浪人時代に命を救われた福満しげゆき先生の「僕の小規模な失敗」から得られた後ろ向きだけど前向きに進む力
(この時代の細いしげゆき先生の自画像が本当に好きです)。
福満しげゆき先生の本の力が無かったら、つらく苦しい誰にも相手にされなかった浪人時代を乗り切れなかったかもって話を書きます。
いや、多分先生の作品が無かったら、私はきっと今死んでるかもしれない。
それ位、特に2浪目の心の支えになった作品でした。今でも常に手元に置いてあります。私にとっての命の恩人でもあるバイブルです。
自分の体験が混じるので自分語りメインの話になります。
そして、そして・・・この記事は自分の最も「根幹」をあけっぴろげにした初めての記事になると思います。ぜひ読んでいただければ、私の他の関連記事も「こいつこういうの好きだしなw」って思えるかなと思うのです。
〇浪人当時の思い出を簡単に思い出してみると
自分は浪人時代、一人も新規の友人を作らなかったのです。理由としては簡単で、予備校の友人って必然的に模試の得点とかの「マウント」の取り合いになったり、仮に友人が医学部進学出来て自分ができなかったときであったり、その逆で自分が受かって友達が落ちたら気まずい事この上無いじゃあないですか。
だから大都会東京、そしてその大都市新宿でたった一人ぽつんと一人で浪人時代を過ごしたのです(2年間も・・・)。
勿論同郷の古いなじみの親友は東京に上京してきていたりしてくれていたので、ひと月に1回くらいその子の下宿に突撃して、仲のいい友人達と風来のシレンをやったりいろんなゲームをしてました。本当にそれが救いだった。
だけどやっぱり毎日入りびたることはできないわけで、自分も勉強をしなきゃならないわけです。
やることと言えば、メシ(ジャンクフード中心)、風呂(唯一の生きがいで1日2-3回湯船浸かってた←風呂好きについてはまた記事を書きます)、寝る事と勉強。
インターネット環境についてはスマホの月3GBのみで、動画なんて見れば一瞬で枯渇して低速モードになるわけで・・・。娯楽の娯の字も許されないまま泣きながら勉強をしていました。
そんな折、ふっと昔から(こっそり)追っていた福満先生の「僕の小規模な失敗」に出会ったのです。
〇福満しげゆき先生との出会い

元々浪人の前から、存じ上げてはいたのです。自分が中学の頃?に近所の書店にたまに足を運んでました。当時はバリバリの中二病シーズンで・・・、なんというかいわゆる「萌え」みたいな絵柄とかを
「ちっこんな萌え萌えなもん読まねーよ・・・」みたいにスカして
生きていたんですよね。今思えば好きなものは好きって言えるような感じで生きられなかったのは恥ずかしいと思いつつ、あの頃はなんかな~って思って今思えばいい思い出なんですけど・・・。
確かその時に、本屋さんの漫画コーナーの片隅に「僕の小規模な生活」の1巻が売られていたのを思い出します。確かあの時点で当時その時は買いはしなかったけど少なくとも目には留めていたのを覚えています。でも手に取って表紙を見て、「好みの絵だなー」と思う程度で棚に戻しました。只強烈にその絵柄を覚えていたのです。買わなかった理由は、包装されてて中身が読めなかったのと単純にお金がなかったからです(小遣いはほぼゼロだったから)。
〇浪人中の自己肯定感の低下と小規模な失敗との出会い
浪人ってただひたすらに孤独なもんで自己肯定感がガツガツ削られるんです。すごい勢いで生きるエネルギーが削られていく感じで、日々を生きていくだけで生きるエネルギーの上限値がちょっとずつ毎日減っていくのです。まだ勉強の成績の伸びしろがある時は良いのですが、伸び悩んでしまったり、例えば共通試験やセンターの試験の得点が9割あたりになるとまあ伸び悩むというかもうその日のコンディションだったりで数%は前後してしまう(一問6点とかで、900点満点なら2問間違えるだけで1%前後します)。95%とかそういった次元は自分には程遠いもんでした。二次対策もぶっちゃけ志望大学によって傾向が全く異なったりして・・・。黙々とやり続けるほかないのですが自己肯定感は日々低下していくわけです。

