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ルドルフ・シュタイナー『トマス・アクィナスの哲学』(GA 74)⑤第三講「現代におけるトミズムの意義」−1

☆mediopos4269(2026.5.21)
■ルドルフ・シュタイナー
 『トマス・アクィナスの哲学』(GA 74)⑤
 Die Philosophie des Thomas von Aquino
 第三講「現代におけるトミズムの意義」−1
 ドルナハ、1920年5月24日

 □第三講:基本的な視点・要点・本文(前半)

●基本的な視点

13世紀のトミズムは西洋精神の「頂点」であった。
その頂点を現代に生かすには、単なる復古ではなく、
自然という新たな啓示の内容に対してトマスと同じ姿勢で向き合い、
イデアの世界をキリスト原理によって救済し、霊的世界へ分け入ることである。
それが精神科学の課題であり、現代におけるトミズムの真の意義である。

●要点

  1. スコラ学の遺産の本質

・トマス・アクィナスらの最大の価値は「答え」ではなく、
立てられた問いそのものである。

 感性的現実と霊的現実に対する人間の関係において、
 認識はいかに世界の実在に触れ得るか。

・この問いは形式を変えながら現代まで作用し続けている。

  1. トマス以降の衰退:唯名論の復活

・ドゥンス・スコトゥスは、魂と肉体の分離を強め、
 能動知性が肉体全体を貫くというトマスのヴィジョンを弱める。

・ウィリアム・オブ・オッカムは、唯名論へ回帰。
 普遍(イデア)は単なる「名前」に堕し、実在性を失う。

・このことによって、個体性が台頭したものの、
 イデアを霊的リアリティとして捉える力が失われた。

  1. 近代哲学における唯名論の展開

・デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は、
 思考の確実性を求める知性主義の始まり。

・スピノザは、知性主義を自ら変容させ、直観へ高め、
 キリストを「神の最高の顕現」と位置づける。
(ゲーテに強い影響を与えた)。

・ベーコン・ロック・ヒュームは、経験論・唯物論化によって、
 認識は感覚的主観に閉じ込められる。

・カントは唯名論の極致である。
 「認識の形式(空間・時間・カテゴリー)は
 主観が事物に被せるもの」。
 真理は主観が作るものとなり、
 認識の限界を宣言(七つの世界の謎)。
 信仰の要請(自由・不死・神)を残すが、認識を空虚化した。

  1. 現代への希望:ゲーテと精神科学

・ゲーテは自然科学への「正面切替」を行い、
 形態学・色彩論で、霊的・魂的なものが
 自然の中に働いていることを示す。

・シュタイナーの精神科学はこれを継承・発展させ、
 トミズムの抽象的実在論を具体的・現実的なものにする。

 知覚(未完結)とイデア(概念)を人間の行為によって再結合させる
 → 認識は「現実のプロセス」そのものである。
 肉体器官(心臓など)も
 霊的・魂的なものが働いていることを明らかにする。

・『真理と学問』『自由の哲学』でカント主義を克服。
 認識論的基礎を築き、倫理的個体主義を展開。

  1. 真のトミズムの現代的意義

・教皇レオ13世による新トミズム(13世紀への回帰)は、
 歴史の流れを無視したもの。
・本来の展開とは、自然科学の時代に正面から向き合い、
 思考をキリスト化(変容)させること。
・精神科学は、トマスの「霊的・魂的なものが肉体を貫く」という洞察を、
 現代の自然認識の土壌で具体化する。
・認識の問題は「外部の写しを取る」ことではなく、
 人間自身を発展させ、霊的世界へ到達させる現実のプロセスである。

●本文(意訳)※前半

 昨日の講義の終わりに、盛期スコラ学の考察を締めくくるにあたって私が努めたのは、ある思想潮流において最も本質的なものは何か、という点を示すことでした。それは「問い(問題)」そのものです。極めて特定のやり方で人間の魂の中に現れた問いであり、それらは実のところ、ある種の切実な欲求へと集約されていきました。

