甲府学館野球部の”隠れた心臓”、その正体は元テニスエリート── 中島浩希、二つの競技を結ぶ男
【プロローグ】──「困ったら、中島に聞け」
私が、甲府学館野球部の練習に通い始めて、しばらく経った頃だった。
グラウンドの隅で、1年生の一人が先輩から何やら早口で指示を受け、明らかに顔面蒼白になっている場面に出くわした。
「あの、すみません、もう一回いいですか……」
おろおろするその1年生の肩を、誰かがぽん、と叩いた。
「大丈夫。俺が訳す」
振り向くと、そこにいたのは涼しい顔をした一人の少年だった。
先輩の指示を三秒ほど頭の中で咀嚼したかと思うと、彼はまったく別人のような、驚くほど分かりやすい言葉に変換して1年生に伝え始めた。
「要するに、打球に突っ込みすぎて、捕球する時にボールと衝突するな、一歩引いて間合いを作って柔らかく捕球しろって話。あと、さっきの守備位置は正解だから焦らなくていい」
言われた1年生の顔に、みるみる血の気が戻っていく。
「……あ、ありがとう!」
「いいよ。困ったら聞いて」
その一部始終を眺めていた私に、後で仲田雅という別の1年生が耳打ちしてきた。
「あれが中島です。俺らの中では『通訳』で通ってます」
「通訳?」
「先輩の言葉も、アナリストからのデータも、テニスの動きも、なんでも野球語に訳してくれるんで」
テニスの動きを、野球語に訳す。
その一言の意味を、私はまだ理解していなかった。だが取材を終える頃には、この「通訳」という二つ名が、いかに的確な呼び名であるかを思い知ることになる。

【第一印象】──謎のステップを踏む男
「中島浩希です。1年生。セカンドと外野をやっています。よろしくお願いします」
差し出された自己紹介は、拍子抜けするほど普通だった。丁寧な言葉遣い、まっすぐな姿勢。どこにでもいる真面目な高校球児、というのが正直な第一印象だった。
しかし、バッティング練習が始まった瞬間、私はその見立てを撤回することになる。
打席に入る前、中島は誰もいない場所で数秒間、奇妙な動きを繰り返していた。
右に、左に、小刻みに体重を移動させながら、膝を軽く弾ませる。まるで見えない相手のサーブを待ち構えているかのような、独特のリズム。
「……あれは何をしてるんですか」
思わず隣にいた1年生投手比嘉直樹に尋ねた。
「ああ、あれですか。中島の準備運動っすね。最初見たとき、俺ら全員『中島、なんか踊ってる』って思いました」
「踊って……?」
「本人は『スプリットステップ』とか言うんですけど、要はテニスの構えらしいです。あれをやってから打席に入ると、初動が全然違うらしくて。今じゃ普通に馴染みすぎて、逆にやってないと心配になります」
打席の中島は、静かにバットを構えた。そして、投じられた球に対して、驚くほど滑らかに反応した。
一切の力感を感じないフォームで、レフト前、センター前、ライト前に柔らかく打ち返していた。
派手さはない。だが、無駄がない。対応力は抜群。
時にバットを握る両手の間隔が開いている時もある。
独特な感性を持ちながら真摯に野球に打ち込む好青年。
それが、中島浩希という選手の第一印象だった。

【「1年の通訳」誕生秘話】
なぜ中島は「通訳」と呼ばれるようになったのか。本人に尋ねると、少し照れくさそうに経緯を語ってくれた。
「最初はたまたまなんです。入部してすぐの頃、先輩の指示がうまく伝わらなくて、1年生の間でちょっとした混乱があって。俺、なんとなくそこにいたので、間に入って言い換えただけなんですけど」
「それが定着した、と」
「はい。先輩の言葉って、そのまま受け取ると温度感が強すぎたり、逆に省略されすぎてたりするんです。先輩の間では普通に伝わっても、慣れていない1年生には難しい内容もある。だから一回自分の中で翻訳してから、1年生に渡すようにしてます」
同級生の仲田雅は、この役割について力強く証言してくれた。
