【自己紹介】人生はもっと自由で良い!を取り戻すためにビジネス始めました
はじめまして、のぞみです!
いきなりですが、私は27歳の時、
正社員の安定を捨てて、
南国フィジーに飛び立ちました。
「え、会社辞めてまで?」
って思われそうなんですが、
ほんとに辞めて行きました。
一応、新卒で就職したのは大手の会社でした。
周りからは、
「大手の会社にいれば一生安定でしょ。」
って思われてました。
もちろん親にも。
そんな安定を捨ててまで、
外国に行くなんて
ちょっとぶっ飛んでる選択だったと思います。
アラフォーになった今は、
ラグジュアリースパでセラピストをやってまして、
小学生と保育園児のママでもあります。
(あ、日本にいます。)
仕事&家事育児で
自分の時間はほとんど無し。
毎晩子供と寝落ちがデフォルト。
そんなアップアップな生活ですが、
副業もしています。
自分のペースで完結する働き方をしたくて
note×メルマガで発信をしています。
「留学して、セラピストになって、副業も始めた人」
そんな自己紹介に
聞こえるかもしれませんね。
でも、この一見バラバラな経歴は、
全部一本の線でつながっています。
正社員を辞めてまで留学した理由も。
副業を始めた理由も。
ずっと根っこにあるのは、
「自分で人生を選べるようになりたい。」
その想いでした。
その原点をお話ししたいと思います。
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陰キャな私、外国人になりたい
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私は昔から、
女子という生き物が苦手でした。
空気を読む。
表情をうかがう。
ちょっとした言葉のニュアンスで、
場の温度が変わる。
自分がターゲットにされないようにと、
リーダー格の子に取り巻く女子達。
まるでご機嫌取り。
私は、小学生のころから
そーゆー面倒な集団が
大キライでした。
だから、距離を置いて
クラスでは目立たず
ひっそりと生きてきました。
なのに、それも無意味でした。
小学校高学年の時、
仲よく話してた子が、
リーダー格の女子に呼ばれて、何か指示されてるんですよね。
そのあと、
さっきまで仲良く話してたその子は
さりげなーく私から離れていくんです。
(あーー、私と話すなって言われたんだな。)
すぐわかりました。
私はもちろん一人ぼっち。
そんな私を見て、
リーダー女子と取り巻き女子達は
楽しそうにクスクス笑ってました。
なんで?私何もしてないじゃん。
今すぐ家に帰って泣きたかった。
目立たないようにひっそり過ごしてても
ターゲットにされるんだな。
むしろ、そういう人間が
ターゲットにされやすかった。
直接的な関わりなんてないのに
嫌われる意味って?
嫌われるのって怖い。
私は、もともとおとなしいタイプの人間でした。
そんな経験もしてきたから、
私はますます塞ぎ込み、
自分の気持ちに蓋をして
過ごすようになりました。
陰キャに拍車がかかったわけです。
自分の意見を主張したら面倒なことになる。
それなら自分が我慢すればいっか。
嫌なことを頼まれても嫌と言えない。
自分の気持ちを押し殺してでも、
嫌な係をやったりもしました。
嫌われたくない。
ターゲットにされたくない。
結局、ご機嫌取りの取り巻きの女子たちと
やってることは同じだったんですね。
なんて窮屈な世界なんだろう。
そう思いながら、
学生時代を過ごしてきました。
ある年の夏休み、
家族で初めての海外旅行に行ったときの事です。
外国人て、誰にでもフランクに話すんですよね。
初対面でも距離が近い。
ホテルでのディナータイムには謎にダンスタイムが始まり、
誰振りかまわず手を引き、ダンスに誘い込むんです。
陰キャな私は尻込みしまくり。
その横で、陽キャな私の兄は
「フゥ~!!」と言わんばかりのテンションで
踊りに繰り出して行きました。
踊らない私を見て、
「お前、なんで踊んないの?
こんな外国にまで来てんのにもったいねーじゃん!」
兄に言われたこの言葉は
今でも忘れられません。
踊ってみたいけど、どう踊ればいいの?
下手なダンスしたら笑われるんじゃないかな…
とにかく恥ずかしい…!
