バーロー、お茶会には俺一人で行くんだよ
2年前、私は人口1800人弱の島に住んでいた。
知り合いが、本当に一人もいない。
いや、正確にはいた。お茶を飲むようなご近所さんとか、ちょっと立ち話をする人とか。でも、「それめっちゃわかる!」と腹の底から笑い合えるような相手じゃなかった。
子どももいないし、ママ友コミュニティみたいなものとも縁がない。だから、気づくと一人でいる時間がどんどん長くなっていった。
もともと大人数は得意じゃないし、一人でも余裕で過ごせるタチだ。
だから、「孤独……」と打ちひしがれる感じでもなかった。
でも、人としゃべらなすぎて、喋り方を忘れそうなくらいではあった。
そんな時、YouTubeのおすすめに、色鮮やかなエプロンでベーグルを作っている女性が流れてきた。
それが、藤原しおりさんだった。
「ブルゾンじゃん、なつかし」
大晦日の深夜番組で、無言の長身男性二人を従えて、バッキバキのメイクで「味のしなくなったガムをいつまでも噛み続けますか」と語りかけてくるネタに、度肝を抜かれたのを覚えている。
テレビから毎日のように流れていくるオースティン・マホーンの「Dirty Work」。
当時、小学生で「35億」と声に出したことがない子なんていないんじゃないかってくらい、「ブルゾンちえみwith B」は流行っていた。
突然の再会をしたブルゾンちえみは、その看板を下ろして、色鮮やかなエプロンでブルーベリーベーグルを作っていた。
「くみちゃん」と呼びかけるのではなく、「視聴者の中にパン屋さんはいらっしゃいませんか」と呼びかける。
飛行機で医者を探しているかのようなその言い方と、ぐずぐずに溶けた冷凍ブルベリーを大笑いしながら見せてくる姿に、気づいたら最後まで見てしまっていた。
画面の向こうで、涙を浮かべながらずっとケラケラと笑っている。
それを見ていたら、なんだか私までおかしくなってきて。
気づけば、自分でも驚くような声を出して笑っていた。
楽しい。
久しぶりに、心から楽しいと思った。
急に始まる一人劇場とか、ひとつ質問すると百くらい返ってくる感じとか。
あと、話がちっとも前に進まないところ。
そういうところが、好きだった。
気づけば、毎日のようにライブを見ていた。
ひとりの時間に笑いが溢れるようになった。
それからは、アーカイブを見直す日々。
一度見たものも、何度も、何度も。
しおりさんは、よく「have to禁止」と言っていた。
「〜しなきゃ」「ちゃんとやらなきゃ」を、一回やめてみる。
気づけば私も、「あ、これ今have toしてるかも」と立ち止まるようになっていた。
しおりさんは、それを「have to禁止条約」と呼ぶ。
それを意識するだけで、少し呼吸が深くなって、島暮らしはぐっと快適になった。
しおりさんと視聴者たちが「have to禁止条約」を結んでしばらく経った時だった。
しおりさんが、YouTubeをはじめ全てのSNSを閉じた。
更新しなくても、アカウントは残しておいてほしかったけど、「一度リセットしたくなる」と穏やかな笑顔で話すしおりさんを私たちは見送るしかなかった。
しおりさんがSNSを閉じると聞いた時、私は思っていた以上にショックを受けていた。
毎日のように見ていたものが急になくなる。
それだけじゃない。
今、しおりさんがどこで何を見て、何を考えているのか、それを知る場所が完全になくなってしまう。
そのことが、思っていたよりずっと寂しかった。
ライブの中で話していた言葉を、私は必死にメモした。
「have to禁止」
「自分で納得したことをやる」
「清々しく生きる」
なくなってしまう前に、持って帰らなきゃと思った。
島暮らしが終わって、内地の生活に戻ってきた。
また知らない土地で、ひとりの時間が増えていく。
仕事もなくて、夫を送り出したあと、夫が帰ってくるまで一度も声を発しない日もあった。
以前の島暮らしと違うのは、周囲の土地が広いことくらい。
でも、どこにも出かけない私にとっては、正直あまり関係のないことだった。
寂しくはない。
私は一人が好きだ。
だけど、「独り」だなとは思った。
人口の多い内地に戻ってからの方が、その感覚を強く意識するようになっていた。
