写真詩の中の短編小説「地球照の月」
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詩も併せて読むとより深く楽しめます。
「地球照の月」
君は確かに、何かに嘆いているようだ。嘆いている内容の詳細はさして重要にはならない。君が人間らしく嘆いているのはなぜかを考えるのが今は重要だ。
嘆くとは、自分が下にあると悲しむこと。
嘆くとは、自分の手からこぼれたことを悲しむこと。
嘆くとは、自分には手に入れられないと悲しむこと。
嘆くとは、自分が満足せず悲しむこと。
なぜ、君は『今』を嘆けるのか。
それは君が知っているからだ。上を目指せばキリがないということを。
それは君が知っているからだ。いつかはその手の中を空にしないといけないということを。
それは君が知っているからだ。自分の能力と心の限界を。
それは君が知っているからだ。満足とは、物で溢れることではないということを。
嘆くためにはその価値を知っていないといけない。色鮮やかな物を見たことがない者に、灰色の世界がいかに寂しいかを説いても意味が無い。美しい音楽を聴いたことがない者に、無音の世界がいかに悲しいかを説いても意味が無い。美味しい食べ物を知らない者に、味を想像しろと言っても意味が無い。友を知らない者に友情を説いても、その偉大さは伝わらない。宝石を知らない者に宝石を見せても、そこらの道ばたに捨てるだろう。
それらが無いと嘆くには、その価値を知っていないとできない。
さてここで命題に戻る。君がそのような価値を知っていて、それが満足に無いことを嘆いているのはなぜか。真の意味で内省する者ならもう気づいただろう。
先に挙げた全てのものの後半に当たる者は、価値を知らない愚か者などではない。その真の価値を知っている満足した者たちだ。
彼らは決して嘆かない。今あるものの価値や自分を正確に捉え、それを十分に活用している。思い通りにならないことを嘆くのではなく、過分なものは手放し、不足しているものは正確に補充する。そしてその中で最大限に自分を生きている。嘆く必要が無いのだ。
だから嘆かない。白黒でも美しいと知っているし、無音でも心地良いと知っているし、空腹でもはち切れるほど食べない。必要以上の何かとの付き合いに気を揉まないし、過分な金銀財宝も必要無いと知っている。
表面の価値を知れば欲が出る。欲が出れば悩み、苦しみ、そして嘆き、心を埋め尽くしていく。やがて埋め尽くした嘆きが君の心を崩壊させ空っぽにするだろう。『無』が訪れたのだ。
しかしその『無』にこそ価値がある。壁の中に何も無ければ家になるし、服には身体を通す空間がある。器のくぼんだところには食べ物が清潔に置かれ、合わない人間の手を離せば気の合う人間と巡り会う確率が上がる。
見えすぎる電気を消せば、見えなかった星の姿に気がつく。すると、遠くの方にまで太陽が光を運んでいることにも気がづく。さらに地球を仲介して照らされた私には、君たちの暮らしまでもが光として月に届いているのだ。そう、君たちはそこで確かに暮らしているのだよ。
嘆いている君は気づけるだろうか。それすら見えなくなるほど、君に『あり過ぎて』いることに。君の『無』が埋め尽くされていることに。君は無くしたのではない。持ちすぎているのだ。
それを嘆きは教えてくれている。早く『無』なりたいと叫んでいる。でも君は手放したくない。だから苦しい。
そうして矛盾は大きくなり、君は崩壊寸前となった。このまま『無』が訪れるのを待ってもいいとさえ私は思っている。その方が本当の『無』を知れるだろう。しかし自ら手放してみるのも悪くない。そうすれば嘆きは徐々に満たされ、苦しみからも少しずつ解放されるだろう。
『無』になった君の空には、太陽ではなく地球に照らされた私が見えてくるはずだ。もちろん、私はずっとここに居はしたが、今の君からは見えない。君は光り物を持ちすぎている。君の輪郭すら私には届いていないよ。私は真の君の姿を見たい。
忘れないでおくれ。君の価値は、『無』の中で眠っている。
――――終
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