そんな思いが拭え切れず、
結局私はずっと椅子に座ったまま
楽しそうに踊る人たちを
呆然と眺めてました。
外国の人って、いつもこんなに楽しそうなのかな。
子供って単純なもので、
私は自分とのギャップにすっかり魅了されてしまいました。
あー、外国人になりたい。
そう思うようになりました。
(短絡すぎ。笑)
外国への憧れがどんどん強くなっていき、
大学生になった頃から、
友達と海外旅行にも行くようになりました。
夏休みを使って、
一人で短期留学に行ったこともありました。
いつからか、
生活できるくらい長く滞在して、
その感覚を自分のものにしたい。
そう思うようになっていきました。
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安定の会社員、なのに心は不安定
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新卒で入社したのは
大手ハウスメーカーでした。
でも私、入社当時から
「3年働いたら会社辞めよう」
って思ってたんです。
なんでかって、
ずっとワーホリに行きたい夢があったんです。
でも、
ワーホリに行けないまま、
就職の流れに乗ってしまった。
事務職だったので、
仕事は毎年同じ作業の繰り返しで、
入社2〜3年目にはもうマンネリ。
でも、
上司も同僚もみーんないい人。
え?こんな良い会社あるの?
ってくらい居心地が良い。
正社員という安定もある。
控えめに言っても
最高の環境でした。
だから、
「会社を辞めて海外に行きたい」
と思いながらも、
「安定を捨てたら後悔する」
そんな想いも捨てきれず。
なかなか辞める決断ができないまま
4年という年月だけが過ぎていきました。
夢があるのに動けない自分が、
だんだん苦しくなっていったんです。
それがいつからかストレスとなり、
食べることで
ストレスを発散するようになっていきました。
あんこが大好きだった私は、
あんこを1キロ買って、
スプーンですくってそのまま食べたり。
仕事帰りにチーズケーキをホール買いして、
家に着いた瞬間にそのままむさぼったり。
実家住まいだった私は、
母が作ってくれた夕食を全部平らげました。
そのうえで、あんこやケーキ爆食いですからね。
当たり前に体重はどんどん増えてって、
見るからに太っていきました。
周りの先輩や同僚は、
アフター5にショッピングとか、
おしゃれして合コンに繰り出していました。
私はと言うと。
1分でも早く家に帰って、
何かを食べたくて仕方なかった。
アフター5もハナキンも、
一切関係なし。
食べることが、私の楽しみでした。
ぶくぶく太っていく自覚はあるのに
食べることもやめられない。
さすがに自分がやばいなと思いました。
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どうしても夢を捨てきれなかった
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私が目指してたのって、
ストレスを発散させるために食べまくる毎日だっけ?
本当にやりたいことって何だっけ?
ワーホリの夢、このまま叶えられなくていいの?
その感情が、ずっと奥底にあったんです。
最後に私を動かしたのは、
タイムリミットでした。
30歳までにワーホリに行かないと、
もうチャンスがなくなる。
その時私は27歳。
もう今しかない!!!