「中島がいないと、1年生の情報伝達、マジで崩壊してたと思います。先輩の指示って独特の言い回しあるじゃないですか。あれを『つまりこういうこと』って毎回教えてくれるの、本当に助かってます」
「仲田くん自身は、中島くんにどう見られてるか自覚ある?」
私がそう尋ねると、仲田は一瞬固まった。
「……あ、俺のブレーキ役の話ですよね。すみません、それも中島です」
聞けば、はしゃぎ過ぎる性格の仲田を制止するのも、中島の役目の一つらしい。
「テンション上がると止まらないタイプなんで、俺」仲田は苦笑いした。「でも中島に『それ、後で絶対後悔するやつ』って真顔で言われると、なぜか一瞬で冷静になるんですよね。あの声のトーン、反則です」
先輩の言葉も、同級生の暴走も、静かに変換していく。それが中島の日常だった。

【回想①】──シニアで、レギュラーになれなかった夏
中島の淡々とした語り口の奥には、中学時代の苦い記憶が眠っている。
彼が所属していたのは、地元のシニアリーグ「甲州塩山シニア」。本職はセカンドのつもりで、小学生の頃から積み上げてきたはずだった。
だが、シニアの壁は厚かった。
「同学年に、明らかに自分より上手い選手が何人もいたんです。普通に構えてたら、試合になんて出られない」
ある日の紅白戦。セカンドのポジションに立っていたのは、中島ではなく、同学年の別の選手だった。ベンチの隅で、それをただ見ているしかない自分。
「悔しいっていうより、もっと静かな感情でした。焦りみたいな」
ある夜、テニスバッグを庭に置いたまま彼は自宅の庭で一人、素振りをしていた。その姿を、当時のシニアのコーチにたまたま目撃される。
「お前、テニスの帰りにまでバットを振ってるのか」
コーチにそう声をかけられた中島は、素振りの手を止めずにこう答えたという。
「試合に出たいんです」
「セカンドで負けてるなら、守れる場所を増やすしかないと思って。外野、やらせてもらえませんか」
翌週から、彼は外野の特守に自主的に加わるようになった。
「最初は本当に別競技でした。打球への入り方も、フェンス際の間合いも、セカンドの感覚では全く通用しなくて。何度もダイビングキャッチを試みては、間に合わずに芝の上に転がってました」
それでも彼は食らいついた。足の速さには自信があった。テニスで培った初動の速さも、確かにそこに生きていた。
「代走で、初めて公式戦のグラウンドに立てた時のことは覚えてます。守備固めで外野に入って、最後の打球をきっちり処理できた時も。派手な役回りじゃないですけど、あそこで結果を出せたから、『自分はどこでも守れる選手だ』って、自分に言い聞かせられるようになりました」
レギュラーには、最後までなれなかった。
しかし、チーム内の2,3番手投手がセカンドやセンターのレギュラーだった事もあり、彼らの登板時には、セカンドやセンターでスタメン出場し、巧打堅守をアピールした。
「悔しさで腐ってる時間より、どうすれば試合に絡めるかを考えてる時間のほうが、正直長かったですね。今思えば、それでよかったんだと思います」

【回想②】──テニスコートでの、もう一つの葛藤
野球の話の裏側には、テニスの物語もあった。
中島がテニスを始めたのは5歳の時。野球より2年早い。中学でも、平日は学校のテニス部で汗を流し、休日はシニアリーグのグラウンドに立つという生活を続けていた。
「テニス部の顧問の先生には、正直よく見抜かれてました」
中島は苦笑しながら振り返る。
「バックハンドの練習中に、ふと野球のスイングみたいな軌道になってる時があったらしくて。『中島、今のは野球の素振りだろう』って、顧問の先生に真顔で指摘されたことがあります」
「自覚は?」
「全然なかったです。無意識でした。でも指摘されてから意識してみたら、確かに似た感覚で振ってる瞬間があって、自分でも驚きました」
顧問は、その一件以来、中島を茶化すように「二刀流」と呼ぶようになったという。