 当時、社会的な文脈において人々の心を支配していたものの中に、こうした認識はいかに組み込まれるのか。獲得され得る認識は、西洋のキリスト教会の信仰内容といかに結びつくのか。苦闘するスコラ学者たちがまず直面したのは、人間の「個体性」でした。これまでに見てきた通り、この個体性は歴史の中でますます明確に台頭してきましたが、当初はその力だけでは、認識の営みを真に具体的で現実的な「霊的内容」へと到達させることができなくなっていました。かつて新プラトン主義やディオニュシオス・アレオパギタ、あるいはスコトゥス・エリウゲナの残響の中に輝いていたような霊的内容へと至ることはできなくなっていたのです。

 盛期スコラ学によって与えられた衝動は、ある意味でその後も生き続けました。しかしその生き残り方は、次のように言うことができます。つまり、問いそのものは偉大かつ強大であり、その問いが立てられた「方法」――昨日見たような問いの立て方――が、後々まで長く影響を及ぼしたのだ、と。

 そして――これこそが本日の考察の内容なのですが――、当時最大の問いとして浮上した「感性的現実と霊的現実に対する人間の関係」は、たとえ方法論的な形式が全く変わってしまったとしても、実のところ今なお作用し続けています。現代においてはそれが一見、スコラ学とは正反対の姿をとっているために気づかれないこともありますが、それは依然として影響を与え続けているのです。現代の精神的活動の中には、本質的な変容を遂げつつも、そのすべてが、ある種、今なお息づいてます。

 トマス・アクィナスから、おそらくアイルランド出身で14世紀初頭にパリやケルンで教鞭を執ったフランシスコ会修道士、ドゥンス・スコトゥスへと目を転じてみましょう。この人物にまで来ると、ある意味でこの「問い(問題)」が、あまりに巨大なものになっていることがすぐに分かります。スコラ学が思考技術において真の熟達を見せていた時代から受け継がれてきた、あの驚くほど強烈な思考技術をもってしても、抱えきれないほどの大きさになっているのです。

 ドゥンス・スコトゥスの前には、改めて次のような問いが立ちはだかっていました。「人間の魂的なものは、人間の肉体的なものの中でいかに生きているのか?」

 昨日説明したように、トマス・アクィナスの段階ではまだ、魂的なものが肉体的なものの全体の中へと入り込んで作用している、と考えられていました。つまり人間は、受胎と出生によってこの物理的・感覚的な存在へと入る際、肉体的な遺伝を通じて、植物的な諸力、すべての鉱物的な諸力、そして感覚的な把握能力の諸力だけを備えるが、そこへ(魂の)前世というもの(Präexistenz)を想定することなく、本来の知性、すなわち「能動知性(アリストテレスが『ヌース・ポイエーティコス(Nous poietikos)』と呼んだもの)」が人間の中に組み込まれる、という考え方です。

 トマスにとってこの事態は次のようなものでした。この能動知性がいわば、魂的なものの全体――植物的な魂、動物的な魂――を吸い上げ、身体性の中に浸透します。そして身体をトマスのいう意味で変容(メタモルフォーゼ)させるのです。そうして、永遠の高みから人間の肉体の中へと(前世なしに)参入した知性が、その肉体から獲得したものを携えて、死後も不滅のものとして生き続ける、というわけです。

 ドゥンス・スコトゥスには、人間の本質における諸力のシステム全体が、能動的知性によって吸い上げられるといったことは、もはや想像できませんでした。彼に可能だったのは、次のように考えることだけでした。「人間の身体性は、いわば完成されたものとして存在している。そして、植物的な原理や動物的な原理は、生涯を通じてある種の自立性を保ったまま留まり、死と共に脱ぎ捨てられる。そして、本来的に霊的な原理である『能動知性(intellectus agens)』のみが、不滅の世界へと移行するのだ」と。

