『ロングウォーク』|止まったら即死。ただそれだけの地獄を、108分歩き続ける
2026年6月28日鑑賞 / ネタバレなし+ネタバレあり
俺評価:★★★☆☆
万人向けではない
この映画との出会い
本当は、別の映画を観るつもりだった。
マイケル・ジャクソンの伝記映画『マイケル』だ。
ところが出かける直前に上映スケジュールを確認していたら、見慣れない作品タイトルが目に入った。『ロングウォーク』。
知らない。

ちらっとクレジットを見ると——スティーヴン・キング原作。
ちょっと興味が湧いた。
さらに目を走らせると——マーク・ハミル。
決まった。今日はこれだ。
こういう偶然の出会いがあるから、映画館通いはやめられない。
解説・あらすじ
スティーヴン・キングが大学在学中の1960年代に執筆し、1979年にリチャード・バックマン名義で出版された事実上の長編初執筆作「死のロングウォーク」を初映画化。
戦争により国家が分断された近未来のアメリカでは、困窮する社会への光として「ロングウォーク」という競技が国をあげて開催されていた。ひたすら歩き続けるだけで破格の賞金と願いを1つかなえる権利を獲得できるこの競技に、選ばれた50人の若者たちが挑戦する。参加者に課されるのは「時速4.8キロをキープすること」「速度が下回ると警告開始」「3つの警告で即死」「最後の1人になるまで歩き続けること」という4つのルール。若者たちは装甲車に囲まれ、銃を向けられながら、休息も睡眠も許されない極限状態のなかで必死に歩き続けるが……。
ロングウォークに参加する若者役で「リコリス・ピザ」のクーパー・ホフマン、「エイリアン ロムルス」のデビッド・ジョンソン、競技を執り仕切る少佐役で「スター・ウォーズ」シリーズのマーク・ハミルが出演。「ハンガー・ゲーム」シリーズのフランシス・ローレンス監督がメガホンをとり、「ストレンジ・ダーリン」のJ・T・モルナーが脚本を手がけた。
2025年製作/108分/R15+/アメリカ
原題または英題:The Long Walk
配給:クロックワークス
劇場公開日:2026年6月26日
スタッフ・キャスト
監督 フランシス・ローレンス
製作 ロイ・リー スティーヴン・シュナイダー フランシス・ローレンス キャメロン・マコノミー
製作総指揮 スティーヴン・キング ミカ・サイトウ クリストファー・ウッドロウ K・ブレイン・ジョンストン
原作 スティーヴン・キング
脚本 J・T・モルナー
#47/レイ・ギャラティ :クーパー・ホフマン
#23/ピーター・マクヴリーズ :デビッド・ジョンソン
#38/ビリー・ステビンズ :ギャレット・ウエアリング
#6/アート・ベイカー :トゥット・ニュオット
#5/ゲイリー・バーコヴィッチ :チャーリー・プラマー
#46/ハンク・オルソン :ベン・ウォン
#7/アダム・カーリー・ホワイト :ローマン・グリフィン・デイビス
#49/リチャード・ハークネス :ジョーダン・ゴンザレス
#48/コリー・パーカー :ジョシュア・オジック
ミセス・ギャラティ:ジュディ・グリア
少佐:マーク・ハミル
はじめに
スティーヴン・キングが1960年代に書き、リチャード・バックマン名義で1979年に出版した事実上の処女長編「死のロングウォーク」がついに映画化。監督は『ハンガー・ゲーム』シリーズのフランシス・ローレンス。デスゲーム映画の先駆けとも言われる原作が、半世紀近い時を経てどう映像になったのか。
まず、このレースのルールを押さえておきたい。

たったこれだけだ。
逃げ場はない。
救いもない。
この4つのルールの下に、選ばれた50人の若者が挑む。

キャストが熱い
本作、出演者がなかなか面白い顔ぶれだ。
オスカー俳優フィリップ・シーモア・ホフマンを父に持つクーパー・ホフマン、

歩く若者たちの中には、『エイリアン:ロムルス』でアンドロイド役を演じたデヴィッド・ジョンソン、

『ベスト・キッド:レジェンズ』の主人公ベン・ウォン、

『ジョジョ・ラビット』で主人公を演じた子役ローマン・グリフィン・デイヴィス、そして『ゲティ家の身代金』や『ムーンフォール』で存在感を放ったチャーリー・プラマーと、次世代を担う俳優たちが揃っている。
そしてその若者たちを冷酷に仕切る少佐役が、『スター・ウォーズ』シリーズのルーク・スカイウォーカー、マーク・ハミルだ。
ここでは少年たちを銃で管理する権力者として立ちはだかる。