ある時、YouTubeのおすすめに、笑っているしおりさんが突然現れた。
しかもライブだ。
〝しおり切れ〟をおこして、私が「ひとり、つまんないな」と思い始めた頃、しおりさんはふらっと画面の中に現れた。
需要と供給すぎる。
「えっ」
思わず声が出た。
ちょっとシュッとして、さらに綺麗になったしおりさんがそこにいた。
ずっと片思いしていた相手が急に現れたみたいで、全身の血がぶわっと熱くなる。
そこからまた、ライブを見る日々が始まった。
しおりさんの言葉を聞いていると、「そうそう、これこれ」と思うことが何度もある。
自分ではうまく言葉にできなかった感覚を、しおりさんが丁寧に拾い上げていってくれる。
「そうなんだよね」と、自分の輪郭を確かめ直していくような時間だった。
YouTubeを再開してほどなく、しおりさんが「お茶会をする」と言い出した。
会える。
トークライブを「トークライブ」と呼ばず、「お茶会」と呼ぶところも、「来れたら来てね、行けたら行くね」というタイトルも、しおりさんらしい。
「絶対来て!」じゃない。「来れたらでいいよ」という。
たぶん私は、その空気に背中を押されて、一人で行く決心ができたんだと思う。
お茶会に初めて行ったのは、去年の7月。
しおりさんがお茶会をするようになって3回目の開催だった。
私は、初めての場所とか、人が多い空間が、本当に苦手だ。
「あの人いいな」と思っても、自分から話しかけるなんて、まずできない。
以前、ほぼ日の「生活のたのしみ展」に行った時、遠くに糸井重里さんの姿があった。
夫に「行ってきなよ。握手してもらえば?」と言われたけれど、無理だった。
無理無理無理。近づくことすらできない。
声をかけるなんて、とんでもないことだ。
そんな私が、藤原しおりのお茶会に一人で行くことを決めたのだ。
お茶会は少人数で、しかも自由席。
しっかり5分前行動をしがちな私は、開場時間だというのに人の少なさに驚いた。
え、まだこれしか来てないの……?
結局、5人目くらいで入場してしまった。
もっと後ろの方で、人の流れに紛れて入る予定だったのに。
ガランとした会場を見渡しながら、「自由席はハードル高すぎるよ」と心の中でしおりさんに文句を垂れる。
自由席の場合、私はだいたい後ろの端に座る。
認知されたくない。
ひっそりしていたい。
なんなら、空気になりたい。
でも、その日は少し違った。
「もう二度と来れないかもしれない」と思っていたから。
もし今回、「やっぱり無理だった」という記憶になったら、私はたぶん次は来ない。
だったら、近くで見たい。
かなり悩んで、前から二列目に腰を下ろした。
座った瞬間、「やりすぎた」と後悔した。
近い。思ったより、ずっと近い。
両隣にも人が座る。
しかも、ペアとペアに挟まれた。
恥ずかしい。私を見ないでくれ。
おまけに、トイレに行く時は声をかけなきゃいけないじゃないか。
やや憂鬱になりながら、「帰りたいな」と小さな自分が囁いていた。
でも、しおりさんが登場したら、全部どうでもよくなった。
会場が一段と明るくなる。
さっきまで「帰りたい」なんて思っていたのに、気づけば夢中になっていた。
ひとりなのに、ひとりじゃない。
控えめに生きていきたいはずの私が、声をあげて笑っていた。
しかも、
「あ、すいません。ちょっとトイレに」
まで普通に言えている。
お茶会ではオープンチャットが作られていて、観客もしおりさんにリアルタイムでコメントを送れるようになっていた。
YouTubeライブでもあまりコメントを送らないのに、気づいたらコメントを送っていた。
送信したあと、「送っちゃった……」と我に返る。
隣の人がスマホを触っている気配がなくてハッとする。
私はあの空間で、いつもとは違う「自分」になっていた。
ライブ後は、物販とツーショット撮影。
物販には、with Bのコージさんが立っていた。
物販の先に、しおりさんとのツーショットゾーンがある。
コージさんに話しかける人はあまりいなくて、ほとんどの人が次に来る自分の番に緊張しているのがわかる。
そこに、with Bがいる。
写真、撮りたい。
今思えば、そんなことあるか? 芸能人と写真撮りたいだと? 私が?