ちょっと薄い青になったやつもあるんですが、「ヤンジャン」からも出てるんですね。
寝る前に少ない通信GBを考えながらTwitterかなんかを見ていた時・・・、やっぱり追い詰められてるときって追い詰められている分そういった情報に引き寄せられるんですよね、たまたま「僕の小規模な失敗」の一コマか何かを見たのです。そのコマを見たときに自分に「強烈な親近感」と、「どこかで見たことある絵柄」を思い出させてくれたのです。そしてそれを知った自分はその漫画のタイトルを探し出し・・・そして古本屋で「僕の小規模な失敗」を買ったのです。東京は大体探せば何でもあるのがイイですね・・・。

それすらからも脱落しちゃったな・・・って思っていました。ジッと・・・ジッと・・・
天井を見る生活を続けていました。そして・・・眠れないわけですよね。
大学でみんな楽しんでる中・・・自分はスタートラインすらに立ててなかった・・・
幸い中古本であったけれど、初版のものを手に入れることができました。
食い入るように読んだのを覚えています。そしていつも手元に置いておきました。
〇前の記事との関連
以前の記事にも書いた「青春という無敵感」という記事は福満先生が成人式後の同窓会?か何かで体験したエピソードによって言語化できたもので、自分がずっと感じていたモヤモヤを先生が漫画でエピソード化していたため自分の中で改めて言語化できたエピソードなのです。福満先生は本当に言語化がうまいと本当に思うのです。
その記事がこれ↓

本当に、こんな感じでした(福満先生のこのシーンは成人式よりも数年後の同窓会ですが)
福満先生はこういった「言語化」が本当にうまいと思うのです。分析の鬼ですね。

二次会、誘ってくれたのは嬉しかったけど、さすがに参加できなかった。寂しかった。
みんな大人になった眼をしてて、でもちょっと濁ったような眼をしてて。
まだ(ホントは死にたさでいっぱいだけど表向きは前向きに)夢を追っている僕を
みんな、みんな応援してくれた。
まるで、まるで自分がかなわなかった夢を代わりにかなえてほしいかのように。。。
〇1浪目の「なんだかんだなるだろう」のあの感じ
はなしは1浪目に戻りまして・・・。
自分はあんまり高校時代に勉強をガッツリしなかったのと、高校時代は塾に通ったりしていなかったのもあったりして、特殊な解法とかは一切習っていなかったんですよね。
何なら、高校3年生の夏~秋位にやっと全範囲が終わるくらいで。何なら物理に至っては全範囲終わりさえしませんでした(ホントに進学校?)。
数3Cが終わったのは確か・・・高3の11月くらいだったかと思います。
遅すぎる・・・。センター共通対策しながらやってた記憶があります。
まあそれでも何とか持ち前の泥すするガッツと努力で何とか某北海道の医大を受ける能力まではいったんですが、
まあ高3の秋~冬に数学が終わるような状況で二次突破できるかと言われれば無理でしたよね。
だから浪人したわけですが、1浪目ってもう成績私滅茶苦茶伸びて伸びて伸びて、本当に伸びて楽しいことこの上無かったんです。伸びしろしかなかったってのもあるんですが、もう予備校での知識が全てが新しくて、勉強は元々すごく好きではあったんですけど手探りじゃなくしっかり道を示してくれた上で効率的な解法、どうして定義がそうなるのかの根本的な理解までキッチリ教えてくれて、ガツガツと登っていけたのは本当に楽しかった。
(だからと言って、寂しくなかったわけじゃあなかったです)。
自分の半生というか、自分の1桁~10代はこうだったのがこれ↓
あと、一浪目って前の記事(↑)にも書きましたが、1浪目は昨年のことを思いだすと、まだ「高校生」の自分が1年前にいるんですよね。だから・・・まだ何とかなるだろうって気持ちがちょっとだけ楽になっちゃったんです。
それで伸びに伸びて、行けるだろって思って「ほんの少し?」背伸びしました。
地方の医大とか選んでたら受かってたろうな(失礼)・・・と今でも思うくらい、自分の中で圧倒的背伸びした医大を受けました。理由としては都心から離れたくなかったから。面倒見てくれた親友たちと離れたくなかったから。
そういった邪な理由も含めて、背伸びした医大を受けました。
当時は浪人差別とか、当たり前にありましたけどね(この記事はまた書きます)。それでも受けた。ここまで伸びた僕ならいけるだろって。傲慢だなって今思えば思います。でも自分が知らない行った事のない住んだことのない且つ都市でもない離れた地方に行くのは、怖かった。高校までの友人は皆が皆、東京に出るか地元に残るか旧帝大にいってたので、そういった意味でも本当に誰も知り合いがいない「Away」の地に行くくらいだったら、背伸びしてでもみんなが沢山いるところがイイと思って、都心の国立医大を受けました。まあダメでしたよね。自分程度の凡人が行ける才はなかったです。
物理が高校在学中に全部終わらなかったのもあるのか?物理苦手なのが響いて物理の大問をミスってしまい、解いた後に「終わった・・・」と思ったのを覚えています。でも、物理が苦手で落ちたってのは「言い訳」ですよね。
言い訳だ、俺が・・・僕が悪いんだから・・・。
悔しかった。そして私大なんて行けるわきゃ無いと思っていたので慈恵、慶応、順天しか受けなかったんです(受かってても金がないから行くつもりは無かった 給付奨学金出れば行こうって思ってた。傲慢すぎますね。無理だって・・・分かってたのに。)。まああそこも超難関ですし、受からなかったんですよね。
行くところが無くなってしまって。テキトーな後期の普通の学部を受けました。
主席合格しました(そらそう、だって偏差値10以上違ったし)。
でも諦めきれなくて。蹴ったんです。
そして親・祖父母に土下座しました。ホントにガチで土下座した。

