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メンタル安定剤としての「推し」について

「推し活」、流行りですよね。自戒の記事でもあります。

メンタル安定剤としての推し活はいいけれど、それにかまけて自身の成長を止めちゃいけないと思うなあという話をします。

後どっぷりつかり過ぎると死ぬど!・・・たぶんという話をします。

いや、別に強制する権利なんて自分には無いので、いいんですけど・・・。

追体験できるのは、いいモンですけどね。

こんなツイートを見ました。

言い得て妙だと思います。というかまあ正しいかな?とも思います。

特に、「推し」相手が「ナマモン(←生きているの意)」ならなおさらです。
ナマモンじゃなくてもまあ気を付けなければならないもんでもあると思います。
自分もいわゆる「推し」がいないか?と言われればいるので、何ともアレなんですけど、一線を引いておくのは大事だよという話をしたいです。

かぶりつきでみてもいいんですよ。目一杯沼に使って頭まで浸かってもいいんです。只自分のことを忘れちゃならないんじゃないか?と思うんです

推しの凄さを手軽に追体験できる「推し活」、イイと思います。
気軽にドパミンも得られますし。只それは本当に自分の成長になるモノか?をまず考えて、進まなければならないのではないか?と思うんですよね。

一昔前に比べて(多分ですが)、アイドルの追っかけみたいなのを「推し活」と世間で認識され(心の意識下での)参入のハードルが下がった分、「沼にハマりやすくなったんでは?」と言うことを認識しておかねばならぬのでは?と思うんです


〇推し活という言葉

何時頃から流行った話なのでしょうか?ちょい前位までは「オタ活」って言われてたような気がします。自分は結構そういったサブカルの文化に触れなかった時代(元からすごいどっぷりなオタクではないですけど)が長かったので、サブカルの文化に又触れだしたタイミングで「オタ活なんて言葉があるんや」「推し活なんて言葉があるんや」ってなったクチです。

まあ身も蓋もなく且つトゲのある言い方をすれば「搾取」のとりつくろった言い方ですよね

ただこれは極論で、世の中全てをうがった見方をすれば「搾取」と言えるもんですし、これはかなり悪意のある言い方ですね

これは言い過ぎですね。

うーん。
往々にして多くのコンテンツは「推し活」と言い換えられると思いますが、そのうちの多くのコンテンツはまあ・・・要求される金額や時間は「常識的な範囲」に収まってると思うんですが、

一部は自分が見ても「ウオオ・・・」ってなるくらい金も時間もかかるコンテンツで、「スゲエ・・・」と思うところがあります

〇列的にいうなれば、特定のスポーツの特定のファンになるイメージと同列だと思う話

オタク文化が市民権を得た現代・・・。今の時代、こういったオタ系文化での所謂「推し活」って、同列に並ぶものとしては、昔から存在している「特定のサッカーチームのサポーター」みたいなもんだと思います。

昔からありますよね、サッカーとかだとサポーター(浦和レッズとか清水エスパルスとか)。
野球とかだと濃いファンがそれに該当するものだと思います。

アレと同列位なイメージ。後は野球とかもそうですね。熱心なファン層みたいなイメージがあります。

只ちょっとだけ違うなと思う点は、お金がかかるというか・・・、上述したヤツに比べて、「金」とか「時間」の持つパワーが強いということでしょうか?
サポとかであっても勿論お金はかかると思うんですけど、「「金と時間」」というものが「推し」に貢献するダイレクトな方法というか・・・。うーん、分かりますかね・・・この感じ。お金と時間をかければかけるほど、ダイレクトに「推し」に「貢献している感じ」が得られるイメージです。文字化するとこんな感じ。

