風が忘れものをする森
森では、
ときどき風が忘れものをする。
葉っぱだったり。
羽根だったり。
木の実だったり。
小さな囁きだったり。
言えなかった
「ありがとう」だったり。
だから朝になると、
森を歩く人は少しだけ下を向く。
何か落ちているかもしれないから。
* * *
森のはずれには、
風の忘れものを拾う女の子がいた。
葉っぱは木の根元へ。
羽根は鳥の巣へ。
木の実はリスの通り道へ。
小さな囁きや「ありがとう」は、
そっと瓶へ預けておく。
風が迎えに来る、その日まで。
それが女の子の毎日だった。
* * *
森は、
一本の木では生きていない。
木々は、
根っこと菌糸でつながり、
花は虫たちへ季節を知らせ、
鳥は歌を届ける。
風は、
森のみんなの小さな便りを
森じゅうへ運んでいた。
だから森は、
離れていても、
ひとつだった。
* * *
ある朝。
女の子は首をかしげた。
葉っぱもない。
羽根もない。
木の実もない。
小さな囁きも落ちていない。
森を見渡す。
鳥は鳴いている。
川も流れている。
けれど、
何かが違う。
「……森がおしゃべりしてない。」
女の子は、
そっと瓶を抱えた。
「今日は風が困ってる。」
そうつぶやくと、
誰も近づかない森の奥へ歩き出した。
* * *
森の奥は、
誰もが眠っているように静かだった。
大きな岩が見えた。
そう思った。
近づくと、
岩ではなかった。
苔をまとい、
枝を髪に絡ませ、
肩には葉っぱ。
耳には綿毛。
何百年も森を見守ってきた
おじいちゃんだった。
女の子は笑う。
「おじいちゃん。
葉っぱついてるよ。」
「……葉っぱは、
いつものことじゃ。」
「綿毛も。」
「それも、
いつものことじゃ。」
「……あ、手紙。」
「それは困るのう。」
二人は顔を見合わせて、
くすっと笑った。
* * *
ふと、
女の子は気づく。
今日は、
おじいちゃんの髪に
新しい忘れものが
ひとつも増えていない。
「おじいちゃん。」
「うむ。」
「今日は風が来てない。」
おじいちゃんは、
空を見上げた。
「あの子は、
自分の忘れものを
探しておる。」
「風も忘れものをするの?」
「誰かの想いは運べても、
自分の大切なものだけは、
見つけるのが苦手なんじゃ。」
女の子は、
少しだけ考えた。
「風が止まると、
どうなるの?」
おじいちゃんは、
森を見渡した。
「花は、
種を遠くへ届けられん。」
「鳥は、
風に乗って遠くまで旅できん。」
「木々は、
遠くの仲間へ季節を知らせられん。」
「森は、
少しずつ声を失っていく。」
しばらく沈黙が流れた。
女の子は、
瓶を胸に抱きしめる。
「じゃあ、
探しに行こう。」
おじいちゃんは、
ゆっくり笑った。
「わしは、
この森を離れられん。」
「森を見守る役目じゃから。」
女の子は、
少しだけ寂しそうに笑う。
するとおじいちゃんは、
「でも、
風はおまえさんを知っとる。」
「毎朝、
忘れものを拾ってくれておるからな。」
女の子は、
うなずいた。
「風が困ったら、
森のみんなも困っちゃうから。」
その瞬間、
木の枝から、
一枚の葉っぱが静かに離れた。
女の子は、
そっと葉っぱを受け止めた。
小さく笑って、
つぶやく。
「待っててね。」
瓶を抱え、
まだ誰も歩いたことのない
森の奥へ、
一歩踏み出した。
* * *
この作品は、カワムラさん主催の「ちび創作大賞」のテーマ「風」に参加した作品です。
