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《超適当雑記150》2025年11月24日(月)【写真に収まりきらないもの】

〚6510文字〛
こんばんわ。入谷です。
まず感謝とご報告についてお伝えします。前回までの記事について、マガジン等にてご紹介していただいた方々へお礼申し上げたいと思います。


■感謝とご報告〚243文字〛 

明日見健作 青春の旅 さま

空蝉さま

ももさま

高岡筑風さま

メルト&クリエイトさま

コツコツさま

カオリ│星詠み✕アートさま

ペリン🍡さま

より、8名の方から、以下の記事、

について、 
マガジンへ追加していただきました。
今回は旅行記ということで、大量の写真と4500文字を超える記事にもかかわらず、取り上げてくださり、大変感謝しております。
皆様のご好意がいつも励みになっています。どうもありがとうございます。どうぞ、今後とも宜しくお願いしたします

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■写真に収まりきらないもの〚6151文字〛

・はじめに・

この間、箱根に行き、撮影した写真を旅行記として記事に纏めました。見てくださった方、スキ、コメントくださった方、ありがとうございます。
取り分けて良いものを選んだつもりですが、本当に美しい瞬間は、切り取って写真に収めることが改めて難しいと感じました。

山々を染める秋の紅葉、野生動物、自然の趣き、雄大な大地の息吹。
苔生した側溝から立ちのぼる湯けむり、癒しの温泉街、賑わう観光客たち。
その土地が醸し出す町並みの独特な雰囲気・・。

それらはおおよそ、移動中に遭遇した景色ばかりです。
もちろん車を降りて強引に撮影することは可能だったかもしれません。

けれどそれをしませんでした。
写真に撮った途端、その時感じたもの思い出までもが薄れていくのではないか、と、心配になったからかもしれません。
写真と記憶忘却に関する心理学の研究もあるようですが、心に留め置きたいと思うものにはいつも、スマホでは収まり切らない何かが宿っているのでないかと思うのです。

人生で遭遇する出来事もまた、一度きりの瞬間の連続で、思い出はたった一度だから美しい

心のアルバムを開けば、ふと溢れ出す、素敵な一期一会の思い出。
その頁に触れた時、色鮮やかに蘇ったのは、バスの隣席でお茶片手に明るい笑みを浮かべる高齢の男性の顔

僕がAさんと出会ったのは17年前2008年夏のことでした。
まだスマホもなかった時代の話です。

・写真に収まりきらないもの・

ー1ー

「お兄ちゃん、隣空いてる?」
「座席表の隣の姉ちゃん、やけに気難しい人だから添乗員さんに言って移動して来ちゃったよ」

2列シートを1人で占拠していた僕は、慌ててイヤホンを外し、少し怪訝そうに会釈しました。
彼はそれを了承と受け取ったのか、ドカッと隣に座り、リュックからお茶を取り出して飲み干した後で、「いや~今日も暑いね~。お兄ちゃん、どこから?」なんて世間話。

彼は78歳で、Aさん(仮名)といい、話好きの明るい雰囲気を纏った、仙人のような風貌の老人
足腰もかくしゃくとしており、元気な方でした。妻や友に先立たれ、病気も回復したので、最近は一人で色んなツアーに参加しているとのこと。

そんな自己紹介が終えた途端、Aさんは突如、マシンガンのように話し始めます。余程話が好きなのだろう。好きな曲を聴いて、一人で車窓を眺めながら物思いに耽ることも許されません。

Aさんの元の座席を見ると、同じく一人旅らしい隣の姉ちゃんが不機嫌そうにしていて、即座に納得します。
僕自身もまた、せっかくの一人旅が台無しになってしまったことを残念に思いました。とは言え、楽しそうに話し掛けてくれる相手を無下に振り払うことが出来ず、旅行中、取り外したイヤホンを再び耳に装着することはありませんでした。

ー2ー

当時僕は22大学を卒業して間もない頃で、病気療養を理由にモラトリアムの低きに流れて、引き篭もりの友達の家に居候しながら、株と少しのアルバイトと、絵や小説を書くことに明け暮れる日々を過ごしていました。
でも才能がないことはすぐ分かりました。
絵も文章も中途半端
おまけに投資の才能もないと思い知らされたばかりでした。