もちろん、消費活動として見るのであれば凄いイイことだと思うのです。経済を回しますからね。

只、それを「食費」とか「生活費」とか「交遊費」とかをガチ削りしてまで追っかけることが出来ちゃうのが気になるんですよね。

食費生活費は論外として、交際費まで手を付けるのはマジい~って思うんです。一番削りやすいですけど、一番削っちゃダメなヤツ。

交際費は「「「大事」」」ですよ。
(無理にとは言いませんけど、個人的には飲めずとも飲み会とかは出た方がいいと思いますし、そこでしか得られない経験値もあります。友人づきあいで飲んだりとか食ったりも楽しいですよね。後は趣味でスポーツとかしたり。後は異性関係ですね。そこの交際費を削るのはマズイ。)

今別記事で書きかけていますが、「オタク=早死に」みたいなイメージがあります、と言った記事を書いてます。まあそれはなんというか理由がありまして、最近チラっと耳にしたんです(Xで)。ガルパンおじさんが死んでいっているみたいな話を・・・。ガルパンっていつ流行ったのかは詳しくないですけど、結構前ですよね。10年くらい経っているかもしれません。その当時から「ガルパンおじさん」と言うことで割と中年以降のオタクたち向けにガルパンは展開されていたのではないかと思うのですが、現代において、ガルパンおじさん界隈では「何人も既にこの世にもうおらへん」と言ったようなことがあるとかなんとか。
これです↓

不摂生とかなんだろうなあと思うところはあります(所帯持ちが少ないのもあるのかも)。コッテリした脂肪分たっぷりのもの、塩分過多、炭水化物過多・・・様々ありますけど、まあ食生活に限らず色々と不摂生に不摂生を重ねるとまあ早死にリスクは高まりますよね

ちなみに食べすぎもアカンですけど、食費の削り過ぎで栄養不足ってのもまあ洒落にはならんです。

メシは節度を持って正しく食うべし

あと食費を浮かすために腹が膨れるモノって大体身体に悪いんですよね。それもあると思います(←これはアメリカと同じですね)。

そう言う意味で、推し活って怖いよなと思うんです。純粋な自分の感想ですけど・・・。

〇近しい列でいうなれば「ソシャゲ」?

推し活文化のナマモン無しバージョンでいうなれば、「ソシャゲ」が近いのかなあって思います。

後述しますけど10連3000円とかバカみたいな額でカスみたいなデータ貰う訳じゃないですか。そら当たればいいっすけど・・・。

「節度を持ってほどほどに」、と言ったのが私のソシャゲに対するモットーでもありますが、Xとか見てるとスゲー額じゃぶじゃぶ出してる人がいて「スゲーなあ・・・」って思うことは結構ありますね。むろん富豪であればまだよし、一般レベルの人が生活削って金出してるのを見て「大丈夫かよ・・・」って思うんですよね(その人が本当に金持ちかどうかの是非は置いといて)。

ソシャゲが流行ってしまった結果、まあ日本のゲーム産業自体が一時(今も?)停滞した部分も一部分はあると思いますし、業界全体にも悪影響がある分、ウーン・・・何ともと言った感じです。

(その昔、ソシャゲ全盛期だった時に友人が言っていた「課金額は家賃の値まで」というミーム?みたいなのを聞いた時驚愕したのが忘れられなくて・・・)。

そう言った所謂「ソシャゲ」系と同列なのかもしれません。かかる金と時間的にも。

〇推しは推せるときに推せ←金言でもあり危険ワードでもあると思う話

今度時間ある時読んでみます。直球過ぎるぜタイトル・・・。

※前提として、「推してる本人が幸せ」ならいいと思います。否定をするつもりは無い事をまず前提に書いておきますね。

・・・。

これウルトラ危険ワードだと思うんですよね。


いらすとやさんのイラストの説明に
遠くで頑張っている担当や推しを双眼鏡で通して応援しているアイドルファン(オタク)のイラスト」とかいてあって火力が高すぎるぜと思った。
そりゃ推してるときは最高にシアワセだと思うんですよ、当たり前ですけど