 トマス・アクィナスが描き出していた「肉体全体が、人間の魂的・霊的なものによって貫かれている」というヴィジョンを、スコトゥスはもはや想像することができませんでした。

 それは、彼の弟子であるヴィルヘルム・フォン・オッカム(Wilhelm von Ockham9(14世紀にミュンヘンで没した人物)も同様でした。オッカムは何よりもまず「唯名論(Nominalismus)」へと立ち返りました。なぜなら彼にとって、人間の知性は抽象的なものになってしまったからです。もはや知性は彼にとって「霊的世界を映し出すもの」ではなく、感覚的な知覚に基づいた「思考(反省)」(Überlegung)によって得られるものに過ぎなくなっていたのです。

 彼は、普遍(普遍概念)やイデアの中にこそ、真の現実性が与えられているとは、もはや想像できなくなっていました。彼は再び唯名論に陥ったのです。つまり、「人間の中にイデアや一般概念として定着するものは、感覚的な周囲の世界から構想されたものに過ぎず、それは人間の精神の中で、いわば存在を便宜上まとめ上げるための『名前』として、あるいは『言葉』として生きているに過ぎない」という観点です。手短に言えば、彼は再び唯名論へと回帰したのです。

 これは根本において、極めて重大な事実です。というのも、かつてロスケリヌス(Roscellin)に見られたような唯名論――彼はその唯名論ゆえに、(神の)三位一体という概念さえもバラバラに崩壊させてしまったほどですが――、こうした唯名論は、アルベルトゥス・マグヌスやトマス・アクィナス、その他数名の知性による強烈な思考の仕事によって、一時的に中断されたに過ぎなかったことがわかるからです。ヨーロッパの人類は、すぐさま再び唯名論へと逆戻りしてしまいました。

 この唯名論とは、突き詰めれば次のような状態を指します。すなわち、ますます台頭し、自らを確立しようとする人間の「個体性」が、自らの精神の中に現れる「イデア」を、霊的なリアリティとして把握できなくなってしまったという無能力の状態です。イデアを、人間の中で生きていると同時に、ある意味で事物の中にも生きている「何か」として捉えることができなくなったのです。その結果、イデアはリアリティ(実在)であることを即座にやめ、再び「名前」へ、単なる虚ろな「抽象概念」へと変わってしまいました。

 ここに、西洋的思考が「認識」についての問いを立てる際に、ますます直面することになった困難が見て取れます。結局のところ、私たち人間は認識しなければなりませんし、少なくとも認識の始まりにおいては、どうしてもイデアを用いなければなりません。私たちはイデアを通じて認識せざるを得ないのです。

 となれば、「イデアはいかにして私たちに現実(リアリティ)を仲介してくれるのか?」という大きな問いが、繰り返し現れてくることになります。しかし、もしイデアが実在性のない単なる「名前」にしか見えないのであれば、その問いに答える可能性は、根本的にほとんど残されていません。

 かつてのギリシャの人々、少なくとも秘儀を伝承されたギリシャ人にとって、イデアとはまだ「上方の世界から降りてくる、実在する霊的世界の最後の現れ」でした。しかし、そうしたイデアが、ヨーロッパの意識においてはますます抽象化されていきました。西洋思想の発展をさらに追っていくと、このイデアの「抽象化」のプロセス、すなわちイデアが単なる「言葉」に成り果てていくプロセスが、いよいよ強まっていくのを私たちは目にすることになります。

 後世になると、ライプニッツのような数少ない個性的な人物が際立って現れます。彼は根本において、「いかにしてイデアを通じて認識するのか」という問いには深入りしません。というのも、彼はおそらく伝統の系譜から、ある種の霊的な観照をまだ保持しており、あらゆるものを、本来は霊的なものである個々の「世界の単子(モナド)」へと還元しているからです。世界を霊的なものとして思い描く勇気を持っていたという点で、ライプニッツは他者よりも抜きん出て高くそびえ立っています。実際、彼にとって世界は霊的なものであり、純粋に霊的な本質存在(Wesenheiten)から成るものでした。