どうかしてる。
「写真撮ってもらってもいいですか」
気づいたら、コージさんにお願いしていた。
私が皮切りになって、後ろに並ぶ皆さんも、コージさんと写真を撮り始めた。
あれがアドレナリンが出ているというやつか。
普段できないことが、できてしまった。
ある時、「ファン同士で交流したい」という声があり、お茶会では「交流OKの人は左手の甲に『龍』と書いてくる」というルールが追加された。
龍は、しおりさんが厨二病に侵され、ナルシストについて研究していた時に生み出した、「如月龍哉」というキャラクターのこと。
しおりさんが厨二病でナルシストの研究。
意味がわからない。
いや、でも、そういうところが藤原しおりの魅力なんだと思う。
急に一人しおり劇場がはじまったかと思うと、突如ナルシストな如月龍哉が憑依する。
「交流(交龍)してもいいですよ」という人だけが、左手に龍を書くこと。
しおりさんは、いたずらみたいなことをよく思いつく。
「油性ペンがいいですよ。手を洗ったりすると落ちちゃうから。」と笑っている。
油性ペン。
どうかしてる。
日常を生きる私たちの手とwith Bの背中を混同してしまっている。
藤原しおりらしさは、私たち視聴者の呼び名にも表れている。
「工藤シゲル」
「工藤」は、しおりさんがライブ中によくやる名探偵コナンに登場する西の高校生探偵、服部平次のセリフ「せやかて工藤」の「工藤」。
「シゲル」は、ポケモンのオーキド・シゲル。
つまり、しおりさんは「服部サトシ」。
工藤新一も服部平次も、シゲルもサトシも、ずっとべったり一緒にいるわけじゃない。
お互いの人生を邪魔しない程度に離れていて、でも困った時にはそこにいる。
それぞれに生きていて、たまに会って、情報交換して、また自分の場所へ戻っていく。
重苦しくなく、かといって「他人」というほど遠くない。
心のどこかにいる相手。
その距離の取り方や、気持ちの伝え方がすごく好きだった。
私は昔から、「みんなで仲良くしましょう」みたいな空気がちょっと苦手で。
だから、この距離感と「来れたらきてね」の誘い方がとても気楽な感じがして好きなんだ。
私は今、左手に龍を書くか悩んでいる。
「交流(交龍)してもいいですよ」の合図。
そう。約9ヶ月ぶりのお茶会に当選した。
次はないかもしれないと不安がっていた私が、2回目のお茶会に参加をする支度をしている。
46歳。
左手に龍を書く練習をしている。何をやっているんだろう、私は。
前日の夜、夫に「龍を書くか悩んでいる」と話した。
私は、「キズパワーパッドに龍って書いて貼ろうかな」と提案してみた。
直書きは怖い。
夫は、
「書きたいなら書けばいいし、嫌だなと思うならやめたら」
と言った。
至極真っ当なことを言われてしまった。
書きたいけど、書けない乙女心。
私は人見知りだし、ウェイウェイ系の空気も苦手だ。
しかも、46歳のおばさんである。
日常はスーパーにも行くし、お隣の家に回覧板を届けることもある。
書くことに、リスクしか感じない。
もじもじと、ぐずぐずとしながら夫に相談していたら、
「会場行ってから決めたら? 雰囲気で書けたりするかもよ」
と言われた。
確かに。それはある。
しおりさんがライブで、
「すでに龍を書いてる人に“書いてください”ってお願いすることで交龍(交流)できる」
と言っていたのを思い出した。
それでいこう。うん、できそう。
今思えば、人見知りが、初対面の人に「龍を書いてください」と声をかけられるはずがない。
すでにアドレナリンがでてしまっていたのか。
私は家中からペンを探し出し、筆箱に詰めた。
太め油性ペン。
細め油性ペン。
念のための水性ペン。
念のためのキズパワーパッド。
準備だけは完璧。
お茶会に行く前には、美容院の予約を入れていた。
まさに「推しに会いに行く女」の行動である。
いや、一応言っておくと、東京の山奥に住んでいるので、都心に出る予定はできるだけまとめたいだけだ。
美容院は、お茶会のついでだ。
でも、「今日は推しに会うので」みたいな顔をしながら美容院に入ったのも事実だった。
「この辺が浮きやすくて〜」
「ここを短くすると広がって〜」
などのやり取りをして、美容師さんからの日々のスタイリングの提案に「ちょっと難しいですね」を積み重ねていった結果、マッシュになった。
私のショートカット願望と髪質を総合すると、マッシュが最適解らしい。
「ちょっと難しいですね」を積み重ねた結果がマッシュ。
人生も髪型のように丸く生きたい。
