音が教えてくれた、“わたしの帰りたい場所”
夕方、●●駅の2番ホーム。 電車の到着を知らせるあのジングルが流れると
心のどこかがふわっとほぐれる。
なぜか、毎回その音を聴くたびに「帰ってきた」と思えた。 でも今では、あの音を聴く機会はもうない。
駅の構内は改修され、ジングルも別のものになった。すれ違っていた人たちの顔も思い出せない。
でも——音だけは、いまだに耳の奥に残っている。
本記事では「#わたしの帰りたい場所」を、“音の記憶”を通じて考えてみます。音楽を仕事にする者として、プロとしての耳ではなく、「音をただ好きだった自分」へと帰る旅でもあります。
忘れられないのに、意味のなかった音たち

あなたにもきっとあるはずです。
近所の八百屋で流れていた店内ラジオ
母親が朝ごはんを作りながら口ずさんでいた鼻歌
響いていたラジオ体操のテーマ
風呂場で居間から聴こえてきたテレビのED曲
どれも、楽曲名すら知らない。 でも、曲名なんてどうでもよかったんです。
“あの場所”で鳴っていた、という事実だけが記憶を支えている。
音楽というものが「記録されたデータ」だとしたら、 こういった“環境音”や“思い出の音”は、記録されない代わりに、記憶の中で強く生き残る。
人間の耳は、感情とセットで音を覚えます。
だから、帰りたいのは「綺麗な音」ではなく、 “そのときの気持ちがよみがえる音”なんです。
音楽を仕事にするようになって、失ったもの

私は今、音楽を仕事にしています。 作曲、編曲、教育、PR、音楽の販売など、いわゆる“音楽自営業”として日々を過ごしています。
DAWの使い方にも慣れ、周波数で音を見るようになり、 「どう届けるか」「どう売るか」といった視点も自然と持つようになりました。
…でも、だからこそ失ったものもあります。
たとえば、小学生のころ。 家に帰ってランドセルを投げたあと、 耳に流れ込んできたのは、祖父の見ていたプロ野球の中継。 あのときの「CMの入り方」「球場のざわめき」「解説者の抑揚」。
今なら完璧に録音して、DAWで切って、素材として保存するかもしれない。
でも、当時は「この音が好き」なんて意識すらしていませんでした。
それでも、あの音は今も心に残っている。
音楽をやっていると、つい“曲”を重視しすぎてしまう。 でも、音って「曲」になる前の段階から、すでに人を動かしているんだと感じます。
帰りたいのは「音楽の場所」じゃない。「音が生きていた場所」

誰にとっても、“音”は空間と強く結びついています。
音は、視覚よりも記憶に残りやすい。 なぜなら、目を閉じても聴こえるし、聴いた音に気持ちを結びつけるから。
私にとっての「帰りたい場所」は、たとえば:
商店街の雑踏と、揚げ物の音
雨の日に家族と聴いていたラジオのトーク
小学校の放送委員が操作していた昼休みの音楽
「音楽」とは呼べないものもあるかもしれない。 でも、そこには確かに“暮らしの音楽”があった。
今も音に関わる私たちへ:耳の原点を忘れないでいたい

音楽を仕事にしていると、良い音・使える音・伝わる音ばかりを求めてしまう。
でも、最初に音に感動したとき。 誰かの生活音に心をつかまれたとき。 「これが音楽だ」と思う前に、身体が勝手に反応していたあの瞬間。
そこに、私の“耳の原点”があると思うんです。
だから私は、帰りたい。 あの場所——ではなく、**“あの音に包まれていた空間”**に。
よくある誤解と、改善の視点(音楽自営業の観点から)

❌「いい音さえ作れば、伝わるはず」
➡️ 改善: 聴かれる場所・状況・文脈も含めて音は体験される。無音空間ですら音楽的な演出になる。
❌「音楽=曲である」
➡️ 改善: 音楽とは、音の流れと意味の受け取り方。音階やコードだけで構成されているわけではない。
実践:あなたの“耳の原風景”を言語化してみよう

・「あの頃よく聴こえていた音は?」
・「どんな空間でそれが鳴っていた?」
・「なぜ、今でも覚えているのだろう?」
それを思い出すだけで、今の自分が音とどう関わっているかが見えてきます。
➡️ あなたの“耳の原風景”も、ぜひコメント欄で教えてください!
まとめ:音楽の原点は、たぶん生活音にあった
帰りたい場所=“音楽”が鳴っていた場所 ではなく “音”が生きていた場所
自分の耳を育てたのは、何気ない生活の音
今だからこそ、“意味のない音”が懐かしい
あなたの帰りたい場所は、どんな音が鳴っていましたか?
いいなと思ったら応援しよう!
このコンテンツが「ためになった」「また読みたい」と思ったら、チップで応援していただけると励みになります♪
いただいたご支援は、より良い作曲コンテンツの制作に活用させていただきます!