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電通の最前線を走っていたはずが、気がつけば「働かないおじさん」予備軍になっていた。〜あの頃の自分に、もう黙ってられないから言う〜

【はじめに】この文章は、たぶん、あなたに書いています

少し、長く個人的な話をさせてください。

このnoteは、私と同じ時代を生き、今年53歳を迎える「昭和48年(1973年)生まれ」の209万人の同級生、そして、いわゆる団塊ジュニアと呼ばれる約1200万人の同世代に向けて書いています。いや、もっと正確に言うと、深夜2時に眠れなくてスマホを見てるほぼ同い年のあなたに書いています。

ベビーブームの頂点に生まれた私たちは、物心ついた時から、とにかく「数」と戦わされてきました。教室は詰め込み、模試は偏差値の海、受験戦争は熾烈を極め、いざ社会に出ようとすれば「大就職氷河期」のど真ん中。
何十社と受けても内定が出ないのが当たり前だったあの頃。
履歴書を出しても出しても返事が来なくて、郵便受けを何度も見に行って、空っぽなのを見て、何も言わずに部屋に戻る。
あの感じ、覚えていますよね。思い出すとちょっと胃が痛くなる、あの感じ。

僕はその中で、なんとか電通に滑り込みました。たまたま運に恵まれた側にいた、というだけのことです。この話を書くと必ず「結局エリートじゃん」と言われるんですが、はい、結果的にはそうです。その前提で読んでください。

そこからは、もう必死でした。食らいついて、しがみついて、会社の歯車として身を粉にして働いてきた。その自負はあります。
ここまでは、本当によくやってきたと思うんです、私たち。
氷河期を食らいついて、会社にしがみついて、結婚した人は結婚して、子どもができた人は育てて、親の介護も始まって、健康診断で再検査の紙を受け取るようになって、老眼鏡を買うべきか悩むようになって。
気がつけば、後輩から「お疲れ様です」と言われるポジション。
ちゃんとやってます、私たち。偉いと思います、本当に。

ただ、ちょっとだけ、正直に聞いてもいいですか。

じゃっかん、いきづまってないですか?

責めてるわけじゃないんです。ちゃんとやってるのは知ってる。回してるのもわかるし、周りから頼られているのもわかる。私もそう。日々ちゃんと、ちゃんとやってる。
でも、「いきづまってるかどうか」だけは、それとはまた別の話ですよね。

だからこそ、私は同級生&同世代のために、
そして、組織の新陳代謝やミドルシニア人材の活用に悩む
経営者や人事の方々に向けてこの記事を書くことに決めました。
私自身がかつて抱えていた、誰にも言えなかった絶望と葛藤。それをここに書いておきます。これで救われる人がいるならば、そして共に立ち上がってくれる人がいるならば本望です。

私が残りの人生を懸けてやり遂げること。
それは
「本当にやりたいことに没頭するミドルシニアを3,000万人作り、日本をもう一度元気にすること」。
熱狂できる40,50,60代を共に生きるための、これは私なりのマニフェストです。

【ガンダムに乗ってたはずが、気づけばエヴァになっていた】

もともと、僕は映画監督になりたかった人間です。
ただ、現場の先輩たちのあまりの困窮ぶりを見て、早々にその道は諦めました。夢は大事、でも家賃はもっと大事。

それでも映像に関わる仕事がしたいとくすぶっていた僕に、ある人が言いました。「野澤くんがやりたいのは、映画じゃなくて広告なんじゃない?」と。なるほど。たしかに。

大学では日本文学を専攻し、太宰治を研究していました。太宰は暗いと思われがちですが、本来は人を元気にする存在です。太宰は太宰でも「明るい太宰治研究」を周りに公言しながら、太宰を読め!と熱く語っていました。(この話、飲み会ですると100%引かれるので最近はしません)。
そんな、世の中がまだ価値に気づいていないものに価値を見出し、プラスに転じる。その思考こそが「広告」だと気づいた時、自分の中で何かが繋がりました。

就職活動では、電通と博報堂のOBをそれぞれ20人ずつ訪問し、「どっちがいいですか?」とストレートに聞き続けました。我ながら失礼な学生だったと思います。
博報堂の人は自社の良さをスマートに語り、100%博報堂の方がいいと答えました。電通の人は苦笑いしながら「んー、博報堂かな」と言う・・。その泥臭い正直さに惹かれて、僕は電通を選びました。というか、結果的に内定をもらえたのは電通だけだったんですが・・。

配属は、希望通りクリエイティブ局(正確にはクリエーティブ局)。
大手ドラッグストアチェーン、ウイスキー、ケータイ、会員数5万人から一気に成長したケータイナビのブランドローンチ、日本一のアパレルブランドなどなど。いくつもの仕事の最前線で、コピーを書き続けました。