推しは推せるときに推せ」って奴。特にこれは中身が生きてるナマモノを推しにしている界隈で多いイメージです。


なんで推せ推せ言うかって言うと、中の人が「引退」とかでいなくなっちゃう可能性をはらんでいるからですね。

観測している限りでは、YoutuberとかVtuber界隈・声優に多いイメージです。
後はバンド(とりわけインディーズ)とかそういったグループ活動系・リアルアイドルや地下アイドル系が次いで多いかなって感じ。

そりゃ「何時か引退する可能性があるわけ」だから推せるときに推せってのは正しいと思います。只思うのは、我々本邦日本人、横並びに並ぶのが大好きだーッって人間が多いですよね。自分もその一人だと思いますが、みんなが持っているものを欲しくなるし、みんながやっていることをやりたくなるもんだと思います。半ばもうそれは強迫的なレベルで

そらまあ、月に数百円で全部推せるよ~ってコンテンツであればいいですけど、グッズ展開、リアルイベント、投げ銭だったりチェキだったり・・・いろんな「課金要素」はあるわけですよね。

これ、いうなれば中身ナマモンなら「貢ぎ」と一緒ですよね。言い方スゲートゲありますけど・・・

これ個人的に意識していて特にメッチャ大事だと思うんですけど・・・↓。

こういった「金を投じる行為」や「時間を割く行為」の帰着点が「自分」に返ってくるのであればまだよし、「相手」に帰着させてしまうのはアカンと思うのです。満足のラインが際限なくなって青天井になりますからね。

貢ぎを「推し活」という言葉で煙幕張って分かりにくく大衆受けするようにしただけというか・・・。誰が作ったんだろうこの言葉。ホント、ある意味で「万人受けされるように改良された(金と時間の)貢ぎ」=「推し活」だと思うんですよ。

けむに巻くというか・・・。

そして受け取る側の視点から見ても、たくさんの金額を熱心に渡してくれる人の方が目につきやすいのはまあ至極当然のことです。特に目につきやすさはその推しの規模に反比例すると思います。

そうなると、ファン層にもカーストが自然にできる・・・みたいな。
それに対して更にこぞって金とか時間を捻出していくわけです。

ホント重ねて言うんですけど・・・・・・・・・・・・。

「相手のためだから」と言って金を落とすようになると、上述したように満足の帰着点が「相手」になってしまうので、いくらかけても満足の度合いは青天井化してしまうのです。そうなるといくらかけても自分が満足しきるってことは無くなってしまうと思うのです。相手の気持ちを完全に推しはかるということはこの世の中においてできないですからね。

お金はヒトによって額における価値が違います。これは残酷ですけどこの世の真理ですよね。
100万、1千万をはした金と思える人もいれば・・・
数万円が大金、と思う人もいます。

まあ横並びの我々とは言えど、皆が皆立場は違うわけで・・・。

職業しかり、それに伴う賃金然り

金持ちはいくらでもじゃぶじゃぶ金出せるし痛くもかゆくもないけど、ヒトによってはその金持ちが出した額が同額でも命の重みレベルってのもありますよね

その額が「いくらだったにせよ」です。

最近色々それで揉めてたりするじゃないですか。いただきうんぬんとか・・・。実際、ふたを開けてよーーーーく見てみると、そういった巷で話題のそういった「貢ぎ」みたいなこととベクトルの矛先はほぼ変わらんのでねえか?推し活ってのはよォ・・・って思うのです

勿論クリーン化されていて、ドロドロではありませんけど。

まあ・・・そういうことなんですけど・・・あんまりこの話題深掘りするとなんか自分いつか東京湾に浮かびそうなので、ほどほどにしておくとして・・・。

↑以前書いた記事です。過去バブル時代(?)に存在していたという単語たち。アッシーくん(車出してくれる男)、メッシーくん(飯を奢ってくれる男)、ミツグくん(モノを貢いでくれる男)と現代のオタクくんについての話。
こう、「今も昔も変わんねぇんだなァ・・・」って強く思います。