これは 本当に そうだと思います。
〇2浪目(2-Lowの名前の由来はここから)
そして2浪目に突入したんですね。毎日寝る前にボロボロ泣いていたなあ。泣きたくて泣いているわけじゃなくて、自然とたれてくるんですよ。怖さと、みじめさと、今後の将来の不安で。自分はこの先なんとかなるんだろうか?って・・・。みんなもう人生のステージのコマをどんどん進めて言っているのに自分だけ、自分だけずっと取り残されてもうみんな卒業していった受験勉強をまだ自分はやり続けるわけです。もう伸びしろも頭打ちになって、只々二次対策をするだけの日々・・・。数学だって物理だって化学だって・・・ずっと同じような難問を毎日毎日時間かけて解いて、合間に共通(センター)対策をするわけです。それでいて「取れて当たり前」だから、「10点落としたりしただけでも」その日は特に落ち込んだりして。夜が怖くて眠れなくて、かといってずっと眠れず唸っていればやがて眠くなって、生活リズムも崩れそうになって・・・。
親から「医学部へ行け」と言われている訳じゃなくて、自分で望んで「医学部目指してる」わけで、むしろ親は「反対する側」でしたから。
「自分で始めた」んですよね。だから無理やり一生医学部受かるまで「浪人を続ける」みたいなことはなかったんです(医学部はいると多浪の人とかもいましたけど、やっぱり開業医の子とかで医学部受かるまでのサドンデスだったみたいで・・・。)自分が決めた、自分が決めたからこそ引き下がれなかった部分もあって・・・、人のせいにもできなくて(全部自分の我儘だったから)。

だって、1年前を思い返すと、今と全く同じ環境で今と全く同じことをしているんですよ。
生活に何の変化もありません。変わったのは自分が一つ年齢を余分に重ねたことと、変わりゆく東京の街並みだけ。新宿は街の開発がとても盛んで、一年で大きく見栄えが変わったりもしました。夜暗くなるのが怖くて。

分かっているはずなのに・・・。
ごちゃごちゃ思ってたけど、寂しかったのは私も本当にそうでした・・・。
福満先生も、「空回りした10代だった」と失敗にあったような気がします。
高校選びを失敗して、高校を留年して。退学して、友達とルームシェアして働くもうまくいかなくて。結果定時制高校に入るんですよね。
・・・。
2浪目も、新規の友人は作りませんでした。親友達も大学生活があるわけです。普段からずっとつるむわけにもいかず、自分も根っこがクソクソ真面目だったので、毎日遊びほうける事は出来ませんでした。朝は明るい陽射しで多少日の光で気持ちも前向きになれますが、夕暮れ~夜はただただ怖かった。
「ごちゃごちゃ私も思っていたけど、僕も思っていたけど、ただ・・・寂しかったんだ・・・。」って。
東京、特に新宿はそうかもしれないんですけど、東京の街って帰宅ラッシュが過ぎ、終電間近になると昼間の喧騒とはうって変わって「シーン」と静かになるのです。それが本当に「寂しかった」。みんな朝早くに都心に勤めに来たり学びに来たりして、夕以降はどんちゃん騒ぎする人もいるけど終電までには皆それぞれの家に帰っていくわけです。お店だってどこも24hやっているわけじゃなくて・・・。

