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今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』/今井むつみ「認知バイアス篇」(日経BOOK PLUS)

☆mediopos3768(2025.3.14.)

今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?
 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』では

なぜあの人とは分かり合えないのか
そしてコミュニケーションのエラーが起こるしくみと
その解決策について分かりやすく説明されているが

その内容がとりあげられている日経BOOK PLUSから
「認知バイアス」について
以下のテーマに関する記事をとりあげる

・どう見ても不合理な判断をしてしまう人が後を絶たない理由
・「これだけは譲れない」…信念と紙一重の「信念バイアス」にご用心
・ネットの情報を自分の知識のように語る人」の問題点
・「賢く育ってほしいから、子どもに本を買おう」が実は理不尽なわけ
・「検討します」はお断り? 言語が持つ曖昧さと認知バイアス

ミュニケーションの過程では必ずその人の持つ
私たちが物事を理解する際に裏で働いている基本的な知識や
思考の枠組みである「スキーマ」が介在するため

「偏見や先入観、歪(ゆが)んだデータ、
一方的な思い込みや誤謬(ごびゅう)を生み出す」
「認知バイアス」の傾向が生まれる

スティーブン・スローマンは
『知ってるつもり: 無知の科学』において
「どのように行動するべきかの価値観」であり
「物事を過度に単純化するためのツール」である
「神聖な価値観」について指摘している

わたしたちは日常生活の中で
「「自分が正しい」と思ってしまう」ように
「神聖な価値観」による物事の単純化を
無自覚なまましばしば行っているため

「根拠を説明できない」にもかかわらず
「認知のフィルターが過度にかけられて」いて
自分のかかっているフィルターに気づくのは難しいという

しかも「自分にとっての正しさ」である「信念」は
「自分にとっての正しさは相手にとって、
あるいは誰にとっても正しいはず」と思うことで
「信念バイアス」となってしまう

といっても「すべての問題において
「それぞれ違っていて、それぞれいい」」となると
「相対主義の罠(わな)」に陥ってしまう

重要なのはあいてだけではなくじぶんについても
「信念バイアス」を持ってしまう可能性があることを
意識しておくことである

多くのひとは
「自分の中にある知識と
外にある知識の区別があまりついていない」ため
例えば「専門家の意見を
そのまま自分の意見のように話し」たり
(しかも「専門家の意見」が正しいとは限らない)

「自分は理解していないこと」でも
「自分は理解している」と思い込んでしまったりするため
そうした「思考バイアス」に気がつくことが大切である

また「自分の小さな世界」を「基準」にして
「みんなそうだ」「これが普通だ」と考えてしまうような
「認知バイアス」にも気をつける必要がある

記事ではとくにふれられていないが
こうした「認知バイアス」は
家庭環境からくるものもあれば
学校から「正しい知識」として教えられるもの
地域や国などの公的な機関や
専門家からの「正しい」知識というかたちで
各種メディアなどから与えられるものもあり
それらの多くがさまざまなバイアスを含んでいる

そうしたものを「基準」に形成されてしまう
さまざまな「バイアス」から自由でいるためには

たんなるコミュニケーションの仕方云々だけではなく
与えられる情報に対して常に懐疑的になり
その都度それがどこまで信憑性があることなのかを
問いつづけることが必要となる

「じぶんで考える」ということは
そうした吟味を通じてはじめて成り立つものであり
私たちの「考え」のほとんどは
感情や思考の「バイアス」からきている
そう理解しておいたほうがいいのではないかと思われる

■今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?
 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』(日経BP 2024/5)
■日経BOOK PLUS
 ・「認知バイアス篇」第1回(2024.11.11)
  どう見ても不合理な判断をしてしまう人が後を絶たない理由
 ・「認知バイアス篇」第2回(2024.11.12)
  これだけは譲れない」…信念と紙一重の「信念バイアス」にご用心
 ・「認知バイアス篇」第3回(2024.11.13)
  ネットの情報を自分の知識のように語る人」の問題点
 ・「認知バイアス篇」第4回(2024.11.14)
  「賢く育ってほしいから、子どもに本を買おう」が実は理不尽なわけ
 ・「認知バイアス篇」第5回(2024.11.15)
  「検討します」はお断り? 言語が持つ曖昧さと認知バイアス
■スティーブン・スローマン/フィリップ・ファーンバック(土方奈美訳)
 『知ってるつもり: 無知の科学』 (ハヤカワ文庫 2021/9)

**(「認知バイアス篇」第1回)
   どう見ても不合理な判断をしてしまう人が後を絶たない理由

・「誰もが持つ「認知バイアス」。その正体は?

