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写真詩の中の短編小説「いつか」

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詩も併せて読むとより深く楽しめます。



「いつか」

 もう忘れてしまった。自分がどのくらいの年月を生きてきたのか。私はこの姿で、この場所で、どれだけの時間を過ごしてきただろう。ひとりで過ごすにはあまりに冷たいこの場所で、私は私を忘れてしまった。

 私に時の移ろいを教えるのは、太陽と月とこの白い花だけ。それがどれほど残酷なことなのかを、彼らは知らない。外から聞こえていたはずの人の声も、いつの頃からか聞こえなくなっていた。私は眠くなったら寝て、起きている時は気が向いたら塔の下から上へと歩き、重く閉ざされた入り口には見向きもせずに、各階の部屋を見て回る。

 本の部屋。当然全て読み終わっている。ほとんどがおとぎ話だった。部屋の上から下まで、びっしりに詰まっている。

 鍋の部屋。部屋の真ん中に吊された黒い鍋のある部屋。棚には何も置かれていない。

 糸の部屋。糸紡ぎ機や機織り機、針や糸や布が山のように置いてある部屋。

 他にも、空っぽの樽が積み上がっている部屋。椅子と机がたくさん並んでいる部屋。何も無い部屋。何かしらの工具類が放置されている部屋など。天辺の私の部屋に戻るまでに気になった部屋は掃除して、または物思いにふけってみる。

 何もしたくない時には気が向くまで私の部屋の窓から空を眺めている。星を眺め、雲の行く先を想像し、太陽と月の光を浴びる。それだけでもやがて眠くなるのだから不思議だ。

 時折夢に見る記憶の断片では、たくさんの黒いモヤのようなものが私を見ながら、「醜い」、「化け物」などと叫んでいる。私は逃げるようにこの塔に入ると、扉が閉まり、閉じ込められてしまう。何をしても外には出られず、私の身体は端から灰になっていく。

 そこでいつも目が覚める。勿論私の身体は灰になどなっていない。いつもの首から下の姿がきちんと残っている。老いもせず、病もせず、空腹もなく死にもしないでここに閉じ込められている私。私はそこから全く眠れなくなってしまうので、そういうときは私の唯一の友である白い花に話し掛ける。

 その花は月明かりを受けて真っ白く輝く。この塔にひとつだけある窓の外には、塔と同じ石のレンガが小さく空中を区切っていて、中には土が詰められている。その土から、白く美しい花が一輪だけ咲いている。

「もう新月か」

 例の夢で夕寝から起きてしまった私は花を見て独りごちた。花びらがあと1枚だけになっている。月の満ち欠けと共に花びらを落とすこの花は、満月の夜に一気に花開き、新月の夜にその全てを落とす。私の唯一の友人だ。全ての花びらを落とした後、次の満月までは寂しいが、この花は枯れることなくまた次の蕾を付ける。細い花びらが何枚も重なった繊細な蕾は、実に美しく愛らしい。

 この花からは私はどのように見えているのだろうと考えたことも何度もあった。何せこの塔には鏡が無い。自分の姿を映す物が無いのだ。明かりも無いから窓にはいつも空があるだけ。

 しかしあの夢の黒いモヤたちが醜い醜いと言うのだから、私はきっと醜い姿をしているはず。であれば外に出ない方がいい。私には花が居る。ただ、誰かと話をしたいと思うことはある。花に話し掛けてもあまりにも無口で、私は喋り方を忘れないように必死に花に話し掛けているが、時折虚しくも思う。生きることに、疲れていた。

「あなたも私も、長すぎる命だね。もう始まりすら思い出せない」

 そう言った瞬間、最後の花びらが土に落ちた。土が傷むと困るので、いつもなら花びらを塔の外へと放り投げているのだが、なぜだか無性にそのままにしておきたくなった。こんな気持ちは初めてのことだ。だから、今回はそのままにすることにした。

 花びらが茎と繋がっていた場所には白い産毛のようなものがぱやぱやと生えている。しっかりと目を近づけないと見えないが、何か理由があってその毛は生えているはず。生き物に無駄な構造なんて無いのだから。

 私は土の上の花びらがそこにあることをきちんと確認して、それからあくびに誘われてもう一眠りすることに成功した。

 次に目覚めた時、土の上に残しておいたはずの花びらは消え、代わりに小さな芽が土から出ていた。花びらを全て落とした白い花の隣に、新たな命が生まれたのだ。この塔で生きてきて初めての変化だった。

 私は震えた。今まで花びらだと思って捨てていたのは、この花の種だったのだ。この花の子孫であり、未来だった。私は居ても立っても居られず、塔を一番下まで駆け下り始めた。

 変化は私の中にも飛び込んできた。階をひとつ、またひとつと下る度、私が忘れたと思い込んでいた記憶が強烈に脳内に再生される。その度によろめき、足を止める必要があった。

