「天敵」を失ったとすれば・・・?
無限に増えますよね。天敵がいなくなったわけですから、好きなように増えることができるわけです。

天敵がいなくなった草食動物は見境なく増え、結果的に自分たちが食べる植物を食べつくしてしまい、結果的に餓死する未来は想像に難くないでしょう。

ただそれが招く事実とすれば・・・。山焼けとかが起こると思います(草食動物に草とかを食べきられてしまい荒廃化する現象)。
(現に海の世界では、ウニとかの磯焼けが問題になっていますよね。)

〇「山」とかの「焼ける」事実

天敵がいなくなった草食動物は恐らく無限に無限に増えるだけ増え、その一帯の食物(植物)を食い荒らし続けると思います。

その結果、所謂「磯焼け」ならぬ「山焼け」が生じ、食物となるはずの草を食べきってしまい、完全にその場所の植生を荒廃させてしまうリスクがあります。

困るのは山側だけでなく人間側にもありますが、何より困るのが当の草食動物たちになります。増えるだけ増えたはいいものの食べるものが見つからない。結果的に餓死・・・と言った事実が出てくると思います

その「死肉」すら食べるヤツがいない世界であれば、その死体は腐敗し伝染病が蔓延することが考えられます。

私が死肉をメインに漁るハイエナだって、(地球上において役割として)必要なんだと思う所以です。

〇ここまで書いて一度の結論「人類全体が食肉と言う概念を辞めたとしてもこの地球上・世界からは食肉という概念は消せない」

ここでいったん総論というか・・・、全人類が肉食を辞めたところで、食物連鎖という概念がある限り他の生き物は肉食を辞めることはできません

人間だけが「生命!」「生命!」言って他の命を頂くことに過度にビビる必要ってないと思うんです。

ニュアンスがちょっと違うかもしれないですが・・・。
医者の私が、〇〇という病気にかかったAさんを過去に助けられなかったけど、今回同じ病気にかかったBさんは助けることができた。それは嬉しく思うけど、過去のAさんに申し訳ない・・・って思うようなもので・・・。
そんなこと言ったら、私いち個人として助けられる患者の数には限りがありますし、何なら会ったことも無い同じ病気の人が世界で今でも秒単位で死んでいるかもしれません。只その人たちを全員私は救うことは出来なくて、目の前の患者だけを救うことに全力を投じることしかできないわけです。


それを「無意味な行為」と思うか否かです


〇〇という病気にかかった患者を全員助けられないけど、目の前の〇〇に罹った患者は助けるよう頑張れる、そういった感じの・・・ちっぽけな偽善なのかもしれません

そう言う感じ・・・というか、そういうニュアンス(?)なんだと思っています。

食肉、生鮮食品売り場とかで切り身で売られていたり、定食屋さんとかで出来あいで出されたりするが故、意識しにくくなっているんだろうって思うのです

〇エゴという「感情」

なんでそんなに、本邦や特に先進国では忌避するのだろう?と思うのです。
ネガティブイメージの方が強いですよね。エゴって言葉。

実際、エゴという言葉はちょっと強い意味での「ヒトの持つ感情」だと思っています。
エゴを完全に排除するということはそれすなわち「ヒトではなくロボット」であると示すようなものだと思っています。個人的に。

エゴが仮に完全になくなった人間は既に人間ではなくロボットである、みたいな・・・。

だいたい・・・エゴは悪いものって声高に言う人であったとしても、エゴの要素はゼロにはできないと思うのです。だってエゴって上述したように、感情の延長線上にあって、ちょっと強めな感情≒エゴなわけですから。

エゴを忌避し、動物を愛しながら肉を食べるという矛盾を何とか理論で武装して解決しようとするが故に、矛盾を解決できなくて世間的に言うベジタリアンやヴィーガンが生まれるのではないかなあ?と思うのです。
むろん何度も上述したように、そういった考えをもって個人で徹底する分には全然いいと思うのです。個人の信念なわけですので。

只、それを他者に強要しちゃいけないよなって思うのです。「~~したらどう?」くらいの提案レベルならまだしも、「俺もこうしてんだからお前らもこうしろや!!!!!!!!!!!!」って言うのはお門違いだと思うのです。

そういった問題の根底に、「エゴを忌避するあまり矛盾が訂正できない事」があるのかなと思って、今回以前書いた記事のブラッシュアップを行いました。

〇まとめ

むろんエゴ自体を振りかざし過ぎるのも、極端ですがよくないです
行き過ぎたエゴは人に迷惑をかけますし。
バランスが大事だよって思うのです。忌避しすぎな世の中も、問題なんじゃないの~?って思うんですよね

そんな考察記事でした。