人目もはばからず・・・月1で会う友達の前でボロッボロ泣いてしまって・・・だから・・・分かりますね・・・この感じ。この感じ・・・。でも、それを受け止めてくれる友人がいてくれたのは良かったな
男だって、ガチ泣きしていいてときはあると思います。この経験からですけど。
仲が良かった友人もそうじゃない知り合い程度の友人もみんな大学2年生になって、置いてかれた気持ちがずーっとあって・・・。華の大学デビューをみんなして、大学1年も過ぎて2年生になり落ち着いてきて彼女だの彼氏だのができて・・・。自分が浪人を続けているってことを知っている子は「逆に気を使って」連絡を控えてくれたりして。それがかえって傷ついたりもして・・・。

当時はホントにこんな気持ちまで行きついてこじらせにこじらせていました(童貞だったし)。みんなが「童貞卒業したワww」とか、「乱〇したw」とか「ヤリサーでさww」って話を聞いたりするわけです。
でも、寂しいから会ってくれること自体が嬉しかったから、それでも一緒に会ったりした、友達と
自分は当然ですけど、新規の友人も一人も作らんかったわけですから彼女の一人だって浪人中はできませんでした。そりゃあそうっちゃそうだけど。自分がわがままいってやった浪人だし、支えてくれる彼女はもとよりいないですし、家族すらも二浪目は目を見てくれなかった。ホントに2人・3人か・・・その月1で集まって会ってた東京の子達と、自分が1浪目に国立大受けたとき、怖くて寂しいって言ったらわざわざ身銭切ってまで東京来て一緒に前のりしてくれた幼稚園からの親友(そいつはキーエンス行った)だけか、応援してくれてたのは・・・。でも、そういう友人がいてくれただけ私は幸せ者ですね、今思えば・・・。
大都会東京で、あんなに人がごった返す中、基本的にずっとずっと一人だったんです。2浪目にもなると、1年目と変わらず授業料もタダだったので同じ授業出るくらいならって思って授業蹴って自習室で勉強したり、家で勉強してました。ほぼ宅浪みたいなもんですね。余計病みそうになったけど・・・。

「互いの〇〇を舐めあってることか」を小さいセリフで書いたのは
もうしゃにむに言ってらんなくなりますよね
大学時代まで童貞だったのでこれは当時見ててガチで効いた。
一浪目って、意外と高校同期でも一浪組は結構いたんですよね。だから割と心強かったというかなんというか。只2浪する子はほとんどいなかった。というかうちの高校では私一人だったんじゃないかなあ。少なくとも中学高校の知り合いで自分が知る限りでは2浪してるのは私だけでした。
だから寂しかった。本当に寂しかったんです。
正真正銘の「孤軍奮闘」です。いや、受験って結局最後は「己の力」に頼るしかないので、孤軍奮闘という表現が正しいとは思わないのですけど、当時はそう思いました。本当に、本当に孤独でしたね。よく死なずに生きてこれたなって思います。
手元には常に「僕の小規模な失敗」と「僕の小規模な生活」シリーズを置いてました。枕元に。毎日とは言わずとも週に1回は読み直してたかな。
今回この記事を書くにあたり久々に読み返しているのですが、懐かしい気持ちになりますね。

