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自分を後回しにするのが、優しさだと思っていた

図工の時間に、隣の子が気になった。
小学生のわたしは、ワタワタしている様子に、つい手を出していた。

紙を押さえてあげたり、糊をつけるのを手伝ってあげたり。

だけど、今さら思う。

待て待て。
自分のは終わったん?
自分だってそんなに進んでるわけじゃない。
自分のやつに集中しなはれ。

だけど、無自覚なまま、最近まで続けてしまっていた。

身近な人が、ずっと同じところで悩んでいると、つい手を貸そうとしてしまう。

首を突っ込んでも、わたしのできることはないのに、プランAやBを提案してみる。
けれど、どれもうまくできそうもない。

仕方ないから、「一緒にやろうか?」
そんな言葉がけをしてみても、動きゃしない。

なんだかがっかりして、一度出したその手を引っ込めたりしたこともある。


わたしは、その時間、自分の本来向き合うべきことから、目をそらしていただけだったのかもしれない。
だって、周りを見ている方が、全体がよく見えるから。

だけど、ふと。
外から見た「困ってる」は「助けて」のサインだったんだろうか。

本人にとっては、そのタイミングじゃなかったのかも。

自分で考えて、「こうやったらいいんや」と、わかるから成長できる。

手を貸すことで、気づくはずだった瞬間や、自分でたどり着くはずだった答えを、奪ってしまっていたんじゃないだろうか。

もっと信頼して良かった。
もっとゆだねて大丈夫だった。


自分のことを後回しにしているとき、他の人から見れば「やさしい」と見られることもある。
「やさしい」という言葉に違和感を抱きながらも、そのままにしていた。

どこかで「自分と向き合わない」ことの言い訳にしてしまっていたのかもしれない。

自分の手を差し出さないことは、冷たいんじゃない。
その人を信頼しているということ。
その人の気づくタイミングを待つということだった。


わたしは、もう自分を後回しにはしたくはない。
だって、自分を知って、自分らしくあることが、わたしの幸せだから。

そして、できれば。

「幸せ」が、オーラとかエネルギーとか、うまいこと言えないけれど、目に見えないものとして、ぐるんと巡って、相手に届くといいなと思う。

そんな形で、手を差し出せたら、いいのにな。

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のぞみん|揺れる乙女、45歳 いただいたチップは、創作活動に使わせていただいております。 その活動をまたnoteにも還元しています。 いつも温かい応援をありがとうございます🤗