 しかし、こう言えるかもしれません。かつての時代――その認識は確かにより本能的なものでしたが、スコラ学のような論理によってまだ照らし出されてはいませんでした――その時代にとっての、多様に分化した「霊的な個体性」というものは、ライプニッツにおいては、多かれ少なかれ段階的に格付けされた「霊的な点(Geist- punkte)」、すなわち「単子(モナド/Monaden)」になってしまっている、と。霊的な個体性は確保されてはいますが、それはあくまで単子の姿、いわば「霊的な点としての存在」という姿において確保されているに過ぎないのです。

 ライプニッツを例外とすれば、西洋全般において、存在の根源についての確信を得ようとする強い格闘が見られる一方で、同時にどこにおいても「唯名論の問題」を真に解決できないという無能力が見て取れます。

 このことは、近代哲学史の出発点に置かれるのが当然とされるあの思想家、すなわち17世紀の前半に生きたデカルト(Cartesius, Descartes)において、極めて重大な形で現れています。哲学史を学ぶ者は誰でも、デカルト哲学の真の源泉が「コギト・エルゴ・スム(cogito ergo sum):私は考える、ゆえに私はある」という命題にあることを知ります。

 この命題には、アウグスティヌス主義の追求がまだ入り込んでいます。というのも、アウグスティヌスは、私が第一講で語ったあの「疑い」の中から、次のように自らに言い聞かせることで這い上がったからです。「私はあらゆるものを疑うことができる。しかし、疑っているという事実は厳然として存在しており、疑っている間、私は生きている。周囲に感覚的な事物が存在することを疑うことはできるし、神がいること、雲があること、星があることを疑うこともできる。しかし、私が疑っているとき、その『疑い』はそこに存在しているのだ。自分の魂の中で起きていることについて、私は疑うことができない。そこにこそ、把握すべき確実性、確かな出発点があるのだ」と。

 デカルトはこの思考を再び取り上げたのです。「私は考える、ゆえに私はある」と。

 こうした事柄を扱う際、歴史的に権威あるものに対して、あえて簡潔な異論を唱えざるを得ない場合には、当然ながら深刻な誤解を招くリスクが伴います。それでもなお、そうすることは必要なのです。

 デカルトや、彼の後に続いた多くの人々――この点において、彼の後継者は無数に存在しますが――が思い描いているのは、次のようなことです。「私の意識の中に思考内容があるとき、つまり私が考えているとき、私が考えているという事実は否定し得ない。ゆえに私は存在し、私の『存在』は私の『思考』によって保証される。私は思考を通じて自らの存在を確かなものにすることで、いわば世界存在の中に根を下ろしているのだ」と。

 ここから、本来の近代哲学が、知性主義として、合理主義として始まります。それは、ひたすら思考のみに基づいて構築しようとする試みであり、その点において、知性主義への転換を極めて精力的に推し進めたスコラ学の「残響」にほかならないのです。

 デカルトについては、二つの点が見て取れます。第一に、彼に対しては次のような単純な反論をなさねばなりません。「私が考えているという事実によって、果たして本当に私の『存在』は捉えられているのか?」と。毎晩の眠りが、その反対であることを証明しています。

 これこそが、反論として提示されるべき単純な事実です。私たちは、目が覚めるたびに毎朝こう自覚します。「自分は昨晩から今朝にかけて存在していたに違いない」と。しかし、その間私たちは「考えて」はいませんでした。したがって、「私は考える、ゆえに私はある(コギト・エルゴ・スム)」という命題は、いとも簡単に論破されてしまうのです。いわば「コロンブスの卵」のようなこの単純な事実を、莫大な数の信奉者を持つこの高名な命題に対して、一度は突きつけてみなければなりません。