「私たちはしばしば、

「これだけ丁寧に説明したのに、わかってもらえない」
「どう考えてもこちらが正論なのに、伝わらない」

 という事態に遭遇します。」

「なぜ、そんなことが起こるか。それは、コミュニケーションの過程では必ずその人の持つスキーマが介在するからです。スキーマは、私たちが物事を理解する際に裏で働いている基本的な知識や思考の枠組みであり、それがときにフィルターとして働くことで、コミュニケーションに支障を来してしまうことがあるのです。

 こうした偏見や先入観、歪(ゆが)んだデータ、一方的な思い込みや誤謬(ごびゅう)を生み出す私たちの認知の傾向を、「認知バイアス」といいます。認知バイアスには様々な種類があることが知られています。」

・なぜ合理的に説明しても伝わらないのか

「スティーブン・スローマン教授の『知ってるつもり 無知の科学』(フィリップ・ファーンバックとの共著、土方奈美訳、ハヤカワ文庫)では、様々な「認識の罠(わな)」が取り上げられています。ここでは認知バイアスに関する部分を取り上げます。

「スローマン教授は、神聖な価値観とは「どのように行動するべきかの価値観」であり、「物事を過度に単純化するためのツール」であると指摘します。

 要するに、熟慮して出した結論だと見せかけて、実際は厄介な細々とした因果分析をする手間を省いて自身の価値観から自動的に結論を持ってきただけで、証拠を吟味するなどの思考はほとんどまったくといっていいほどしていない、というわけです。

 そして残念なことに、こうした「神聖な価値観」による物事の単純化を、私たちは日常生活の中で、頻繁に、無自覚に行っています。」

・「価値観を押しつけるな」という主張もまた、価値観の押しつけ?

「2022年末、ある町が公式に出した移住者向けの案内が、話題になりました。その案内の内容は、町民としての意識を持ってほしいこと、都市生活よりも自然(豪雪など)の影響が強く注意が必要なこと、都市とは異なる人付き合いの濃さや支え合いの精神への理解を示してほしいことなど。移住後にトラブルにならないように気をつけてほしいことをあらかじめ示している、そんな位置づけの案内です。」

「「神聖な価値観」の前では「この町のやり方」が答えであり、「プライバシーや、都会あるいは別の地域の価値観について、どう考える?」といった面倒な議論を避けることができます。自分たちとは違う価値観を、大して深く考えずに気軽に全否定できるようになってしまうのです。」

**(「認知バイアス篇」第2回
   これだけは譲れない」…信念と紙一重の「信念バイアス」にご用心

・「根拠のない自信」はバイアスの表れ

「「神聖な価値観」は、私たちの日常生活のあらゆるところに潜んでいます。」

「この問題の難しいところは、どちらも「自分が正しい」と思ってしまうことです。話し手側にも聞き手側にもこうした神聖な価値観があれば、「話せばわかる」は夢のまた夢。話すほどに相手を「わからず屋」だと思うだけでしょう。

 ここで紹介したものは思考バイアスの中の、「信念バイアス」と呼ばれるものです。(・・・)あなたにも、同様のバイアスでものを見ていることがあるのではないでしょうか。

 何かの重要な判断について、根拠を説明できないことはありませんか? そこには、認知のフィルターが過度にかけられてしまっている可能性があります。」

「自分たちにかかったフィルターに気づくのは、易しいことではありません。

 価値観ではなく、結論に焦点を当てること。そして、結論からさかのぼって考えていくこと。自身で自分の思考を振り返って、その結論に至る根拠を考える必要があるのです。

 このように思考すれば、信念バイアスにとらわれた一方的で強すぎる主張をせずに済むはずです。」

・信念がバイアスに変わってしまうのはなぜか

「「信念バイアス」ですが、「信念」と「信念バイアス」とは何が違うのでしょうか? 一見似ている2つを分けるものはなんでしょう。

 考え方はいくつもあると思いますが、私はその違いのひとつに、「他人(周囲の人)の価値観との関係性」があると考えています。

 言い換えれば、信念は「自分が『こうしよう』というもの」、信念バイアスは「自分が『こうしよう』というものを、『他人にもそうさせよう』というもの」なのではないでしょうか。「自分にとっての正しさ」が信念で、「自分にとっての正しさは相手にとって、あるいは誰にとっても正しいはず」と思うことが、信念バイアスと言ってもいいかもしれません。」

「ただし、「信念を他者に押しつけてはいけない」という「信念」が極端になると、他者、他国の考え方や行動に口を出すことが一切できないということになりかねないので、注意が必要です。これを「相対主義の罠(わな)」といいます。すべての問題において「それぞれ違っていて、それぞれいい」という立場が行きすぎると、重要な判断ができなくなってしまう可能性が生じます。

 相対主義の考え方を突き詰めると、独裁者の存在や戦争も、「それなりに理由がある」として受け入れることになってしまうことになりかねません。自分にとっても、社会にとっても非常に重要な課題に対してこのようなアプローチを取ると、「多様性の中でどれが合理的か」と考えることを放棄してしまうことにもなります。