ここら辺のムーブは本当に僕は好きです。福満先生。。
自分はもう童貞じゃないですけど、そん時ってそんな感じだったというか・・・なんというか・・・。
マンコ舐めたい!!!!!!ってなる瞬間は 確かに ありましたね。
うーん、書いてて恥ずかしいケド・・・。
〇そして日々は過ぎてって
自分は冬は好きな季節です。ちょうどこの記事を書いている11月下旬から、年明け位までの頃。空気は澄んで景色は綺麗だし、寒いながらも厚着して着こめば外は出れるし、ファッションの幅も広がるから。
でも冬でイヤだなって思うところは、「日が早く沈む事」。夜が来るのが早いし、朝が来るのが遅いから、怖いんです。このころを今でも思い出すから。人生の先が真っ暗で全く見えなかったころと重なって今でも、そういった面では冬はそういう面では嫌いですね。
そして成人式を蹴って、同窓会行って。みんなに応援されながらもしょんぼりしながら・・・一喜一憂もこのころはもうなく、やり尽くしてもう成すことは無しという事で1次試験受けました。
・・・。それで、地方を受けることにして。Awayになるし、怖くて怖くて。
知り合いもだーーーーーーーーーれもいないところを受けました。
そして受かって。不安な気持ちマックスで、医学部生活へ突っ込んでいくわけです。
このころは完全に「自分の自信を喪失」していたので、「ホントに自分は医学部でやっていけるのだろうか・・・?」と言った自己肯定感底辺の状態で生きていました。1次試験の利用だったり、流石に2浪目の時は普通の学部も受けたので、医学部蹴って他の学部にさえ行こうとしました。それで親とケンカしたりしました。
余りにその地方医学部というか自信を喪失し完全アウェイの場所でやっていける自信を完全に喪失していた私は、進学の有無を決めるとき地元にその時帰っていたのですがその東京の月1で会っていた友人を「地元に帰ってこい」と呼び出し(マジで全員その日のうちに特急で帰って来てくれたのは本当に嬉しかった)、夜通し「俺、大丈夫かな、医学部やっていけるかな・・・」って地元でよく集まってだべってたマックで相談しました。ホント、よく東京からわざわざ僕の為に来てくれた、ホント、ホント嬉しかった。そこで「行ってこい」って言われて。行こうって思ったんです。自信は消し飛んでたけど。今でもそいつ等とは付き合いがあります。有難いですね。
・・・。でもね、自己肯定感は最低のまんま過ぎました。呪いみたいなもんですね。
結局医学部人生6年間、その自己肯定感底辺のままで過ぎ、ストレートで卒業できたながらも、身体もメンタルもボロボロに酷使して何とか医師免許を手に入れるわけです。
1単位落としたら留年です。医学部の世界。最近の医学部って「除籍」とかがあるらしいです。だから常に怖かった、自信がミリほどもなかったし(2浪で自信なんて消し飛んでたから)、周りの方が自分より圧倒的に優秀で恵まれている人間だと思ったから、自分はその時できるすべてのことをやるしかない、その時の「最善の選択肢と最善の行動量をキープする」事で何とかするしかないと思っていたので、6年間授業は全部出ました(無遅刻無欠席)し、ガッツリ部活もやった。6年間の殆ど主席でしたけど、好きでとってた訳じゃなくて、「やれるだけやらなきゃダメなんだ」って思ってたから。「やれるだけやらなきゃダメなんだって思っていたから」。「やれるだけやって、それでだめなら自分の能力の、地頭のせいなんだろうって言い訳にできるから。だから・・・常に全力最大値限界でやるしかなかった」。
医学部時代もよく歯噛みしめてボロッボロ泣きながら勉強してた。ダメ人間でカスでうまくいかない失敗体験が常にチラついて怖かったから。おかげで今でも365日300日位悪夢は見ますし、歯茎は歯ぎしりの影響で20代にして既に60代の評価で。
「手抜けよwバカw」ってよく言われた。
でも「手の抜き方がわかんなかった。」
だって抜いたら過去の自分が襲ってくるような感じがしたから。だから「やれるだけやった」。弱い自分が嫌で常に常に後ろ向いてたけどやり続けたんです。

