我慢の限界で叫んだ日。HSPの私が学んだNOの必要性(HSPと介護)4

親を同居しながらワンオペ介護すると、自分の人生の中心に親の人生がどどんと鎮座する。

それは、自分がなくなっていく恐怖がいつも付きまとう。

でもやるしかない、そんなことをいつ終わるかも分からずやり続けると、介護を終えた後も、自分の人生スタイルがそのままに設定されてしまう。

少しでも親の介護で頭を悩ませた人は、共感してくれると思う。

HSP気質の人にそれが起きると、より自分を大切にすることが難しくなる。元々他者との境界線が曖昧なのに、境界線どころか、自分の中心に他者がドカドカと入り放題になってしまう。

では“自己”はどこへ行ってしまったのか?

介護するようになってから、私は繰り返して似たような夢を見るようになった。

家の廊下の床から「助けて!」と言う声が聞こえる、床板を剥がすと死にかけて口をパクパクさせている魚がいるのだ。

今思うと、あの魚たちは“私自身”だったのだと思う。

身体を壊してからは、夢すら見なくなった。

人間の習慣とは恐ろしいものだ。

父の発達障害的行動に困り果てた時に、私は慟哭した。

それはいきなりやってきた。

その前から、嫌だから私の食べ物を覗き込むことをやめて欲しいと何度言っても、いいじゃんと言って取り合わなかった父。

私は心の底から叫んだ。

嫌なんだよ!嫌だと言ってるのになんでするんだーーーーーーーー!

そう叫びながら身体を震わせて泣いていた。

流石にビビる父。

しばらくして落ち着いた後、父に悪いことをしたかな?と思ったが、父は行動を改めて、2週間ほどは、大人しくなった。

その時、嫌なことは――はっきり、強めに伝えないと相手には届かないのだと気づいた。

それが、父を研究するきっかけとなったのだ。

母が亡くなった時、家の事情も分からない、滅多に会うことのない親族がこう言った。

「お父さんを頼んだぞ。」

と…。😩

私は、「嫌だね。」

と答えた。

なんで、てめーにそんなことを頼まれなきゃなんねえんだよと言いたかったが、それは心の中に留めた。
(大切な人を亡くした直後の人には、本来なら“労い”や“気遣い”の言葉をかけたいものだ。)

本当に人間は相手を理解しない段階で、自分が気分が良くなりたい、自分のことを良い人間だと思いたいがためだけに、無責任な発言をするのだな、と母が亡くなって思い知らされることがしばらく続いたのだ。

それで、分かった。失礼で無責任な言動には「NO」を言うべきだと。

私自身を大切に扱わない人間にもだ。

私を守ってくれるのは、自分しかいない。

だから、高らかにNOと言おうではないか…可能な限り。

次回は、NOと言えるようになってから起きた変化について書きたいと思う。



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