 これがデカルトに関して語られるべき第一の点です。

 そしてもう一点は、次のような問いです。「デカルトの哲学的な探求は、一体どこへ向かっているのか?」ということです。それはもはや「観照」に向けられたものではありません。意識が「世界の秘密」を受け取ろうとするものでもありません。それは実のところ、完全に知性主義的で、完全に思考に偏った方向を向いています。

 それは、「いかにして私は確実性を得るのか?」「いかにして疑いから抜け出すのか?」「事物が存在し、私自身が存在することをいかにして知るのか?」という問いにのみ向けられています。もはや、世界観察の内容的な成果を問うような実質的な問いではなく、ただ「認識をいかに保証するか」という問いになってしまっているのです。

 この(認識の保証を求める)問いは、スコラ学者の唯名論から生じたものです。アルベルトゥスとトマスだけはある期間それを克服していましたが、彼らの後にはすぐさま再び現れました。

 すると人々にとって、自らの魂の中に抱いているものは、単なる「名前」としての性質しか持たないものとなります。彼らはその「名前」を魂の中に集め、魂のどこかに一点を見出そうとします。そこから世界像や世界観を作り上げるためではなく、「すべてが欺瞞や虚偽ではないのだ」という確実性、すなわち「外の世界を見れば現実を見ており、自分の魂の内を見れば現実を見ているのだ」という確実性を得ようとするのです。

 こうした一連の流れの中に、私が昨日の終わりに指摘したことがはっきりと見て取れます。つまり、人間の個体性は「知性主義(Intellektualismus)」に到達したものの、いわばその知性主義的な思考の中では、まだ「キリストの問題」を感知するに至っていないのです。

 アウグスティヌスにとってキリストの問題は、人類全体を展望する中で現れました。その後、キリストは人間の魂の内なるものとして、中世のキリスト教神秘主義者たちの中に、いわば薄明のように現れ始めました。

 しかし、思考を通じてのみキリストを見出そうとした人々、すなわち誕生しつつある「個体性」にとって不可欠なあの思考や、あるいはその思考に身を委ねる人々の中では、キリストは明瞭には現れませんでした。人間の魂から湧き出るままの、いわば原始的な状態にあるこの「思考」は、まさに人間の内面にとってキリスト教的であるべきもの本質を拒絶するような姿をしているのです。

 それは「転換」を、つまり「内的な変容」を拒絶します。次のように自分に言い聞かせるような認識のあり方を拒絶するのです。「なるほど、私は考えている。まず自分自身と世界について考えている。しかし、この思考はまだ未発達なものだ。この思考はいわば『堕落』した後の状態にある。それは自らを超え、自らを変容させ、より高次な領域へと自らを高めていかなければならないのだ」と。

 実のところ、この(思考を変容させる)必要性が一人の思想家の中に極めて明瞭に輝き出たことが一度だけありました。それがデカルトの後継者であるスピノザです。スピノザがヘルダーやゲーテといった人々に、あれほど深い感銘を与えたのには実に正当な理由があります。なぜなら、スピノザは、スコラ学から受け継がれ変容した知性主義の中に一見とどまっているようでありながら、その知性主義を次のように捉えていたからです。

 「人間が最終的に真理に到達できるのは(スピノザにとって真理とは、最終的には一種の『直観』なのですが)、知性的なもの、すなわち内的な思考による魂の営みを変容させた時である。日常生活や通常の科学的営みの中に留まっている間は、真理には到達できない」

 まさにそこでスピノザは、次のように確信するに至ります。「思考を発達させることによって、この思考は再び霊的な内容で満たされるのだ」と。いわば、かつてプロティノス主義において私たちが知った「霊的世界」は、思考が自ら進んで霊的なものへと向かおうとするならば、再びその思考に自らを与えてくれるのです。霊(ガイスト)が「直観」として、再び思考を満たすのです。