あの頃の僕は、電通という大企業の中で巨大なガンダムを操縦し、自分の書いた一行で世の中が動くような感覚の中にいました。
正直に言います。
めちゃくちゃ面白かった。

でも、気づいたら、そのガンダムはエヴァンゲリオンに変わっていました。
エヴァって、動き回る本体を暴れさせないようにはめる「拘束具」なんですよね。動きづらい。息苦しい。でも、それを外して生身で外(社外の環境)に出るのが、何よりも恐ろしかった。
あれ、いつの間に乗り換えたんだろう。
車検でもないのに勝手に乗り換えさせられる感じ。

毎晩、明け方まで家の近くのファミレス@中野でコピー&CMの企画を考えていた頃。

【頭の片隅で、ずっとノイズが鳴っていた】

30代後半から40代に差し掛かり、クリエイティブディレクターとなり、マネジメントへ回るようになった頃でした。

最初は、ほんの小さな違和感です。
アパレルやファミレスのコミュニケーションを担当し、目に見えて売上に貢献していても、頭の片隅でずっと同じ言葉がノイズのように鳴っていました。

「自分は本当は何をしたいのか?」と。

自分が「本当にやりたかったこと」はこれなのか?
本当は映画を作りたかったんじゃないのか? 
本当は小説を書きたかったんじゃないのか?
いやいや、CM制作はめちゃくちゃ楽しい仕事だろう? こんなに恵まれた環境もないじゃないか? 給料だって悪くない。贅沢言うな、俺。 変なことを考えるのはやめて仕事に集中しよう。

いや、俺が「本当にやりたい」のは小説を書くことだ。 
そうだ、小説を書こう。 
でも、書けない。 なぜ書かない? 
実は、「本当にやりたいこと」ではないのか?

本当にやりたいことがわからない。 わかったと思っても踏み出せない。 また別の「本当にやりたいこと」を探す。
一人で何周してるんだ、この思考。

この無限ループから抜け出すために、心理学やコーチングを猛烈に勉強し始めたのもこの頃からです。休日にやたらとセミナーに行き出したり、本を買う量が急に増えたので、周囲から「何か始めるの?」と心配されました。心配されるくらいには、傍から見てもおかしかったんだと思います。

「本当にやりたいことって何だろう?」という疑問は、本当に危険です。
一旦取りつかれると、いつも頭の片隅で、自分の行動の全てを監視するようになる。会議中も、接待中も、風呂の中でも、ずっと自分を見張ってる自分がいる。気持ち悪いでしょ。僕もそう思います。

自分の「足りないもの」を埋めるように本を買いまくっていた。昨年、1000冊近いの蔵書を一気に手放しました。その話はまだ今度・・。

【後輩の一言で、背筋が凍った】

そんな違和感が決定的な絶望に変わったのは、ある日、後輩のとんでもなく優秀な若手クリエイターと話をした時でした。
「自分はこのクライアントの商品が大好きなんです!」と目を輝かせ、圧倒的な熱量で語る後輩。
その純粋な熱狂を目の当たりにした瞬間、僕の背筋は凍りつきました。
かつて自分がCM制作に注いでいた、あの異常なまでの没入感が、今の自分には1ミリも残っていないことに気づいてしまったのです。
気づかなきゃよかった、とも一瞬思いました。
気づいてしまった以上、見なかったことにはできない。厄介です、自覚というやつは。

マネジメントに回り、チームの企画をディレクションし、クライアントやタレントとの調整を行い、部下の勤務入力に「承認」を押す日々。
どの仕事にもやりがいは感じていました。「承認」を押すのも、慣れると案外、気持ちいい瞬間すらある。でも、現場から一歩引いた俯瞰のポジションになったことで、仕事への「気持ち」が完全に追いつかなくなっていた。
自分が作りたいものを作れる、あの没入感の喪失。 現場から遠のいていく、寂しさ。

「自分の人生で本当にやりたいことはこれだったのか?」
その問いは、もはや無視できない大きさに膨れ上がっていました。

【名前をつけた――これは「他人軸症候群」だ】

ここから長い長い内省の旅が始まります。
そしてある日、振り返って気づいたんです。

受験戦争→就職氷河期 → 会社での競争 → 成果主義 → 管理職。
親からの期待に応え、会社の評価、上司の評価、先輩の評価、世間の評価・・ずっと「正解に合わせる筋肉」を使ってきた結果、自分の内側で反応する感覚が鈍くなっていたのかもしれない、と。

自分が本当にやりたいことをやっているというよりは、 これをやっていれば褒められる、 これを頑張れば評価される、 そんな「他人軸」で動いていた。
潜在的に「本当にやりたいこと」はあったとしても、 それをやって評価されない現実を見るよりは、 多少やりたくないことであったとしても、 ちゃんと評価されることが分かっていることを選んできた。

