D・NOTE16 リズム 最終回 それでも、また始まっていく。
はじめに
ネオマックスです。
この文章は、
すぐに答えをくれるものではありません。
けれど、
静かに読むことで、
あなたの奥に残る「何か」を見つけられるかもしれません。
── 今日のテーマは、『生きるリズム』です。
序章 四本、二本、三本
最初は四本。
次に二本。
最後に三本。
赤ちゃんは、四つんばいで進む。
やがて立ち上がり、
二本の足で歩く。
そして年を重ねれば、
杖を加えて三本で進むこともある。
昔からある問いだけれど、
改めて考えると、ずいぶん面白い。
人は、
最初から最後まで、
同じ形で生きているわけではない。
支え方が変わる。
進み方が変わる。
速さが変わる。
できることも変わる。
それでも、
生きることは続いていく。
四本のときには、四本のリズムがある。
二本のときには、二本のリズムがある。
三本になれば、また別のリズムがある。
人は、
ずっと同じ拍を刻みながら生きるのではない。
変わりながら、
その時々の身体で、
その時々の速さで、
また進んでいく。
1 生まれたときから、リズムはある
赤ちゃんは、
何も知らない。
言葉もない。
予定もない。
時計も読めない。
それでも、
眠る。
起きる。
泣く。
飲む。
また眠る。
すでに、
リズムがある。
大人のように、
「今日は何時から何をする」
とは考えていない。
でも、
身体は動いている。
欲しければ泣く。
疲れれば眠る。
目が覚めれば動く。
ずいぶん素直だ。
むしろ、
人は生まれたときから、
頭で考えるより先に、
身体のリズムで生きている。
それが、
少しずつ変わっていく。
歩くようになる。
話すようになる。
人と関わる。
学校へ行く。
働く。
約束ができる。
役割が増える。
時計を見る。
そして、
いつの間にか、
自分以外のリズムが大量に入ってくる。
2 二本で立つということ
二本足で立つ。
当たり前のことのようだけれど、
かなり大きな変化だ。
両手が空く。
持てる。
作れる。
書ける。
働ける。
誰かの手を取ることもできる。
でも、
立つということは、
自分で支えるということでもある。
仕事。
生活。
人間関係。
選択。
責任。
大人になると、
自分で決めなければならないことが増える。
自分で進む。
自分で止まる。
自分で立て直す。
二本足で立っている時間は、
長い。
だから、
つい忘れる。
自分がいつまでも、
同じように立っていられるわけではないことを。
3 速くなる日、遅くなる日
生きるリズムは、
年齢だけでは決まらない。
若くても遅い日がある。
年を重ねても、
驚くほど速く動ける人もいる。
体調。
環境。
仕事。
人。
気持ち。
いろいろなものが、
一日の速さを変える。
朝は調子がよかったのに、
午後になったら急に落ちることもある。
昨日できたことが、
今日はうまくできないこともある。
逆もある。
ずっとできなかったのに、
ある日ふっとできる。
人のリズムは、
時計ほど正確ではない。
でも、
その不正確さこそ、
生きている証拠なのかもしれない。
毎日同じなら、
楽かもしれない。
でも、
たぶん少し怖い。
人は機械ではない。
調子が変わる。
気分が変わる。
考えも変わる。
そして、
そのたびに、
生き方も少しずつ変わる。
4 三本目の支え
年を重ねると、
三本目が必要になることがある。
杖。
手すり。
椅子。
人の手。
車。
道具。
薬。
AIだって、
ある意味では支えになる。
支えを使うことを、
弱さのように考える人もいる。
でも、
本当にそうだろうか。
四本から二本になった。
そして、
必要なら三本になる。
それだけのことなのかもしれない。
人は、
支えなしでは生きていない。
若いときだってそうだ。
家族。
友人。
仕事。
社会。
道具。
言葉。
誰かの知恵。
全部、
何かしらの支えだ。
三本目が見えるようになっただけで、
支えそのものは、
ずっと前からあったのかもしれない。
5 それでも、また始まっていく
一日は終わる。
眠る。
そして、
また朝になる。
昨日うまくいかなかったとしても、
今日が始まる。
昨日調子がよかったとしても、
今日が同じとは限らない。
リズムは、
約束してくれない。
でも、
朝は来る。
起きる。
食べる。
動く。
話す。
考える。
休む。
そして、
また一日が進む。
第1回から、
暮らし。
朝。
仕事。
会話。
体。
休むこと。
崩れること。
変わること。
自分のリズム。
いろいろ見てきた。
でも最後に残るのは、
たぶん、
特別な答えではない。
生きているかぎり、また始まる。
それだけなのだと思う。
うまく始まる日もある。
ぐずぐず始まる日もある。
始まっていることに、
しばらく気づかない日もある。
それでも、
始まっている。
終章 同じリズムには戻らない
昔の自分に戻りたい。
そう思うことはある。
昔のように動きたい。
昔のように働きたい。
昔のように考えたい。
でも、
戻ったとしても、
たぶん同じではない。
人は、
時間の中を通っている。
経験したものを、
なかったことにはできない。
身体も変わる。
考え方も変わる。
支えも変わる。
四本だったものが、
二本になる。
二本だったものが、
三本になる。
その変化を、
衰えとだけ呼ぶ必要はないと思う。
その時々の自分に合った拍へ変わっている。
そう考えることもできる。
生きるリズムは、
完成しない。
何歳になっても、
今日の調子を見ながら、
今日の速さを探す。
昨日と違っていてもいい。
明日また変わってもいい。
ただ、
今の自分で、
また一つ刻む。
そして、
次の拍へ進む。
おわりに
リズムは、
整っているときだけにあるものではなかった。
崩れているときにもあった。
休んでいるときにもあった。
立ち止まっているときにもあった。
誰かに合わせているときも、
自分へ戻ろうとしているときも、
そこには何かしらの拍があった。
だから、
生きるリズムとは、
きれいに刻み続けることではない。
四本で進む。
二本で立つ。
三本に支えられる。
そのたびに、
形を変える。
速さを変える。
それでも、
また始まっていく。
明日も、
同じように。
でも、
同じではなく。
D・NOTE16「リズム」は、
ここで終わる。
そして、
次は「居場所」へ。
リズムを刻んできた自分が、
今度は、
どこに立っているのか。
そこを見にいく。
ひとこと
生きるとは、その時々の足で、また次の一歩を出すこと。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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