 根本において次のように語るのがこのスピノザであるということは、非常に興味深いことだと私は思います。「世界の存在を、その最高の実体において霊の中でいかに発展していくかという観点から見渡してみよう。私たちは自らの思考と共に『直観』へと高まることで、その霊を魂の中へと受け入れるのだ。私たちは、一方で数学のように厳格に証明を行うほど知性主義的でありながら、同時にその証明のプロセスにおいて自らを発達させ、高めていく。そうすることで、霊が私たちを迎え入れに来てくれるようになるのだ」と。

 このように自分を高めていくならば、人類の発展の中にある歴史的な歩みを、こうした視点から理解できるようになります。そして、ユダヤ人であるスピノザの著作から、次のような一文が輝き出ているのは驚くべきことです。「神的な実体の最高の啓示は、キリストにおいて与えられている」

 キリストにおいて、直観は「テオファニー(Theophanie/神の顕現)」、すなわち神の受肉となりました。ゆえにキリストの声は真実において神の声であり、救済への道なのです。――つまり、ユダヤ人であるスピノザは、人間がその知性主義の中から自らを発達させ、霊が迎えに来てくれるような境地に達し得るということに気づいたのです。

 もしその人が「ゴルゴタの秘儀」に目を向けることができる状態にあるならば、霊による充足は単なる「直観」(思考を通じた霊の現れ)にとどまらず、その直観は「テオファニー」、すなわち神そのものの現れへと変容します。人間は霊的に神と対面するのです。

 スピノザは、自分に突然ひらめいた事柄を惜しみなく表現したと言えるでしょう。この発言がそれを証明しています。彼が人類の発展の中からこのようにして見出したものは、一つの気分、一つの基調となって、彼の主著『エチカ(倫理学)』を貫いているのです。

 そして再び、(スピノザの思想は)それを受け取る準備のできた一人の人物へと引き継がれます。ですから、この『エチカ』の行間を確実に読み解き、そこに息づく「心」を自らの心で感じ取ることのできたゲーテにとって、スピノザの『エチカ』がこれほどまでに指針となる書物になったことは十分に理解できるのです。

 こうした事柄は、通常の哲学史で行われるような抽象的な見方で済ませてはなりません。人間的な視点から眺めるべきものであり、スピノザ主義からゲーテの魂へと差し込んだ光をしっかりと見つめなければなりません。

 しかし、根本において、スピノザの行間から輝き出ていたものは、結局のところ、時代の支配的な勢力とはなりませんでした。時代を支配したのは、やはり唯名論を克服できないという「無能力」だったのです。

 実際、唯名論はまず次のような方向へ進みました。人間がますます次のような考えに閉じこもっていく、と言いたくなるような方向です。「私は、外の世界を捉えることのできない何かのなかに生きている。自分の中から外の世界へ深く入り込み、その本質を受け取ることなどできない何かのなかに、私は閉じ込められているのだ」と。

 そして、自分が自分の中に独りきりであり、自分を超えて外の世界から何かを受け取ることができないというこの気分は、17世紀のロックにおいて、次のような形で現れます。すなわちロックはこう言います。「私たちが外の世界の『色』や『音』として知覚するものも、もはや私たちを外の世界の現実へと導くものではない。それは根本において、外の世界が私たちの感覚に及ぼした作用に過ぎず、結局のところ私たちは、自分自身の主観性の中に紡ぎ込まれているのだ」と。――これが事態の一方の側面です。

 事態のもう一つの側面は、16世紀から17世紀にかけてのベーコン・ヴェーラム(フランシス・ベーコン)のような精神において、唯名論が完全に浸透した世界観となったことです。ベーコンにおいてそれは顕著であり、彼は次のように述べました。「根本において単なる『名前』として与えられているに過ぎないものに対し、人間がその実在を信じ込んでしまう迷信を、すべて一掃しなければならない。私たちが現実に直面するのは、感覚世界に目を向けたときだけである。経験的な認識において現実を提供するのは、感覚のみである」と。