「県外のテニス強豪校からお声がけいただいた時も、その顧問の先生が誰よりも喜んでくれて。でも同時に、『お前がどっちを選んでも、俺は文句を言わない』ってはっきり言ってくれたんです。あれは今でも覚えてます」
野球でも、まだ実績のない新興の私学から声がかかっていた。設備は充実しているが、実績はこれから作っていく段階の学校だった。
「テニスの強豪校か、実績のない野球の新興校か。どっちも決め手に欠けたまま、中3の夏が終わろうとしてました」

勉強でも、負けるつもりはなかった
昨年の今頃から秋にかけて、中島の進路希望は揺れていた。
「中学の3年間、野球もテニスも勉強も、正直どれも手を抜いたことはなかったんです」
中島はそう明かす。
「特に本気で頑張ってたのは野球とテニスなんですけど、実は一番自信があったのは学力の方でした」
スポーツを二つ掛け持ちしている分、勉強に割ける時間は人よりずっと少なかった。平日は週に3回、中学のテニス部の練習後に、シニアリーグの夜間練習に行っていた。
だからこそ、授業で覚える、そして瞬発的に思い出すというサイクルを回し、限られた時間でどう結果を出すかを、常に意識してきたという。
「偏差値72の甲府学館に入れるかどうかも、正直そこまで不安はなかったです。競技以外の部分で唯一、自分の中で一番手応えがあったのがそこでした」
だからこそ、進路選びは単純な二択では終わらなかった。
「秋くらいまで、本当に堂々巡りだったんです。甲府学館は、学力面も含めて自分が一番成長できそうな環境。県外のテニス強豪校に行けば、全国大会に手が届くかもしれない。野球の新興校に行けば、まだ実績はないですけど、伸び盛りのチームで自分を試せる。三つとも、選ぶ理由がちゃんとあって」
三つの選択肢を抱えたまま、彼はしばらく答えを出せずにいた。
「夜、布団の中で三つを頭の中に並べて、また振り出しに戻る、みたいなことを何度も繰り返してました」
膠着状態を破るきっかけになったのは、テニス部の顧問への相談だった。
「学力のことも含めて、自分がどう考えてきたか、全部話したんです。先生は黙って聞いてくれて、最後に『お前が一番成長できると思う場所を選べばいい。競技の実績よりも、そっちの方が大事だ』って言ってくれて。あの一言で、頭の中がすっと整理されました」
そこから、あらためて足を運んだのが、学館祭だった。
【学館祭という、答え合わせ】
その膠着状態を破ったのが、甲府学館の学館祭だった。
「ただ、気になっている甲府学館の文化祭を見に行っただけのつもりだったんです。でも、生徒の熱量に完全にやられました」
中島は、その日見た光景を、今も鮮明に覚えているという。
「ただ賑やかにしてるんじゃなくて、頭を使って人を楽しませようとしてる企画ばかりで。『この高校で三年間過ごしたら、絶対に面白いことになる』って、直感的に思ったんです」
学習指導や進路実績といった、数字で語れる部分も含めて、彼の中で天秤は一気に傾いた。
「その日、テニスか野球かは、まだ何も決めてなかったんです。決まったのは『甲府学館に行きたい』ということだけ。だから、俺の場合は競技を選んでから学校を選んだんじゃなくて、学校を選んでから競技を選んだんですよね。よく考えると、なかなかいないパターンなんです」
体験入部でグラウンドに一日立った時、選手同士が互いにアドバイスを送り合う空気に触れて、彼の中で答えは出た。
「テニスは基本、一人または二人で試合に立つ競技なんです。でも、あのグラウンドの空気は、それとは違う磁力があった。全員が全員を高め合っていた。それに引っ張られた、という感じでした」
【中島ステップ、チームに広まる】
さて、話は「謎のダンス」ことスプリットステップに戻る。
最初は物珍しがられていたこの動きだが、今ではチームの一部で密かに真似されているらしい。
「外野守備での中島の一歩目、同期で一番速いんですよ」比嘉直樹はそう証言する。
「俺も真似してみたんですけど、全然様子が違って。あれ、ただ足を動かしてるだけじゃなくて、球のコースを読んでから重心を作ってるみたいで。見様見真似じゃ再現できませんでした」