〇簡潔に

推しは推せるときに推せ」は大事だし大切ですが、節度を持って推せる範囲で推してほしいのが個人的な思いですね。

別に他人のことだから知らね~ッと言えばそれまでですしこんな見も知らぬ相手にこんなこと言われて腹立つわ!と思われるのも当然なんですけど、

後になって、何かその人に残るモノがあるか?と言われれば、「思い出」は残るかもしれないけれど、何か物理的なモノやスキルが残るか?と言われたら分からないし、貴重な時間をそればかりに費やしてかまけるのもどうなんだろう?と思うから書きました。

推し活は「虚像である」ということ、忘れることなかれ
と自分に対しても言い聞かせています。

※もちろん、何のリターン(スキルレベルUPとか成長)無しで、損得勘定抜きにして何かをやることは人生において「「「大事」」」だと思うのです。だから、悪い事とは思わないけれど・・・節度というか、満足の帰着点を自分にしてほしいなって心から思うのです。

〇もちろんリターンは当たり前だけどある

たぶん端的に表した画像はこれだと思います。「後方〇〇面」って奴です。
出しているのはお金と時間だけってことを自覚せねばならぬのです。推し活は・・・。

推しの活動を応援することによって、推しが活躍してスターダムにのし上がっていく風景を後方から腕組んでみるのは、気持ちのいい事なんだと思います。きっとドパミンがドバドバあふれ出て、気持ちがいい事なんだろうと思います。

手軽にドパミンが得られ、一体感も得られると思います。

そう言ったリターンは、どんな推し活分野においてもあると思っています。

只、それで「満足」しちゃいけないんじゃないかと思うんです(次項に続きます)。

〇手軽にハマれ、手軽にドパミンが手に入る分停滞しやすいと思うの話

手軽にハマれるじゃないですか。

後は金銭を出したり時間を捻出してイベントに参加したりすることで一体感やドパミンを比較的簡単に得ることができますよね。それも確実と言っていいほどに100%ある程度の一体感とある程度のドパミンを得ることができます。感情を高揚させることもできます

お手軽なドパミン生成剤みたいなもんです。悪いもんではないんですよ。使い方次第では毒にもなるけど、普通に使えば薬にもなるよて感じで

や、容量用法を正しく・・・と言った感じがいい表現なのかなと思うのです。

只この「推し活」だけにどっぷりハマり切ってしまうと、生活が爆散しかねないんじゃないの?ってのを重ねて言っているのですが懸念しているのです。

推し活に生活の全てをささげると、自分の人生において「停滞」をもたらしかねんよって思うんですよね。

気づいた時には回りの友人や知り合い程度の人たちの近況を聞いたら自分よりもはるかにライフステージを進めていた・・・なんてことも、十分あると思うのです。怖いですよ、これ。

人一人一人それぞれに人生があって、それの主人公はその人にしかなれないのです。
本当の俺なんてもんは無くて・・・今を生きるこの瞬間の己こそが「(本当の)俺」なんですよね

自分はまだ若いし、大丈夫や!なんて思ってると多分気づいたらスゲー時間たってると思います。これはガチ。自分まだ20代ですけど、なんか想像できますもの。無理くり沼にハマって気づいたら手遅れだった、みたいな。

若いうち、私も今独り身ですけど、今は良いけどこれ40、50代になってから独り身で回りに誰も頼れる人おらんって状況になったらきっとキツイと思うんですよね。いや、多分キツイと思います。

極端ですけどね・・・。「自覚」の有無は大きいと思います。

・・・。最近、セルフネグレクトの有名な作品「美緒48歳」を読んだんですよ
ああはなりたくないんですよね。そしてああいう人が増えてほしくないんですよ。他人だろうが、幸せに生きていてほしいんです。自分は・・・。