始めた頃はそれで身を立てると決心したものの、若さ故の早合点思惑が外れたショックは大きく、就活時期に眼病を発症したことをネガティブに捉えたり、新卒カードを蹴ってこの道を選んだことに後悔したりと、不貞腐れた気持ちに心が覆われていきました。
その時は母親とも不仲でしたので、自分には行く場所もありません

何でもいいから変えたかった

そんな折、ふと申し込んだ格安のバスツアー
滋賀・大津のホテルに連泊する朝夕食事付き3泊4日のフリープランだったと思います。行き帰りのバスと食事だけが付いた自由旅行です。
この場所からであれば、琵琶湖周辺を見て回ったり、電車に乗って10分弱で京都にも行け、色々と観光できるというのが旅行会社の売りでした。

しかし僕の旅の目的は、専ら缶詰めになって絵と小説に没頭するため。そして今後の人生について考えるためでした。

それがよもや、偶々隣の席になったお爺さんの話をずっと聞かなければならないという苦行になるとは、思いも寄りませんでした。

まだバスが出発30分も経っていないのに3時間位の長さに感じました。

基本的に僕が聞き役。それでも年長者を敬う気持ちはあったので、相槌と納得と共感を交互にしながら、学ばせてもらっているという態度で聞いていました。

するとAさんは余程気を良くしたのか、もう油を口に塗りたくったかのようにお話が止まらず、その達者ぶりには感心すら覚えるほどでした。

行きのバスの中では誠に色んな話を聞きました。
他愛ない世間話から政治や経済、社会情勢、病気の話、自分のしてきた仕事の話、家族の話、孫の話、そしてAさんの人生史に至るまで。

Aさんは1929年生まれ。同郷の千葉出身ということもあり、戦時中の千葉駅周辺がどんな風であったかなどについても教えてくれました。
僕は千葉の戦中戦後の歴史に興味があったので、自分からも質問をして、貴重な話を聞くことが出来ました。
Aさんは学徒勤労動員で食糧関係の仕事に従事していたそうで、ある時駅近くの保管庫で働いていて、爆撃に遭ったという話はとてもリアルでした。

さらに付近の地形や地理にも興味のあった僕は、自分の生まれ育った地元の意外な成り立ちについて知ることとなりました。
そしてこれは偶々か、天の采配か、Aさんは、地元でも一部の人しか知らないとある場所の歴史について知っており、情報を共有できたことに妙な喜びを感じました。

その時、僕はふと思ったのです。
僕の求めていた旅行はこれだったのではないか、と。。

どこかのSAで一緒に昼飯を食べている時には、最初に感じたものは消えていました。

ー3ー

東京から滋賀ですから道のりは長く、6、7時間は掛かったと思います。
その間一緒に過ごしていれば、どうしたって流れ的に、僕の身の上話もしなければなりません。

会社が休みで旅行に来ているんです、と偽っておけば良かったものの、最初の自己紹介で、大学を卒業したばかりでほぼ無職です、と打ち明けていたので、今更嘘を言うわけにもいきません。
今度はAさんが聞き手になってくれ、何故か僕が『就職』『今後がどうしたらいいか分からない』という内容の人生相談をする形になりました。

Aさんは年長者らしく説教っぽい内容のことを言ってくれましたが、頑固で押し付けがましい部分はまるでなく、寧ろ柔軟で理解ある態度で若者を諭してくれました。

「病気は仕方ない、病気でも若いうちは好きなように生きても良いんだ。
 好きなように生きていると失敗する。失敗したら工夫して改善して工夫しての繰り返し。
 そしたらそれが嫌になって、そのうち嫌いなこともやってみようという気持ちになるよ。
 お兄ちゃんが嫌だなと思うものの中に答えがあるのかもしれない。
 それで、その答えもいつか違うなってと思う時が来る。そうしたらシメたもの。
 間違えを見つけるほど自分というものが見えてくる」