 アルベルトゥスやトマスが、本来そのために自らの「理性認識論(Vernunfterkenntnistheorie )」を構築したはずのあの「諸々のリアリティ(霊的実在)」は、ベーコンにおいてはもはや真に科学的な役割を演じてはいません。いわば霊的世界は、ベーコンにおいてすでに、人間の内面から科学的な確信と確実性をもって湧き出てくることのない「何か」へと揮発してしまったのです。霊的世界とは、単なる「信仰の内容」となり、人が「知」や「認識」と呼ぶものによって触れてはならないものとされました。その代わりに、認識は外部の観察や、外部観察を強化したものである「実験」からのみ獲得されるべきものとなったのです。

 そしてこの流れは18世紀のヒュームへと続き、彼に至っては「原因と結果」の結びつきでさえ、単に人間の主観の中に生きているもの、人間がある種の外部的な習慣から事物に付与しているものに過ぎなくなりました。スコラ学の遺産である唯名論が、まるで「うなされる悪夢(Alp)」のように人々に重くのしかかっているのが見て取れます。

 さて、この発展の最も重要な特徴は何でしょうか。それは、スコラ学がその鋭敏な思考力をもって立ち現れたのが、まさに「理性の財産」を「霊的世界の真理という財産」から区別し、境界線を引かなければならなかった時代だったということです。スコラ学者の任務は、一方では、教会が伝える信仰の内容、すなわち啓示の内容を通じて彼らにとって自明であった霊的世界の真理を見つめることでした。そして他方では、人間自身の認識の力によって何がもたらされるかを見つめることでした。

 しかし、スコラ学的な視点は、時代の進展によって不可避となった「正面の切り替え」を、当初は怠っていました。トマスやアルベルトゥスが自らの哲学を展開していた当時、まだ自然科学的な世界観は存在していませんでした。ガリレイ、ジョルダーノ・ブルーノ、コペルニクス、ケプラーらはまだ活動しておらず、人間が理性の力をもって外部の自然に目を向けるということもありませんでした。

 当時はまだ、「人間の理性が魂の深淵から見出し得るもの」と、「外部の経験的な感覚世界から獲得されるもの」との間で決着をつける必要はなかったのです。当時はただ、「理性が魂の深淵から見出すべきもの」と、「教会によって伝えられた霊的な真理(それは、もはや内的な霊的発展を通じて知恵のリアリティそのものへと自らを高めることができなくなった人々に対し、伝統や聖書の内容として提示されていたもの)」との関係において、決着をつければよかったのです。

 ここで、次のような問いが浮かんでこないでしょうか。「アルベルトゥスやトマスが理性の内容のために構築した認識論は、自然科学的な世界観の内容といかなる関係にあるのか?」という問いです。それは、19世紀に至るまで続く、いわば無力な格闘であったと言えるでしょう。

 そこで私たちは、非常に奇妙な光景を目にします。13世紀を振り返れば、アルベルトゥスとトマスが、信仰や啓示の内容に対する「理性認識の限界」について人類に教えているのが見えます。彼らは一歩一歩、次のように示していきました。「啓示の内容は存在する。しかし、それは人間の理性認識にはある一部分までしか示されない。それは理性認識の外側に留まり、理性認識にとっての『世界の謎』として残るのだ」と。

 私たちは、それらの「世界の謎」を列挙することができます。キリストの受肉、祭壇の秘跡(聖体拝領)の中に霊が宿っていること、等々。これらは人間の認識の境界線の向こう側にあります。アルベルトゥスとトマスにとって、人間は一方の側に立ち、いわば認識の境界線に囲まれていて、スピリチュアルな(霊的な)世界の中を覗き見ることはできない――13世紀においては、そのような結論になったのです。

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