 一見理にかなっているように見える相対主義的な言説を披露する人はけっこういます。このような相対主義の罠には気をつけなければなりません。

 その上で、「自分の信念を、他者、あるいは社会が一様に守ることが当然だ」と思う前に、どこまでが個人で守るべき範疇(はんちゅう)なのか、あるいは社会や世界が平和であるための規範なのかを振り返って考えてみることが大事です。

 そのために、人間は皆「信念バイアス」を持つこと、自分もその例外ではないこと、専門家もまた「信念バイアス」にのっとって提言している可能性が高いことなどを理解し、特に意識することが必要なのです。」

**(「認知バイアス篇」第3回
   ネットの情報を自分の知識のように語る人」の問題点

・「期待の後輩が「会社を辞めたい」。あなたはどう返す?

「スティーブン・スローマン教授は「多くの人は、自分の中にある知識と外にある知識の区別があまりついていない」と言います。そしてこれを「知識の錯誤」と呼んでいます。これは例えば、専門家の意見をそのまま自分の意見のように話してしまう、といった形で現れます。」

・無自覚だからこそバイアスは恐ろしい

「同じことが、理解にも、起こります。周囲の人が理解しているけれども自分は理解していないことでも、人は、「自分は理解している」と思い込むといいます。

 どんな仕事も、日常生活も、誰か一人の知識や理解ではなく、複数の専門家がそれぞれの知識や理解を持ち寄って支えられていますよね。そうした知識のコミュニティと自分を同一視してしまうのです。」

・「他人の知識=自分の知識」バイアスとは?

「ちょっと聞きかじったことを、あたかもの自分が知っていることのように話してしまう。インターネットで見た専門家の意見を、自分の意見として話してしまう。」

「ただしそれが、決定的に悪いことだというわけではありません。人も動物ですから、この世で生き残ることが何より優先されます。完璧な理解を求めて1年間学ぶよりも、完璧ではないけれどまあまあの判断ができる知識を1日で得たほうが、生き延びるためにはずっと有利です(それが極端に外れていない、だいたい正しいと言っていい知識なら、ですが)。そういった動物としての生き方が、こうした思い込みの根幹にあるのではないかと思います。

 大切なのは「外界の知識=私の知識」という思考バイアスに気がつくこと。自分の知識は専門家の知識とは違うと自覚することです。」

・相談に乗る際の認知科学的な留意点

「「他人の知識=自分の知識」バイアスに気づいた私たちは、周囲の人から相談されたときに、どう振る舞うのがいいのでしょう。

 相手の悩みを聞く立場になったとき、最初に求められるのは「聞く姿勢」です。

 不安を抱えていたり、悩んでいたりするとき、人は誰かに話を聞いてもらいたいと願います。話を聞いてもらっただけで、気持ちがスッキリすることもよくあるものです。」

「人というのは、話したがりです。ほとんどの人は、他人の話を聞くよりも、自分の話をしたがります。しかし大事なのは、相手の話を聞くことです。それはとても難しいことですから、それこそ「話を聞くぞ」と意識して、一生懸命に聞かなければなりません。」

**(「認知バイアス篇」第4回
   賢く育ってほしいから、子どもに本を買おう」が実は理不尽なわけ

・「親が本を買う→子どもの学力が伸びる」は本当か?

「AとBという2つの事実が順番に起こったときに、私たちはつい、その2つに何か関係性を見いだそうとする傾向にあります。たまたま赤いものを身につけて行った日にラッキーなことが起こったら、「赤を身につけるといいことがある」などと考えてしまうのはその典型です。

 これは相関を因果と思い込む思考バイアスで、このように本当は因果関係にはないもの(疑似相関)を、因果関係のように扱ってしまうケースは実によくあることなのです。

 因果関係とは、AはBという結果が起こる直接の原因であるときにいいます。疑似相関は、他の要因(C)が介在し、CがAとBの双方に相関関係があることから、AがBを直接引き起こすわけではないのに、AとBの間に直接の因果関係があるように見えてしまうことです。

 例えば子どもの学力を測る調査では、「家に本が何冊あるか」という指標が学力と相関が高いことがわかっています。」

「これを因果関係と捉えると、
「親が本を買う→子どもの学力が伸びる」
 と解釈することになります。その解釈でいけば、「本は嫌いだけどお金はあるから、家に図書館をつくりました」という家庭で子どもを育てた場合は、子どもは賢くなるでしょうか? なりませんよね。

 そうではなく、親の「本を買う」という行動の裏に、別の要因があるわけです。それは学歴や収入、知的好奇心などです。それらの要素が実は、子どもの学力に影響している。蔵書数と子どもの学力はある程度連動する、つまり相関しますが、その関係は間接的であり、直接の因果関係にはないわけです。