 幼い私が好きそうなおとぎ話を集めていた父。その本の言葉を根気強く私に教える父の声。

 鍋の部屋で鍋に何かを入れて煮続ける母の後ろ姿。

 みんなの服を作る祖母の顔。

 積み上げられた樽からはいつも酒の匂いがしたし、並べられた椅子にはたくさんの人が腰掛けていた。そしてなんでも直してくれていた祖父の手。

 入り口の前に立った時、私はむせび泣いた。記憶の母は私を抱きしめてこう言った。

『お母さんたちはこれから、あなたが自分の意思でここから出たいと思った時に出られるようにしてきます。私たちは何があってもあなたの味方。可愛い子、どうかその美しさが醜い手に摘まれませんように』

 そして母たちは居なくなった。暫くして入り口からたくさんの人間が押し寄せてきて、私を見るなり「化け物!」と叫んだ。あの夢と同じだった。

 入り口横にある扉を開けると、何も無い部屋の奥に辛うじて残っているボロボロの小さな塊。その周りは黒いシミが広がっている。私はあの日、ここで人間たちに殺された。

 確かに殺されたはずだった。しかし気づけば私は自分の部屋のベッドで目を覚ましたし、窓辺にはあの白い花が咲いていた。

 私は意を決して入り口の大きな扉を開けた。その扉は拍子抜けするほど簡単に開いた。私は閉じ込められてなどいなかったのだ。

 太陽の光を遮る壁が無い。太陽から離れたはずなのに、まるで本に出てきたイカロスになったような気分だ。

 ようやっと目を開けられるようになった時、私は呆然とした。辺り一面、見慣れた白い花の茎で埋め尽くされていたからだ。塔の裏のずっと遠くの丘の方まで、目に見える場所には全て白い花の茎が生えている。私が放り捨てた白い花の種たちと、そこから生まれた種たちが、この土地を覆い尽くしていた。

 私はその中を歩き続けた。太陽の光はとても痛かったが、それよりもこの花の果てを見たかった。何かに導かれるように歩く。

 日が沈むと、少し行ったところに明かりが見えた。小さな家の上からは煙も出ている。私はその家の扉を叩いた。

「お入り」

 中からしゃがれた声がした。性別はわからない。扉を開けるとちょうど食事をしている老人と目が合った。

「あぁ。いつかいつかとは思っていたけど、帰って来るまで随分時間がかかったねぇ」
「帰る? ここに?」

 幾年月ぶりかの他者との会話は、酷く緊張して喉が渇いた。

「そうさ。お前さんは本当は、あたしの花だからね」
「花?」
「そう。まずはお座り。訳をすっかり話してやろう」


 もうずっとずっと昔。あの家族は子供が生まれてもすぐに亡くなることを酷く嘆いていた。一番下の赤子であったお前さんの元の肉体も、もう瀕死の状態で、家族は植物の魔女であるあたしに請い願いに来た。「子供が助かる薬はありませんか」とな。
 家族は元々植物に造詣が深く、ここいらの村では医者として、人のために生きていたようだ。だから私は、『ひとづきよ』という花を一輪やった。そう、綺麗な白い花さ。なぁに、魔女の気まぐれってやつだよ。
 この花を煎じてその赤子に飲ませれば、花の力で子供は蘇る。無病息災で生きられる。その代わり、力が強すぎて他の人間とは違う姿になる。本人が外に出たいと願った時、周りの人間がそれを受け入れるように手を回さにゃならん。それは大きな苦労だ。人間は自分たちとは違う者を排除せずにいはいられない、弱い生き物だからね。
 それでも家族は二つ返事で了承し、その場でお前さんに花を飲ませた。お前さんはたちまち息を吹き返したが、やはり姿は他の人間とは違うものになった。肌は他より白くなり、髪も細く短く白銀となり、瞳の色は薄い青。その姿は美しい『ひとづきよ』そのものだ。
 家族はお前さんを一旦塔に閉じ込め、村人から理解を得られる機を窺っていた。しかし運の悪いことにあまりできのいいとは言えない人間にお前さんの姿を見られてしまった。家族は躍起になる村人たちを説得しようとしたが、失敗。塔に居たお前さんも、人を殺した直後の気の狂った村人たちに殺されてしまった。
 そして人間の肉体から解放された花の力は、花としての姿を取り戻すと同時に、人間としての姿を得た精霊としても蘇った。しかしお前さんは強すぎる恐怖と自身の状態の変化に、記憶が混濁してしまったんだろう。


「ここに戻ってくるまでに、こんなに時間がかかるとは。もう村も人間も、ここいらには残ってないよ。残ってるのは魔女のあたしだけ」

 魔女は息を吐き出して、椅子の背もたれに身体を預けて笑う。

 今の私は花の精霊。そんな話、すぐには信じられない。でも確かに、この家は懐かしいと思う。目の前の魔女のことも、知っている気がした。

「お前さんは自分の意思で過去から自由になったんだ。好きな場所で、好きなようにしなさい」

 いつか夢見た自由。私に笑いかける魔女。私は満月を待たずに、満開の笑顔を咲かせた。


――――終


このお話はハッピーエンドでしょうか。バッドエンドでしょうか。その先は、あなたの心のままに・・・・・・。

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星原かなた 有難うございます。頂いたチップは主に執筆活動費、そして娘の画材購入費になります。サポートしてくださった方には良いことが立て続けに起こるおまじないをかけておきます!