当時は派遣切りや前年の米国のサブプライムローン問題など、経済や雇用が不安定な時期でもありました。

「今は不景気で仕事は中々難しいけど、準備期間と思ってやれることをやったらいい。
 病気だからって遠慮しちゃいけないねえ。遠慮はジジイになってからするくらいでちょうどいい。
 仕事はもう少し待てば、きっとお兄ちゃんに合う仕事に就けるかもしれない」

それはとても新鮮な瞬間でした。
僕には人生を相談する相手がいなかった
大学1年で家を出て以来、母親や親戚とも疎遠になり、大人からの助言なんてありませんでした。
何より、学費も生活費も全部自分で賄ってきた自負があった自分にとって、傲慢さもあれば、病気に対する怒り社会に対する反発心もあった。
だけど、Aさんの言葉は優しく染み入るもので、率直に言うと、感動を覚えたのです。

ー4ー

フリープランとは言え、バスの中でここまで互いの話をしておいて、旅行の行程中、別行動をするというわけにもいかなくなりました。
部屋に缶詰めになって絵や小説に没頭しようと思っても、食事の時間になれば迎えに来てくれて、何故かホテルの大浴場でも偶然一緒になります。

それで僕は当初計画していたものが全部なくなり、2日目は一緒に京都へ行き、近場の伏見稲荷や清水寺を観光することになりました。

老体のAさんに併せての移動。でもそれも不思議と嫌ではなかった
絵や小説はいつでも書けるけれど、この人と過ごす時間はこの瞬間しかありませんその縁に何かの意味が込められているのもしれない、と、甘んじて引き受けることにしました。

歩き方をよくよく観察すると、Aさんは右空間無視の気があるので、バスで話していた脳卒中の後遺症と思われました。
夏の京都は特に暑く、Aさんが脱水症状で倒れやしないか、昨日初めて会った老人の身体を心配するようになりました。
適宜、飲み物を渡して水分補給を促したり、甘味処のお茶屋で休憩したりとゆっくり過ごしました。血縁の祖父にも見せたことのない気遣いをしている自分に驚きます。

しかしAさんは元気で、三年坂も神社の階段もぐんぐん上がっていきます。

「もういつ来れるか分からないからなあ」
「できるだけ見ておきたい」
「京都には何度も来ているけど、一度たりとも同じ景色はないんだよね」

Aさんはしみじみ言います。
僕は京都が初めてだったので目新しく感じましたが、年を取ると、同じ景色の中に違うものを見つける能力が宿るのだ思いました。

ー5ー

3日目は曇りで気温も低く、昨日の京都より涼しかったので、近江八幡長浜まで足を延ばし、琵琶湖の真ん中にある竹生島にも船で行きました。
もうその頃には当初の旅行の目的を忘れ一生に一度となるであろう、Aさんとの旅行を楽しむようになっていました。

話好きで、猛烈トークをかましてくるAさんですが、会話は一方通行ではなく相手の話もよく聞き、聞いたうえでちゃんと返してくれる方でした。
勿論、Aさんの人付き合いの上手さがあったのかもしれませんが、初対面の人間とこんなに打ち解けたのは後にも先にも初めてのことでした。
また、Aさんは戦国史に詳しく、長浜では、まるで観光ガイドをしてもらっているかのような場面もありました。

琵琶湖のほとりを散歩していると、途中雨が降って来たので、ホテルのある大津へ戻ります。

夕食まで時間があったので、ホテルのラウンジ(といっても簡易的な談話スペース)で話をしながら待つことにしました。
旅行の中で一番印象に残ったのはやはりこの時間でした。

他愛のない話から見て回った場所の話。話題は変遷していきましたが、やがて日本経済の話になり、当時の社会問題を露呈させた秋葉原連続殺傷事件の話になりました。

その事件については僕も気になっていました。
正確には《僕が》というより、同居する友達犯人(の元死刑囚)の男について関心を持っており、事件から2ヶ月経った後もずっと調べていたからでした。