 相関関係に比べて、本当の因果関係は世の中にそう簡単には見つかるものではありません。」

・ストーリーがバイアスを助長する

「ある2つの事柄の間に相関があったときに、簡単に2つの間に因果関係があると決めつけず、疑似相関ではないかと疑ってみることが大事です。

 本を買えば、ピアノを習えば、リビングで勉強すれば、親の年収が高ければ、本当に子どもの学力は上がるのか。そこに本物の因果関係があるのか。疑似相関に過ぎないのではないか。因果関係だと決める前に一度、考えてみてください。」

・重要なのは、話す内容よりも話し方!?

「私たちには、誰かが上手にスムーズにやっている様子を見たときに、「自分にもできそう」と思ってしまうことがあります。この、「相手の流暢(りゅうちょう)さ」が引き起こす判断の歪(ゆが)みを「流暢性バイアス」といいます。

 この流暢性バイアスは、「誰かがスムーズにわかりやすく説明をしていると、その内容を信じやすくなる」という形でも表れます。これを悪用したものの代表が、「投資詐欺(さぎ)」などの詐欺でしょう。

 こうした詐欺は多くの場合で、簡単に理解ができる言葉で語られ、しかも立て板に水のような流暢さですらすら説明がなされます。それで、聞き手はつい、内容を信じやすくなる。内容が薄くても、ときには間違っていても、信用してしまうのです。

 こうした認知バイアスは、私たちの判断を歪ませるだけでなく、コミュニケーションを阻害する要因にもなります。

 認知バイアスにとらわれず「自分の頭で考える」ことは、「話せばわかる」「言えば伝わる」においては不可欠な要素といえるでしょう。」

**(「認知バイアス篇」第5回
   「検討します」はお断り? 言語が持つ曖昧さと認知バイアス

・「誰もがみんな、基準は「自分」?

「多くの方が持っているのが「自分の小さな世界」を「基準」とする認知バイアスです。

 自分の考えや経験、自分の周囲の人の考えや経験という非常に狭いサークルを基準として世界を見てしまう。それを基準にして「みんなそうだ」「これが普通だ」と考えてしまうことです。」

「「みんな」や「普通」は、自分が経験し得る、想像し得る狭い射程のものでしかないということを知らなければ、他の文化に所属している人を馬鹿にしたり否定したりすることにつながってしまいます。」

・「検討します」「連携します」…その言葉が意味する範囲とは

「こうした「小さな世界」の認知バイアスが悪影響を及ぼしがちなのが、小さな世界の「外」の人と接する場合です。その典型例が、昨今、様々な業種で増えつつある、海外の方とのビジネスにおけるコミュニケーションでしょう。」

「例えば「検討します」という言い回しひとつとっても、日本語ではしばしば、「お断り」のニュアンスを持たせることがありますが、そのニュアンスが海外の人に伝わるとは思わないほうがいいでしょう。」

「日本という国は、言葉で細かく説明をしなくてもコミュニケーションが取れるハイコンテクストな国ですから、ついつい会話を省いてしまいます。

 しかしそれは、日本という「小さな世界」の認知バイアスです。海外の人と仕事をする場合は、自分の感覚としては詳しすぎるくらいに、あるいはしつこいくらいに説明をするのでちょうどいいと思います。」

・「気が利く」は褒め言葉とは限らない

「この「小さな世界」のバイアスは、会話の中、あるいは言葉の表現のみで補えるものではありません。例えば日本では、
「あの人はよく気が利く」
 というのは、おおむねポジティブな評価です。自分が言っていないことでも、相手がこちらを慮(おもんばか)って(もしくは忖度(そんたく)して)くれることは好ましいことと思われています。意識しているかどうかは別として、上の立場の側がそれを求めていることもあるでしょう。

 しかし国によっては「頼まれていないことをやってはいけない」「勝手に何かをするのは失礼」と判断されるところもあります。気の利かせ方というのは、文化的なものなのです。日本におけるコミュニケーションの常識は、日本という「小さな世界」の中の価値観です。」

○今井むつみ
慶應義塾大学環境情報学部教授。
1989年慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。94年ノースウェスタン大学心理学部Ph.D.取得。専門は認知科学、言語心理学、発達心理学。主な著書に『ことばと思考』『学びとは何か』『英語独習法』(岩波新書)、『ことばの発達の謎を解く』(ちくまプリマー新書)など。共著に『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書、「新書大賞2024」大賞受賞)、『言葉をおぼえるしくみ』(ちくま学芸文庫)、『算数文章題が解けない子どもたち』(岩波書店)などがある。国際認知科学会(Cognitive Science Society)、日本認知科学会フェロー。

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