駆け抜けていってしまう
全力投球で、人生を駆け抜けていく人達。
二度と会えなくなって、後悔したことが何度あっただろうか。
姉御と呼びたい先輩
ケイさんと知り合ったのは、同業者の研修だった。全国から人が集まり、3週間缶詰めで一緒に過ごした。
研修は毎年実施されており、参加者は30名ほど。年度によっては終了後に同窓会をする人達もいる。
同窓会をするには、幹事の存在が不可欠である。メーリングリストの作成、集まる企画の提案、連絡調整など。
私達のグループでその役割を担ってくれたのがケイさんだった。
仕事が出来て、堂々として、パンツスーツが似合って。ハッキリものを言うし、一見怖そうだけど実は気さくな人。
彼女が少し年上だったせいもあって、私から話しかける感じではなかったが、フレンドリーなケイさんは垣根をどんどんなくしていってくれた。
全国のあちこちで集まった同窓会。彼女はカメラマンまでやってくれた。
「フライト予約しました。そちらへ行きますが、良かったら会えますか」という連絡をもらった時とても嬉しかった。
2人で訪れた水郷の街。
お昼ご飯にはうなぎのせいろ蒸し。街を彩っていた雛飾り。その傍で写した彼女の貴重なショット。のんびり流れた時間。
春の初めに訃報が届いた時、同期の皆に悲しみが広がった。連絡を取り合い、行けるメンバーでケイさんの地元へ。
初めての土地に30分迷ってたどり着いた。
最後に見た彼女のリップは、ほんのりオレンジがかったピンク色だった。
お化粧っ気のない人だったなあ、とその時思った。
何度もご一緒できて本当に幸運だった。
忙し過ぎたんじゃないですか?と言いたいくらい、仕事バリバリの上に付き合いのいい人だった。
あんな風に接してくれる先輩には、もう出会えないだろう。
文学の意味を教えてくれる友
私の友人には、優秀な人が多い。
医療に従事する人。教育の道へ進んだ人。研究を極める人。自分と比べる気もおきないほどである。
その中でも、ソウさんは一番の自慢と言える人。若くして最高学府の教授になった。
高校で出会った時から、彼女は文学少女だった。その佇まいは、子供の頃から積み重ねてきた研鑽によるものに思えた。
私は彼女を下の名前でも渾名でも呼んだことがない。タイミングを逸したのかもしれないが、敬う気持ちはあったのだと思う。いつも名字に「さん」付け。
彼女は私のことを渾名で呼んでくれた。少し低くて艶のある声で、歌も上手かった。合唱部ではアルトのパートリーダー。
私達はクラスも部活も一緒で、話す機会が多かった。見ている方向は違うものの美的感覚は近かった気がする。
好きな漫画や芸能人の話で盛り上がった。彼女の知識は幅広かったのだ。
出張で上京した時、用務先がたまたまソウさんの大学に近かった。
思い立って帰りに訪ねてみたが、アポなしでは無理だった。講義か会議か…。
彼女の研究室のドアには、映画のポスターが貼ってあった。私も見たかった映画。やはり好みが似ているんだなあ。
簡単な手紙を書いて事務の方に預けたら、夜になって電話をもらった。変わらず元気そうで、懐かしかった。
それがソウさんと話した最後になった。
数年後、職場にいる時に共通の友人から連絡があった。彼女が入院して2週間で亡くなったという。
机に突っ伏して泣いた。
なんでなんで、と頭の中で繰り返し。
何年も健康診断を受けていなかったと、葬儀の場で聞いた。
ケイさんが旅立った翌月のことだった。
私はただ好きだという理由で文学部を選んだが、兄が親の期待を引き受けて医学の道へ進んでくれたことに負い目を感じていた。
文学を学ぶ意味について、ソウさんがコメントしている記事を読んで、目の前が開けるような、胸のモヤモヤが晴れるような感覚を覚えたことがあった。あの記事をまた読んでみたい。
彼女は沢山の著作を残してくれた。
これからも彼女の考えてきたことに触れられるのはありがたい。
それでも、やはり他愛のない話がしたい。
あの声で「ねえねえ」って呼びかけてほしい。
令和になっても、素敵な人達は続々と現れていますよ。私は相変わらずで、新しく推したい人もできました。
昔は「推し」って言わなかったよね。
最近お参りできていないけど、今年は行きたいです。私の話、ちょっとだけ聞いてください。
会いたい人には、会える時に会いに行こう。
今はそう強く思っている。