中島本人は、この動きの正体をこう解説してくれた。
「テニスって、来た球に反応するんじゃなくて、来る前から予測して重心を作っておく競技なんです。その癖が、そのまま守備の一歩目に出てるんだと思います」
「打撃にも出てるって聞きました」
「流し打ちですね。インコースを逆方向に運ぶ感覚は、テニスのバックハンドに近いんです。もともとバックハンドが得意だったので、それを活かしたくて、中1の時に野球でも左打ちに転向しました」
コーチ陣もこの特性に気づいている。ある日の練習で、コーチから「その動き、どこで身につけたんだ」と尋ねられた中島がテニスの話をすると、返ってきたのは意外な一言だったという。
「『なるほど、それを意識的に使えたら面白いね』って言われて。それまで無意識にやってたことに、初めて名前がついたような感覚がありました」
逆に、野球からテニスに還元された部分もあるという。
「野球を始めてから、下半身から力を伝える意識がすごく強くなったんです。バッティングで『腰から回れ』ってさんざん言われて、それをテニスのフォアハンドに応用したら、急に球が速くなって。今はどっちを練習してても、もう片方の感覚を確認しに行ってる感じがあります」
一つの動きの中に、二つの競技の記憶が同居している。それが、中島浩希という選手の身体そのものだった。
【エピローグ】──通訳の、次の言語
取材の最後に、将来の話を聞いた。
「正直、まだ何も決まってないんです」
中島は率直にそう答えた。
「ただ、甲府学館に入ってから、『海外の大学もありだな』って考えるようになりました。周りに、それを当たり前の選択肢として持ってる先輩や同級生がいて。最初は『そんな道もあるんだ』くらいだったんですけど、だんだん自分にとっても現実的な選択肢になってきました」
「一つに絞らない、という点では、テニスと野球を両方やってきた経験と似てますね」
私がそう水を向けると、中島は少し笑った。
「そうですね。一つに決め切らずに幅を持たせておくことのメリットを、身体で知ってる気がします。だから将来のことも、今すぐ一本に絞る必要はないと思ってます」
先輩の言葉を1年生に翻訳し、テニスの感覚を野球の言葉に翻訳し、そして今は自分の将来の選択肢を、まだ見ぬ言語へと翻訳しようとしている。
「通訳」という二つ名は、思いのほか彼の本質を言い当てているのかもしれない。
グラウンドを去る間際、私は最後にもう一度、あのスプリットステップを見た。
右に、左に。小刻みに重心を揺らしながら、次の一球を待つ少年。
そこには、二つの競技を生きてきた者だけが持つ、独特の静かなリズムがあった。
【取材こぼれ話】──ブレーキが利かなかった日
最後に、仲田雅からもう一つ、こぼれ話をもらった。
「一回だけ、中島のブレーキが利かなかった日があるんです」
「何があったんですか」
「練習試合前のアップで、俺がテンション上がりすぎて奇声上げながら走ってたら、珍しく中島も一緒になって走り出して。後で聞いたら『あの日はテニスの試合前を思い出して、逆にテンション上がった』って言ってました」
「珍しいこともあるんですね」
「珍しいというか、一回きりです。次の日にはもう、いつも通り冷静に俺を止めてきました」
通訳にも、たまには通訳できない日があるらしい。
【おまけトーク】──「逸材を、野球部に取られた男」
中島浩希の取材を終えた後、私はもう一人、話を聞いておきたい人物がいた。
甲府学館テニス部顧問、宮木和磨。国語科の教員でもある彼は、中島がまだ「テニス部の逸材候補」だった頃を知る、数少ない人物の一人だ。
職員室の隅、コーヒーを片手に現れた宮木は、開口一番、こう切り出した。
「あの子の話をするなら、まず謝らせてください。私、完全に取らぬ狸の皮算用をしてました」

【体験入部の日、舞い上がった話】
「体験入部で中島くんがコートに入ってきた時のことは、今でもはっきり覚えてます」