そこから、会社を辞める計画を着々と進めました。
(一応親にも報告しておくか。)
そんな軽い感じで報告したら、
父から大反対を食らいました。
「こんないい会社辞めたら、二度と入れないぞ!!」
まぁ、そりゃそうですよね。
後悔することくらい、
私だってわかってました。
でも、海外に行かなかったときの後悔のほうが
絶対に大きくなるのは
行く前から明確でした。
ずっと実家を出ようとしなかった娘が、
外国に行きたいと言って意志を曲げない姿に
父も折れたようで、
最終的に説得することができました。
こうして
27歳で、ハウスメーカーを退職しました。
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外国でやっと自分の殻から出られた
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ワーホリ前に英語に慣れようと、
語学留学をしたのが、フィジーでした。
フィジーを選んだ理由はシンプル。
留学費用が安かった!から。
正直、そのくらいの軽い気持ちで
選んだ国でした。
フィジーの海は、
今でも忘れられません。
ビーチから見える海の青さは、
尋常じゃなかったです。
地球上にこんな場所があったんだ、って。
綺麗に青く輝く海を眺めながら、
「あぁ、会社を辞めて本当に良かった…」
と心の底から思ったのを、
今でもよく覚えています。
(日差しが強すぎて、
日光アレルギーを発症するという
想定外のハプニングもありましたが。笑)
現地の人たちは底抜けに明るくて、
突然降ってくるスコールを
シャワー代わりにするくらいおおらか。
しょっちゅう起こる停電や断水も、
笑い飛ばすんです。
悩み事がないのかなってくらい、
いつも楽しそう。
そんな環境の中では、
「ちゃんとしなきゃ。」
「嫌われないようにしなきゃ。」
って、
自分を偽るような鎧を着なくてもよかった。
底抜けに明るい人たちに囲まれながら、
やっと気づいたんです。
「私、もっと自由に生きていいんだ。」
自分の気持ちを、自分の言葉で出せる。
顔色を過度に伺わなくても、人とつながれる。
そんな自由を、
フィジーで初めて体で感じました。
安さ重視で選んだフィジーだったけど、
結果的に私自身を変える大きな選択となりました。
「自由がいい」って、
頭で知ってるのと、体で感じるのは、
まったく別物なんですよね。
27年かかってやっと手に入れた感覚でした。
※そのままワーホリに行く予定でしたが、
フィジー滞在の最終月に、日本で大震災があり
私はそのまま帰国して、日本で過ごすことにしました。
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自由を知ったのに、また息苦しくなった
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帰国してからは、
フィジーで得た感覚だけでは
どうにもならない現実が待っていました。
セラピストというサービス業に転職し、
深夜早朝関係なく働き、
国民の休日とは正反対に働く日々。
結婚・出産を経て、
仕事と子育ての両立が始まりました。
ですが、思った以上に
負担が大きかったのです。
子どもが体調を崩して休めば、
お客様だけでなく、
一緒に働くスタッフにも負担がかかります。
休日のスタッフが
代わりに出勤してくれるたびに、
「また迷惑をかけてしまった。」
そんな気持ちでいっぱいになりました。
さらに施術は体力勝負です。
年齢を重ねるにつれて、
「この仕事をあと何年続けられるんだろう。」って、
そんな不安も少しずつ大きくなっていきました。
でも、本当に苦しかったのは
体力だけではなかったのです。
朝、出勤すると真っ先に気になるのは上司の表情。
(あー、今日は機嫌が悪そうだな……。)
そう感じるだけで、必要以上に気を遣ってしまう。
そんなことを考えながら一日が始まります。
また人の顔色を見る自分がいました。
フィジーでは自然に出せていた自分が、
また少しずつ、奥底へ戻っていくようでした。
心が少しずつすり減っていくような、
学生時代と同じ窮屈な感覚でした。
そして、子育てとの両立は
さらに私を追い込みました。
子どもが熱を出して休めば肩身が狭い。
残業をすれば、
「時短なのに残れるんだ。」
と言われる。
(いやいや、こっちは実母に子供の面倒をお願いして
仕事を休んだ日の埋め合わせをしてんだわ!)
って、
心の中では思ってます。
でもそんなこと、周りには関係ないんですよね。
残業して家に帰ったら
子供がすでに寝ていた事も何度もあります。
その度に、残業したことを後悔します。
気づけば私は
仕事を優先して、
自分や家族を後回しにする日々になっていました。
時間がない。
職場の人間関係は面倒くさい。
息が詰まる。
この働き方をずっと続けていくのは無理だな。
そう思い始めました。
ある日、
担当したお客さんと話していた時、
「ボーっとするために、宮古島に行ってきたんです~!」って
そのお客さんが言ったんです。
それを聞いた瞬間、
まじで羨ましいと思ったんです。
「行きたい」と思ったときに行ける人生
ああ、私がやりたいことはこれなんだ。
私が求めている事を、
目の前に座っているお客さんは
実現している。
じゃあ、今の私は?