ネタバレなし|この映画、一言で言うと「しんどい」
鑑賞後の感想を一言で表すなら、しんどかった。
それは批判ではなく、この映画が機能している証拠でもある。
ルールはシンプルだ。時速4.8キロをキープして歩き続けること。速度を落とすと警告が入り、3回警告を受けたら即座に銃殺。逃げても死。参加者50人、生き残れるのは最後の1人だけ。
そのルールを108分間、ひたすら体感させられる。
風景は変わる。
夜になり、雨が降り、道の様相も変わっていく。
だが基本的にやっていることは「歩く」だけだ。
当然、淡々とした展開が続く区間もある。
正直、退屈を感じる瞬間もあった。
ただ、歩みを止めた瞬間の緊張感は本物だ。理由はさまざまある。疲労、怪我、感情の爆発、あるいはただの限界。その瞬間、装甲車から降りた兵士の銃口がこちらを向く。息が詰まる感覚は確かにある。

そして、この映画が真にしんどいのは「銃殺される恐怖」だけではない。
ひたすら歩き続けるという行為そのものの過酷さだ。
靴の調子が悪くなっても立ち止まれない。足が痛くても止まれない。
そして避けられないのが生理現象だ。
眠気も、腹の具合も、すべて歩きながら処理するしかない。
映画はその描写を手抜きせず、きっちり映像に収めている。お腹を壊した参加者が歩きながらどうなるか——R15+指定は伊達ではない。
一方で、水の補給だけはしてくれる。食べ物も歩きながら支給されるという描写もあった。最低限の燃料は与えながら、とにかく歩かせ続ける。そのグロテスクな「管理」がこのレースの本質でもある。
そして主人公レイは、歩きながら夢を見る。不眠不休の極限状態で、意識を手放しながらも足だけは動き続ける。それは強さなのか、すでに人間ではなくなった何かなのか——判断できないまま画面を見続けることになる。
キャラクターへの感情移入は浅めだ。
原作ではそれぞれの少年に厚いバックボーンがあるはずだが、108分という尺の中では断片的にしか描かれない。それでも歩く中で少しずつ人間性が見えてくる者もいて、「この人にはもう少し歩いていてほしい」という感情は自然と生まれてくる。
デスゲーム映画として派手さを求めると物足りない。
でも、じわじわと削られていく感覚を味わいたいなら、確実に刺さる一本。
※ここからネタバレあり※※
ネタバレあり|ここから先は鑑賞済みの方へ
⚠️ 以下、ストーリーの核心に触れます。
物語の構造と「しんどさ」の正体
このレースに仕掛けはない。逆転の一手もない。ただ歩き続け、脱落していく。それだけだ。
少年たちは歩きながら少しずつ言葉を交わし、過去を明かし合い、奇妙な友情を育てていく。だがその親密さが増すほど、脱落の瞬間が重くなる構造になっている。
感情移入が追いつかないまま誰かが撃たれる場面もあるが、それが積み重なるにつれて、画面の空気が変わっていく。
主人公レイ(クーパー・ホフマン)は地元出身の参加者として描かれ、その内側には「少佐への復讐心」が動機として存在している。
だがレース中、その動機は希薄化していく。歩くことで削られるのは体力だけでなく、意志や目的意識そのものでもあるという描写だろう。

結末について
勝者が決まった瞬間、予期していなかったことが起きる。
最後レイとピーターの二人が残る。このへんは既定路線といったところか。ピーターが立ち止まりレイに最後を託す・・・が、レイはピーターの肩に手を回し「まだだ」と言って歩き出したところで今度はレイが立ち止まって、ピーターに『最後の一人』を譲る。
このあたりはちょっと予想を裏切られた感じで、主人公が脱落とは!
ピーターは優勝となり花火も打ち上がり、「賞品」として何でも願いを叶えてもらえるはずのゴールで、彼が選んだのは復讐。
ここで彼はたったひとつなんでも叶えてもらえる願いとして選んだのは銃。
勝利の歓声が上がる中でのその行動は、このレースが何だったのかを逆照射する。
国家が管理する暴力の祭典の中心にいた人間を、勝者が今度は暴力で終わらせる。劇的ではあるが、後味は重い。
予想していた結末ではあった。ただ、あの場での即座の射殺は想定外で、そこだけは虚をつかれた。
まとめ
派手な演出も、どんでん返しもない。
ただ歩いて、削られて、終わる。
それがこの映画のすべてだ。
退屈な瞬間も正直あるが、その退屈さ自体がレースの過酷さと地続きになっている。
見終わった後、じわりと重たいものが残る。
★★★☆☆(3/5)
「しんどい映画を体験したい」人には薦める。
「爽快なデスゲームが見たい」人には薦めない。