中高の友人は皆社会人になったり結婚したり子供産んだりどんどん進み続けてました。
私はと言えば部活やったり勉強したりするくらいで・・・。20代半ばまで・・・。
やれるだけやった結果、なぜか部活の幹部の部長もやったりするはめになった。断ったり、休学すれば部長はやらなくなっていいとも思った。だけどそれをすることによって村社会の医学部で過ごしにくくなるのが嫌だった。だから甘んじて受けるしかなかった。
(医学部は本当に世界が狭く、村社会で差別=この世の終わりだった 一学年100人いるかわからない世界、6年いても600人いないとなれば、狭いですよね。噂とか、その日のうちに全学年に知れ渡るくらい狭い世界だった。)
部活の部長をやりながら臨床科目ガチらなきゃならない学年、部活の部長勢は必ず1単位かなんか再試験にひっかかるというジンクスが10年くらいあったらしいですけど、自分はその再試験に一つもかからず首席でその学年を終えました。
ただ、代償として血便と多量の下痢に襲われ、今はもう回復したから笑って言えるけど、20数歳にして60歳以上が食う介護食品で栄養を摂り、介護用おむつを履いて授業と試験を受けた。1年で体重が15キロ以上痩せた。
同期の誰にも言っていないけど、家にいるときはゲーゲー不安から嘔吐をずっとしてた。吐き癖がついたとかじゃあなくて、気持ち悪くて嘔気があって吐いていた。だから体重が増えなかったのかな。純粋にメシも食えなかったけど。そりゃ15キロも一年で痩せるよね。それ位ギリギリで生きてたんだ・・・。誰にも、だれにも言っていないのでここに書くけれど・・・。
病院で今生で最も強いといわれる下痢止めと抗不安薬を出してもらってその薬漬けになった。それでも何とか「やれるだけ全部やった」。
余りにもつらかったから、自分は自分自身が「第二次世界大戦の旧日本軍」に所属しているものだと仮に自分の中で思い込ませることによって、玉砕よりはマシだと、玉砕よりはマシだと思い込んで暗示をかけることによって何とか乗り切った部分もあります。実際に軍事に従事する経験があるわけではないから見様見真似ではありましたけど、自分が軍所属・最前線で命なんて軽々捨て去れなければならないポジションだと自身に言い聞かせ暗示をかけて何とか何とか、ギリギリ、自分がホントにこの一瞬で死んでもいい、いや死ぬかもしれない、死んでもしょうがないと思わせるように暗示をかけたことで、何とか乗り切れた部分もあると思っています。これは・・・ガチかどうかで言われると、中々信じてもらえないかもしれないんですが、本当にガチで「そのつもり」で生きました。だからこそ乗り切れた。本当にギリギリだった。これ誇張なく実際そのつもりで生きていたんですよ。

「あんたが決めた選択肢でしょ」とずっと言われ続けたんです。
入ってみて分かる「思ってた世界と違う」のはあります。でもそれでも「自分で決めた」からこそやり続けるしかなかったんですよね。誰かのせいにはできなかった。自分で2浪までしたわけですし。
だからこそなんですけど、これ後悔すると身バレ(それ位ヤバかった)になるんで公開してないんですけど実はとんでもない疾患をもう一個発症して、本当に死ぬほど苦労しています。今はもう何とか治まって来て笑って流せるけど。=この文章書いた時点でバレそうではありますが。狭い世界なのでね・・・医学部・・・。
結果部活の部長でも歴代1と言われるくらい最高のパフォーマンスができたと評判になった。勉強だって1番だった(主席だった)。
今思えば、ホント自分マジで「とんでもねえ執念だな」って思います。
ただただ自分が嫌いで自分に対する憎しみを「原動力」に頑張ってたんです。

自分の自負に「バーサーカー」を名乗るんですけど、この記事に書いてある内容から来ています。家族からも心配されるくらい身体酷使する傾向がこのころに身に尽きましたね。良くは無いんですけど、いつだって「死んでいい」って気持ちで生きてました。それは今でも変わりません。
只「後ろ向いて自殺じゃなくて、前のめりでぶっ倒れて死のう、それでやれるだけやって死ぬんなら、別にイイや」って思ったし今でも思っています。
これはワンピースを読んだりする前に、自分自らでこの答えに辿り着きました。
その後に「創作品でそういった考えのキャラが居ることを知って好きになるわけです」。
(ワンピースのコビーの考え方だったり、メイアビのワズキャンが好きなのはここからも来てますね)。だからこの子たちは私の生き写しみたいで、本当に好きです。