これ、Memeとしては知っていたんですけど本編えぐかったなァ~ッって思います。

むしろこっちの方が効く画像だと思うんですけど↓

洒落になんねー火力 まあこれは極端な例だと思います・・・たぶん。
たぶん・・・。

自分を大事にしてほしいんですよ・・・。
そしてまあ後は、若くしてDM(糖尿病)なんてなられた日にゃ我々にとっても負担しかねえわけで・・・(そりゃクリニックとかで働いてたら我々は儲かるかもですけど)。

〇推しが頑張ってスターダムをのし上がる事≠自分の成長ということ(←これが一番言いたいこと)

※スターダムにのしあがる:当世の社会から強く支持される様子のこと、芸能の分野で成功して著名人になる事。

こと「推し活」において、推しが成長してスターダムにのし上がっていく姿は、「推している自分」に対し追体験と感動、そしてドパミンと一体感を与えてくれますが、あくまでもその本質は「推しが成長したこと」であり推している側は「それに協調しているだけ」と言うことを忘れてはいけないと強く思うのです

勿論、その「推している自分」がいなければ「推し」がそこまで駆け上がれなかった可能性は「ゼロ」ではないですし、「推してくれる存在」と言うものは「推される側」にとっても重要な存在だと思っています

〇推しが頑張っているなら、「俺/私も頑張ろう!」の意

これです。これ。これが言いたいんですよ。推し活することで得られる快感やドパミンを、自身の人生に活かしてほしいんです

無論そういう人たちも既にいっぱいいると思います。そういった人たちが多いのだとも思います。
推し活に参加している人たち全てを私は俯瞰で見ているわけではないし、それはいうなれば「神」に等しい視点なので自分には無理なのであくまで推測となるのですが・・・。

推し活を生きがいに、勉強!運動!素晴らしい事だと思います。
活力を推し活で回復させ、自身の人生さえ自分で推せるように・・・!
仕事もそう。推し活で得られた活力で、頑張るとか凄いイイと思います。
職業に貴賤無しです。全ての働く人たちがいてこそ、この現世は回っているのです。
自分のこと、少しは誇りに思ってもいいと思うんですよ・・・。

人生はつらく、今生というものは苦界に等しい存在だと、個人的には思っています。理不尽ですし、容赦ないですし、頑張っても報われないことは多々あります。只それゆえに、美しい世界だとも思うのです。捨てたもんじゃなくて・・・。

その世界に生きる我々、「自分自身」において・・・、人生という苦行の「逃避行動」として「推し活」をしてほしくないのです。後ろ向きです。
「推し活」によって前向きに、己自身の人生を「前向きに」とらえてほしいんだよなって思うんですよね。これは自戒でもあります。

それが、言いたいんです。追体験したっていいと思うんです。それでメンタルが安定化するなら。只自分の人生があることを忘れるなかれ!って思う感じで・・・。

〇まとめ

自分の人生の主人公は、自分なわけですから・・・どんなに不幸だったって、どんなに不幸だと思っていたって、人生の最後には「悲劇だったなァ~ッ!」って笑って終えられる方がいいじゃないですか。
世の中の本とか作品は、みながみなハッピーエンドじゃあなかったりするじゃないですか。バッドエンドもあれば胸糞で終わるものもあったりしますよね。それと同じように人生は十人十色の世界で、終わり方も様々・・・。だから、悲劇に終わるもんだったとしても「良い人生だったァ!」って思って終えられるのが、いいんじゃないかって私は思っているのです。どんな人生だったって、等しく素晴らしく、優劣なんかつけれるもんじゃないと思います。

だから、自分の人生の主人公は「自分であること」を忘れてほしくないんですよね。私は・・・。

そういうことを、言いたかったんです。推し活、良い文化だと思います。

ほどほどに、ではなく・・・ガッツリ推すのもいいと思います。

それを自己に還元して、頑張ろうゼ!って思う話なのです。

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