宮木は少し遠い目をした。
「フットワーク、球の追い方、何よりラリー中の『間』の取り方が、明らかに他の子と違ったんです。高校に入学したばかりでこれだけ動ける子は、正直そう多くない。私、その場で心の中でガッツポーズしてました。『これは逸材が来た』って」
具体的に何が優れていたのか、と尋ねると、宮木は身を乗り出した。
「一番は、予測して動く能力ですね。普通の子は、球が来てから反応する。でも中島くんは、相手の構えとかラケット面の角度を見て、球が来る前から重心を作り始めてるんです。あれは教えて身につくものじゃない。センスです」
さらに、バックハンドの技術にも言及した。
「バックハンドが特に光ってました。体の正面じゃなくて、横から入る力を面でコントロールする技術なんですが、あの年齢であそこまで安定してる子は、県内でもそういなかったと思います」
「だから、正直に言うと、入部届が出てくるものだと完全に思い込んでました。体験の日、帰り際に『次はいつ来られる?』って聞いちゃったくらいです」
宮木は苦笑いを浮かべた。
「そうしたら、しばらくして野球部に入部したって聞いて。……いや、ショックでしたよ。テニスだけじゃなくて野球も上手い子だったなんて、思ってもみませんでした」
【国語教師として見た、中島のもう一つの凄み】
宮木は、テニス部顧問である以前に、国語科の教員として中島に授業でも接している。
「実は、コートの外での中島くんも、印象的なんですよ」
「授業での様子ですか」
「はい。彼、文章の要点を掴むのが本当に速いんです。長い評論文を読ませても、どこが筆者の一番言いたいことなのかを、無駄なく拾ってくる。テストの記述問題でも、余計な言葉を削ぎ落として、必要なことだけを的確に書く子でした」
私はふと、中島が「通訳」と呼ばれていることを思い出し、その話を宮木に伝えた。
「ああ、なるほど。それは腑に落ちますね」
宮木は深く頷いた。
「読む力がある子は、大抵、伝える力もあるんです。相手が欲しがってる情報の芯を掴んで、それだけを渡す。国語の授業で見せてたあの能力を、野球部では別の形で発揮してるんでしょうね」
「テニスのコートで見た運動能力と、教室で見た読解力。この二つが、同じ中島くんの中にあったわけですね」
「ええ。あの子を逃したのは、テニス部にとって間違いなく痛手です。ただ……」
宮木は少し表情を緩めた。
「野球部で、あそこまで頼られる存在になってるのを聞くと、悔しさよりも、なんというか、納得の方が大きいですね。あの読む力と動く力があれば、どこに行っても重宝されるだろうなと、体験の日から薄々思ってましたから」
【手探りの2年目、見習うべき背中】
最後に、テニス部そのものの状況について尋ねた。
「実は、うちのテニス部、今年で活動再開からまだ2年目なんです」
宮木はそう明かした。
「休部期間が長かった影響で、部員数もまだ少なくて。組織としての仕組みも、正直まだ手探りの部分が多いです」
そこで話題に上ったのが、野球部の存在だった。
「野球部さんは、中島くんのような子が『ここに入りたい』と自然に思える空気を作れてるじゃないですか。学館祭を見て競技より先に学校を選んだ、という話も聞きましたが、それだけの熱量を外から見た人に感じさせられる組織なんだと思います」
「テニス部としても、そこを見習いたい、と」
「はい。うちも、体験に来てくれた子が『ここで続けたい』って自然に思える場所にしていかないといけません。中島くんを逃したのは、テニス部としての魅力づくりが、まだそこまで追いついていなかったということでもあると思ってます」
宮木は最後に、コーヒーカップを置きながら、静かにこう締めくくった。
「野球部さんの背中を見習いながら、うちも2年目、3年目と、少しずつでも『入りたい』と思ってもらえる部活動にしていきたいですね」
逸材を一人、隣の部活に譲ることになった顧問の言葉には、悔しさの奥に、確かな向上心が滲んでいた。