友達も僕も、言ったら、社会のはみ出し者
僕は殆ど無職に近いフリーターで実家にも縁が薄く、おまけに複数の持病を抱える身
友達も友達で、家庭と経済の問題から一人暮らしを余儀なくされ、大学を中退して引き篭もりのネット廃人互いに「ああはならないようにしよう」と誓いながらも、どこで道を踏み外してもおかしくない状況でした。
そして同時に社会に対してコンプレックスを抱いていました。
自分らは社会不適合者で、レールから外れてしまったことで、どこにいても偏見の目で見られることを恐れていました。
(※この時一緒に住んでいた友達は翌年2009年に就職します)

Aさんにとって、僕が不安定な生活を送っている若者で、相当思い悩んでいるように見えたのでしょうか。
病気の不安はありましたけど、自分ではそこまで追い詰めるられているところはなかったのですが、
どうやらAさんは、僕と年の近い孫がいることもあってか、目の間にいる若者のことを気に掛けてくれたのでしょう、

「人生上手く行かなくとも、人を傷付けるようなことをしちゃいけん」
「悪いことをしたら、自分の未来や可能性を全部失うことになる」

と、真剣に力を込めて勇気付けてくれたのです。
そして改めて、「仕事はもう少し待てば、きっとお兄ちゃんに合う仕事に就けるかもしれない」と言ってくれたました。

それからAさんは、僕に、苦悩する若者という、想像通りの印象を抱いていたことを打ち明け、「ちょっと心配だった」と言って笑っていました。

僕はとても嬉しかった。

家族連れや中高年グループばかりのツアーに1人で参加する、定職に就いていない、茶金髪でピアスの空いた社会から外れてしまった若い男
そんな男の隣に座ってニコニコ話し始め、気が付けば、旅行の全日程を一緒に過ごしてくれたAさんは、僕に偏見なく接してくれたのです。

それが嬉しかったのです。

ー6ー

3泊4日の旅行はあっという間でした。
帰り道のバスでも行きと同様、色んな話をして過ごしました。
駅に到着したのは夜。ツアーは解散し、駅の改札まで歩いて、ついにお別れの時が来ました。

すると急に、
周囲の雑踏は消えて背景の人々がスローモーションに見え、
立ち止って挨拶を交わす僕たちに、舞台のスポットライトが当てられているかのような感覚に包まれます。
僕は思い浮かぶ限りの言葉を尽くしてお礼を述べ、それから「お元気で」と伝えました。Aさんは初日と同じ笑顔で、

「今回の旅行はお兄ちゃんと一緒で楽しかったよ」

と言うと、振り返り、別の路線の改札に向かって歩き出しました。

その瞬間、魔法が切れたかのように雑踏が蘇り、勢いを取り戻した人の流れにAさんの背中を消していきます。

帰りの電車の中で、僕は余韻に浸ります。
幸福感の中に切なさもあり、切なさの中に感動があった。
これはきっと天から与えられた大きなプレゼントに違いにない、と。
もし初日の段階で「僕は一人で居たいんで」なんて強めの主張をしていたら得られなかったもの。
Aさんは偶々一緒になった人間と過ごしただけかもしれませんが、人生の節目でいつも事件が起きて挫折の連続だった僕にとって、これは自分に用意された祝福だったのかもしれません。

の記事の中でも、書きましたが、
このような経験思い出が今の自分を創っていることには疑いようのないことで、それからの人生(2009年~16年頃まで)もまた、大変なものでしたが、恨まず腐らず、何とか前向きに乗り切ることが出来たのは、このAさんのお陰でもあったのかもしれません。
そう思うと今も心の支えになっていることに気付かされます。

本当に美しいと思う瞬間は写真に収まらない。
でもそれで良いのかもしれません。心のフィルム(え、今時?)にしっかりと刻まれているから。

※ ※ ※ ※ ※

大長文乱文にもかかわらず、ここまでお読んでいただき、誠にありがとうございます。
それでは、皆様の今日と明日が素晴らしきものとなりますよう、心よりお祈り申し上げます。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。


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