美容院は思っていたより時間がかかってしまい、昼食を食べる時間がなくなった。
まずい。お腹が鳴るかもしれない。
何かをお腹に入れようかと考えてみたけれど、頭の中は「龍」でいっぱいだった。
会場までの道を歩きながら、川沿いの木立の青々した葉っぱを見て、「書いてみようかな」と思った。
龍を。左手に。46歳が。
バッグの中にはペンがある。
道端のベンチで、こそこそ左手に龍を書いた。
自分が書こうと思った「龍」よりも小さくひ弱な龍になった。
しかも、念の為と持ってきていた水性ペンで書いてしまった。
何が、「念の為」だ。
ダサい、気がする。
小さく吠える龍をしばらく眺めて、腰を上げた。
じわじわ不安になりながら、足早に会場へ向かう。
すれ違う人を見ては、「あの人もシゲルかな」と思い、そっと左手を観察する。
自分の左手の小さな龍も、切りたての髪も、やっぱり恥ずかしくなってきた。
会場はすぐそこなのに、キャップを被る。
視界が少し狭くなって、妙に落ち着いた。
12時半開場。
少し早く着いたつもりだったのに、すでに開場していた。
整理券35番。
ちらっと周囲を見る。
誰も龍を書いていない。
私だけしか書いていないように見えた。
(実際は、龍を書いていた方はたくさんいた)
急に、自分の左手が恥ずかしくなった。
私はトイレへ向かい、水性ペンの龍をゴシゴシ消した。
ダサい。
しかも、キャップを取った髪は、当然のようにぺしゃんこになっていた。
うっすらキャップの跡がついていて、小学生男子みたいな髪型になっている。
ダサい。
ダサさの二重苦を抱えながら席へ戻る。
すると、お腹が鳴った。
昼ご飯を食べそびれたせいだ。
ダサい。恥ずい。ダサい。
でも、不思議と帰りたくはなかった。
しおりさんは、いつも通り序盤から話が長い。
「YouTubeライブでは何時間も話しているけど、お茶会はあっという間に終わっちゃうんですよね」と何度も言っていた。
話したいことを、丁寧にちゃんと伝えようとしているのがわかる。
それも、いつも通りだった。
その「いつも通り」が、なんだかすごく心地よかった。
今回、コージさんは序盤からトークに参加していた。
オープンチャットは後ろのスクリーンに映し出されていて、コージさんは自然な顔をしながら、ちゃんとコメントを拾っている。
その感じが、なんだかすごくプロだった。
コージさんの良い意味で、適当な相槌も心地いい。
「たしかに〜」
「わかる〜」
みたいな、少し力の抜けた返しが、会場の空気を柔らかくしていた。
しかも、コージさん自身がずっと楽しそうだった。
シゲル達と同じように、それ以上に、「楽しい」を前面に出している。
その「楽しい」が、会場の中でどんどん増えていく感じがした。
気づけば、私もずっと笑っていた。
地方別じゃんけん大会は、あっさり負けた。
関東の番になる前に、しおりさんのじゃんけんの癖を見抜いてやろうと、目と心を澄ましてみたけど、見抜けるはずもなく。
私はそんなに器用じゃないんだった。
途中でトイレ休憩が入った。
何度も鳴るお腹をさすりながら、トイレへ向かう。
参加者はほとんどが女性なので、トイレは激混みだった。
「トイレの状況を見ながら後半始めますね」とアナウンスがあった。
だから安心して並んでいたけど、用を済ませて個室から出たら、トイレには私一人しかいなかった。
え。
私の後ろにも並んでいたはずの人たちが、いない。
まさかと思って会場へ戻ると、舞台にはしおりさんとコージさんが立っていた。
始まってる。
しかも私は、結構前の方の列の真ん中あたりに座ってしまっていた。
「すみません、すみません」
日本人特有の、あの半分しゃがみつつの姿勢で、へこへこしながら席へ戻る。
みんな、しおりさんに夢中で、たぶん誰も気にしていない。
でも、恥ずかしい。
そう思ったけど、この「恥ずかしい」もシゲル共通の感覚かもしれないと思うと、少しだけ心強くなった。
小学生男子みたいな髪型で、龍を消した左手を見つめながら、やっぱり私は「シゲル」なんだな、とマッシュの頭を撫でた。
次のお茶会がいつになるかは分からない。
でも、その時までに私は、もう少しだけ「have to」を手放して、もう少しだけマシな龍を書けるようになっているだろうか。
帰り道。
誰にも見えないほど薄くなった左手の跡を、ギュッと握る。

バーロー。
私は、私のまま、またここに来るんだよ。
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