それをやっても、自分の失った自信は戻ってこなかった。だからずっとずっと泣きながら、6年間過ごした。
それで国家試験通った。研修医もきつかったけど、何とか2年終わって。
そこで初めて、呪縛から解き放たれたかのように「スーッ」と目の下のクマがちょっとだけ薄くなりました。
僕にとっての、「僕の小規模な失敗」はやっと、やっと初期研修が終わってから、終わってから終わりを迎えられたんだなって、今思い返せばそう思います。
今は過去に比べて少しだけ自分の自己肯定感を高められ、医師としての矜持もある程度持てるようになったと思います。そして僕なりの「僕の小規模な失敗」が終わったことで、僕の「夢をかなえた」んですね。
だから、今明日にだって私は死んでもいいやって思います。
でも後ろ向きに自殺みたいな形で死ぬのはまっぴらだし、自分の命を無駄にはしたくなくて、自分が納得する形で前のめりで死ねるなら、本望だなって今もこの瞬間も思って、私は生きています。
まあ、その分の代償は引きずってますが・・・(薬漬けなのは何とか今減量中、何とか他の面ではガッツリ健康に気遣って生きてる)。
自分が「ベンゾ系」の抗不安薬をむやみに「出さない事」に抵抗を覚えるのは、自分自身が過去に「こういったベンゾ系の依存性は強いけどSharpに効いてSharpに切れるBZD系抗不安薬に頼った経験がある」からなんですね。
マジであの頃、ベンゾ(デパス)無かったら多分死んでた。それ位依存というか、必須アイテムでした。
自分が精神的なメンタル疾患を持った患者さんを「プシコ」と呼びたくないのは、自分がギリギリまで追い詰められて、ギリギリの状態で「BZD系」薬剤に頼った経験もあるからです。本当に人間、追い詰められるとしゃにむに言ってられなくなります。自分もそうやって、何とかベンゾの力を頼って、ギリギリの状態で医学部突破した経験があるので、ベンゾジアゼピンwとか言って「プシコプシコw」って言う同僚のことは嫌いです。必要悪と思う部分もあるから。
デパスとかね。
確かに飲まなきゃいい薬剤ではあるし、安易に処方していいもんじゃあないです。
だけどね。
だけど。自分がそうだったから・・・。だからこそ、だからこそ、そういった飲む必要が「ある」患者さんの気持ちも「分かる」つもりでいます。自分がそうだったからね。
ギリギリというかまずそもそも「大学行くのがやっと」なクソ貧乏な農家の出身で、学費タダになったとはいえ東京に2年間無職として住まわせてくれた家と、無理くり借金してまで学費の工面してくれた親。そんな状況で「1単位落とせば留年」となれば、自分だって命かけますよね。
気持ちというか、気概がもう根底から他の子とは違ったつもりでいます。
それ位覚悟をもって、信念をもって医学部に来て、医者になるために死ぬ気で、本当に誇張抜きで死ぬ気で医者になったんです。
まあ成績良かったお陰で、給付型奨学金もらえたのは良かったです。多少楽に親の負担減らせたかなと思うので。
私だって、下に弟がいる長男坊の生まれで。自分のせいで、自分が背負った家が、何代も貧乏ながらも続いた「農家の家」がつぶれるのは嫌だったんです。
・・・。・・・。だからこそ、だからこそ必死に戦ったんです。2浪もさせてくれたわけだし。その祖父だって、もうこの世にはいないし、祖母だって、認知症でもう私のことすら忘れてしまって(祖母はDLB)。
・・・。私が私で生きるためには、こうやって強くある必要があったから、後悔はしていないし、そういった薬剤のお陰で助かったところもあるから。
だから・・・だから、安易に「コイツプシコやw」なんて言いたくは無いんです。
歯ァ食いしばって泣きながら泥すすって何とか這いつくばってここまで来たわけだから。自負があるのです。
〇後ろ向きだけど、前に向いて進む力
福満しげゆき先生の魅力は「これこそが本質」だと思うのです。
先生は確かにネガティブで後ろ向きで・・・それでも、それでも現状では「いけない」って思って、「後ろは向いているけど、後ろ歩きでも結局前には進める」行動力を持っていると思っていて。
私は先生の作品に出合い、先生の作品を読んで、「そうあろう」「そうあれかし」と思ったのです。
後ろ向きだって、ネガティブだって、人は前に「進めるんだ」って
私の心に訴えかけてくれたのです。本当に、本当に心の底から・・・
福満先生は私にとって、恩人のような存在なんだなって思うのです。
そんな、そんな記事を書きました。
先生、エゴサの鬼と著作を見て思います。どうか読んでいただければ、嬉しいです。先生のお陰で、私は私の人生をうまい方向にもっていくことができました。
本当に、本当に・・・ありがとうございました!
