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『幸福とは、呪うのが面倒くさくなる病である』

世の中を呪い、理不尽の雨に中指を立て、
「絶望万歳!」と叫んでいたあの頃の私はどこへ消えたのか。

今の私は、檻の中で毛繕いに励み、
たまに投げられるバナナをぼんやり眺める平和ボケしたお猿さんである。
あるいは、天下を統一したわけでもないのに
「燃え尽き症候群」に陥り、茶器でも磨き始めた隠居間近の武将のようだ。

状況は何一つ変わっていない。

家族は相変わらずだし、
社会という名のクソゲーも健在だ。
劇的な宝くじ当選があったわけでも、
脳内にセロトニンが洪水のように溢れ出した実感もない。多幸感など、どこかのスピリチュアルな誰かが作った造語に違いない。

なのに、どういうわけか、毒が出てこないのだ。

かつては「生存戦略」として、
怒りという燃料を燃やしてエンジンを回していたが、今はアイドリングすら怪しい。
あの苦しい精神状態には二度と戻りたくないが、戦場を失った武将の心境というのも、これはこれで「あ、自分、今めちゃくちゃ暇だな」というメタな虚無感に襲われて滅入るものである。

もしかして、これが巷で噂の
「幸せ」というやつなのか。

もしそうなら、幸せとは意外と地味でスカスカで、少しばかりマヌケなものだ。
後光が差すようなキラキラした瞬間ではなく、
ただただ「呪うのが面倒くさい」と感じる、
この圧倒的な静寂のことである。

かつての私が今の私を見たら、「おい、牙はどうした!」と毒を吐き散らしてくるに違いない。

だが、そんな自分に「まあ、バナナでも食べて落ち着けよ」と返せてしまう今の温度感。
絶望という名の燃える我が家を脱出し、
気づけば何もない野原でポツンと座っている。

この拍子抜けするほどの「心の凪」を、
今は笑いながら受け入れてやるしかなさそうだ。

これが「幸せ」だというのなら、
なるほど、毒を吐くエネルギーすら奪われる恐ろしい状態だと言える。

今のこの、牙の抜けた自分を、
かつての自分が見たら何と評するだろうか。


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