未来のタクシーは、驚くほど普通だった——サンノゼで自動運転を体験して
サンノゼで、テスラの自動運転タクシー(Robotaxi)に乗ってみました。
正直なところ、乗る前は少し構えていました。
本当に自然に走るのだろうか。
急な車線変更や右左折は大丈夫なのか。
人が運転する車より、緊張するのではないか。
ところが、実際に乗ってみると印象はかなり違いました。
拍子抜けするほど、普通でした。
加速する。
止まる。
曲がる。
周囲の車との距離を取る。
その一つひとつが想像していたより滑らかで、しばらくすると自動運転であること自体をあまり意識しなくなりました。
未来の技術を体験したというより、
「移動の方法が一つ増えた」
そんな感覚に近かったです。
ハンドルを握っていないことより、「普通に走る」ことに驚いた
自分が乗った車には、運転席に人がいました。
ただ、走行中にはハンドルを握らず、車に運転を任せていました。
もちろん、完全無人のサービスとは意味が違います。
それでも、目の前で車が自ら判断しながら走っている光景は、やはり少し不思議でした。
ただ、数分すると、その不思議さも薄れていきます。
むしろ印象に残ったのは、
「自動運転なのにすごい」
ではなく、
「自動運転なのに、普通」
だったことです。
新しい技術が本当に普及するときは、驚かなくなった瞬間なのかもしれません。
価格も、思っていたより現実的だった
今回、自分が利用したときの料金は、同じような移動でUberを使う場合と比べて、感覚的には7割程度でした。
もちろん、料金は時間帯や距離、需要によって変わります。
一度の乗車だけで「自動運転のほうが安い」と一般化するつもりはありません。
それでも、未来の特別なサービスだから高い、という印象ではありませんでした。
むしろ、
便利で、
比較的手頃で、
普通に使える。
この三つが揃ったとき、自動運転は一部の人の新しい体験ではなく、日常の移動手段になっていくのだと思います。
自動運転の価値は、「運転しなくてよい」ことだけではない
自動運転というと、
ドライバーが不要になる。
人件費が減る。
交通事故が減るかもしれない。
といった話が中心になります。
もちろん、それも大切です。
ただ、自分が実際に乗って感じたのは、もう少し生活に近い価値でした。
移動中にメールを確認できる。
資料を読める。
景色を見る。
少し休む。
同行者と話す。
つまり、自分で運転していた時間を、別のことに使えるようになります。
これは、AIが仕事を効率化してくれることにも少し似ています。
新しい技術の価値は、何かを速くすることだけではありません。
自分の時間を取り戻してくれること。
自分は、その価値を大きく感じます。
車を「所有する」意味も、少し変わるかもしれない
自動運転タクシーが十分に安く、必要なときにすぐ来るようになったら。
車を所有する意味も、少しずつ変わるかもしれません。
車を持つと、
購入費。
駐車場。
保険。
税金。
車検。
整備。
さまざまな費用がかかります。
一方で、車を所有するからこその自由もあります。
好きなときに出かけられる。
荷物を置いておける。
自分の空間として使える。
だから、自動運転タクシーが普及すれば、誰も車を買わなくなるとは思いません。
ただ、
「車を持つか、持たないか」
の二択ではなく、
必要なときだけ車を使うという選択肢が、今より自然になる可能性があります。
日本では、むしろ地方で価値があるかもしれない
自動運転というと、大都市を走る未来のタクシーを想像します。
けれど、自分は日本では、車社会の地域でこそ価値が大きいのではないかと思っています。
鉄道やバスが少ない地域。
高齢になって運転が難しくなった人。
病院や買い物へ行くために車が必要な地域。
夜になるとタクシーがほとんど走っていない街。
こうした場所で、必要なときに自動運転車を呼べるようになれば、暮らしの自由度はかなり変わります。
免許を返納したら外出しにくくなる。
そんな選択をしなくてもよい社会になるかもしれません。
自動運転の本当の価値は、未来らしさではなく、
「移動できる人を増やすこと」
なのかもしれません。
テスラだけを見ていても、未来は分からない
もちろん、自動運転の未来がテスラだけで決まるわけではありません。
すでに完全無人運転を含め、異なる方式でサービスを展開している企業もあります。
カメラを中心に考える方式。
LiDARなど複数のセンサーを組み合わせる方式。
特定地域で精密に運用する方式。
より広い地域への展開を目指す方式。
どの方法が最終的に優位になるのかは、まだ分からないと思います。
技術だけでなく、
安全性。
規制。
保険。
事故時の責任。
利用料金。
車両コスト。
社会からの受け入れ。
こうした条件が揃って、初めて日常の交通になります。
だから、一度乗っただけで未来を決めつけるつもりはありません。
それでも、「もう始まっている」と感じた
ただ、今回サンノゼで実際に乗ってみて、一つだけ感覚が変わりました。
自動運転は、
「いつか実現する未来」
ではなくなっています。
まだ限定的でも、
まだ人の監視が必要でも、
すでに人を乗せて、普通の道路を走り、目的地まで運ぶ。
技術の議論を読むことと、実際に後部座席に座ることには、かなり大きな違いがあります。
車が交差点を曲がる。
前の車に合わせて減速する。
道路状況を見ながら進む。
それを後部座席から眺めていると、
「これはもう研究室の技術ではない」
と感じます。
現実の暮らしへ入り始めています。
移動の未来は、「速さ」より「自由」なのかもしれない
自動車は、長い間、人が自分で運転するものでした。
その前提が変わると、移動の意味も変わります。
移動中に仕事をしてもいい。
眠ってもいい。
景色を見てもいい。
高齢になっても出かけられる。
車を所有しなくても、必要なときに移動できる。
自動運転の価値は、車が賢くなることだけではありません。
人が移動に使っていた時間や制約を、少し減らしてくれること。
自分は、そこに一番期待しています。
サンノゼで乗った一台の車が、日本の交通をどう変えるのかは分かりません。
けれど、
日本でも、特に車が生活に欠かせない地域で、こうした移動手段が普通に使えるようになったら。
暮らしは、少し自由になると思います。
自動運転車に乗ってみて感じたのは、未来らしさではありませんでした。
「これなら、普通に使いたい」
という感覚でした。
新しい技術が社会に根づくのは、たぶんそんな瞬間からなのだと思います。