旅行へ行くにも、
何か月も前から休みを調整して、
職場へお願いして、
周りの予定も考えなければいけない。
「今行きたい。」
そう思っても動けない。
この現実を見せつけられた時、
喉から手が出るほどに
そのお客さんの過ごしている人生が
羨ましかったんです。
このとき、はっきり分かりました。
私が欲しかったのは、
お金や時間だけじゃない。
自分で「行く」と決めたら行ける。
「休む」と決めたら休める。
そんなふうに、
自分で日常を選べる選択肢だったんです。
***********
私が探していたのは、「稼げる副業」じゃなかった
***********
「今日は子どもと過ごしたい。」
「今度の連休、旅行に行けたら良かったのに。」
こんなことを、
自分で決めて実現できる毎日にしたかった。
そのためには、
会社のお給料だけに頼る働き方では難しいって
思うようになりました。
副業を探し始め、
最初に飛び込んだのはリモートワークの
オンラインスクールでした。
そこで勧められたのは
SNS運用代行でした。
でも私は、
流行の移り変わりについていけず、
自分のアカウントすら一つも投稿できませんでした。
在宅では働ける。
でも、流行とか、誰かの都合に左右されるような働き方は、
私が求めていたものじゃなかった。
私が欲しかったのは、
自分のペースで積み上げられる働き方だったんです。
そんなある日、何気なく開いたnoteで、
「note自動販売機化」
という言葉を目にしました。
「一度仕組みを作れば、自分が働いていない時間も積み上がっていく。」
そんな働き方を知ったんです。
その瞬間、
「これだ!!」
って本気で心の中で思いました。
もちろん、
「何もしなくても稼げる。」
そんな話じゃないです。
文章を書いて、
仕組みを作って、
少しずつ積み上げる。
一度できたものは、
自分が寝ている間も、
仕事をしている間も、
子どもと遊んでいる間も、
働き続けてくれる。
そんな仕組みに、
私は心から惹かれました。
そして、もう一つ。
私は、人との関わりで疲れやすいんです。
だからこそ、
自分一人でも積み上げられるこのビジネスは、
私にとって、魅力以外のなにものでもなかったんです。
誰かに合わせ続ける人生じゃなく、
自分で考えて、
自分で作って、
自分で積み上げていく。
それが確立できれば、
会社に属して働く人生から抜け出せる。
年末年始
夏休み
子供と思い出を作りたい時期にも、
私は働かなきゃいけなかった。
そんな縛られる窮屈さから、
解放されたい。
お金の自由と、時間の自由。
「自分自身でつかみ取る自由な働き方」
一度仕組みを作れば、半自動で回せる。
細切れ時間のママでもできる。
それが、私がこのビジネスをやる理由です。
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お金の余裕が、選択肢を増やしてくれる
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お金がすべて、とは思っていません。
でもお金の余裕は、
生き方、働き方の選択肢を増やしてくれます。
選択肢があるだけで、
人は心に余裕を持てるんじゃないかと思うんです。
「今度の休み、旅行に行こう。」
そう思ったときに、
上司の顔色を気にしなくてもいい。
子どもに、
「やってみたい。」
と言われたときに、
お金の心配もせず、躊躇なく背中を押せる。
親に、
「たまにはご飯でも行こう。」
と気軽に言える。
そんな毎日を送りたい。
***********
夜の2,3時間しか作業時間がなくても、仕組みは作れます
***********
ここまで読んで、
「でも、のぞみは最初からできた人でしょ?」
って思われそうですが。
全然そんなことないです。
コンテンツを作り始めた頃の私は、
壊滅的に文章が下手くそでした。
何を書けばいいのか分からなくて、
最初の一文すら書けませんでした。
でも、
書いて、直して、また書いて。
少しずつ積み重ねてきました。
本業もあれば
子育てだって待ったなし。
作業できるのは、
子供が寝たあとの夜だけ。
それでも毎日、
夜に2〜4時間くらい眠い目をこすりながら、
時にはコクンコクンと舟をこぎながら
約2か月で「自分の代わりに働く仕組み」を作りました。
子育てと本業で夜しか時間がない中でも、
ここまでできたのは
どう進めればいいかの型があったから。
何度も言いますが、私は肉体労働のサービス業の傍ら、
仕事に子育てにと追われる
体力も衰えつつあるアラフォーです。
そんな私でも、型に沿って進めるだけで、
自分の代わりに働くシステムは作れました。
右も左もわからなかった私ができたんだから、
あなたにできないわけがないと思ってます。
もっと自由に選べる働き方はあります。
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のぞみ