まあ、賢い生存戦略ですよ。これで40歳まで生きてこられた。文句は言えない。
ただ、代償は払っていた。
いつの間にか「やりたいこと」を感じる回路をオフにして、「やるべきこと」に没頭することを選んだ。忙しければ忙しいほど、今やっていることが「本当にやりたいことか?」なんて考えなくて済んだから。
「本当にやりたいこと」がないのでもなく、 「本当にやりたいこと」が分からないのでもなく、 ただ「本当にやりたいこと」を感じ取れない状態だった。

僕はこの状態に、今なら名前をつけられます。
「他人軸症候群」。
他人の評価軸に合わせる筋肉ばかりを鍛えた結果、自分の内側で反応する感覚が鈍ってしまう状態。他人から見たら優秀で、むしろできる人に見える。でも、自分の内側では、じわじわ何かが鈍っている。
厄介なのは、外から見てもわからないし、自分でも長いこと気づけないことです。気づいた時には、けっこう進行している。

とはいえ、当時の僕は、この状態に名前をつけることすらできていませんでした。ただ、なんかモヤモヤする。なんか、違う。でも何が違うのかわからない。そんな状態が、何年も続いた。

そして、このモヤモヤを解消できないまま、ある日突然、「辞めたい」という衝動が時折襲ってくるようになる。
会議中にふと。通勤電車でふと。土曜の朝、コーヒーを淹れている時に、ふと。特にきっかけはない。何かに怒ったわけでも、嫌なことがあったわけでもない。ただ、静かな衝動として、それは来る。
「辞めたい」。
でも、なぜ辞めたいのか、辞めて何がしたいのかは、自分でもまったく説明できない。だから人には言えない。妻にも言えない。言葉にすると軽くなる気がして、言わずに飲み込む。
そしてまた、いつもの月曜日が始まる。

今風に言えば、完全にゴーギャンシンドローム(=アラフォーに起こりがちなリセット衝動。パリの優秀な為替ディーラーを突然やめて43歳でタヒチに行った画家ゴーギャンに由来)です。
でも、電通はなかなかいい会社だし、子どもも生まれたばかりだし、辞める理由もないしな、と悶々とする日が続いていた。
タヒチに行く勇気もないくせに、心だけタヒチに行きかけてる。厄介です。

【秋の夜のノートと、「辞めよう」という答え】

今でも思い出す、ある秋の夜のことです。
妻と子どもが実家に帰っていて、家に一人。
こういう時、普通はビールを開けてサブスクの映画でも見るんです。でもその夜は、なぜかノートを広げていました。
いろいろ書き殴っていた時、僕の中に一つの明確な答えがすとんと腑に落ちました。
「ああ、これはもう、辞めよう」
不思議と、心はすっと軽くなりました。
ただ、すぐに辞める勇気はなかった。会社でそれなりの実績はあっても、独立してやっていけるだけの自信はない。自分で自分のこと、わかってます。そこまで勇敢じゃない。
だから、すぐには辞めないで、次の早期退職のタイミングで辞めようと決めました。「今すぐ辞める」よりも「いずれ辞める」の方が、当時の僕にはリアルだった。
翌日、妻に伝えたら「いいよ」と。それで、すっごく気持ちが楽になったんです。妻、強い。

でも、気持ちが楽になったからといって、「本当にやりたいこと」が見つかったわけではありませんでした。
もっと給料が欲しい。もっと評価されたい。もっと面白いものを作りたい。もっと有名になりたい。——最終的に自分のために仕事をしている限り、「本当にやりたいことって何だろう?」という疑問は消えなかった。
結局、欲はあるんですよ。煩悩もある。聖人になる気はさらさらない。でも、それだけじゃ、もう満たされなくなっていた。

当時住んでいた辻堂の家のリビング。

【犬の散歩で、答えが降ってきた】

ある朝、犬の散歩をしていた時です。
いつものようにぐるぐると「自分が本当にやりたいことって何だろう?」と考えながら歩いていた。
ふと、思いつきました。
「自分が一番時間を使って考えていること」こそ、「自分が一番やりたいこと」なんじゃないか。
じゃあ自分は何に一番時間を使っているのか?それは、「どうやったら本当にやりたいことが見つかるんだろう?」だ。
いや、それかい!と自分にツッコミを入れたその瞬間、見つかった気がしました。
自分が「本当にやりたいこと」は、「本当にやりたいことを見つける方法を、見つけること」。
つまり、僕のように「本当にやりたいこと」が分からない人が、「本当にやりたいこと」を見つけて、楽しく豊かな人生を送れるようにすること
簡単に言えば、目の前にいる人の「本当にやりたいこと」を一緒に見つけ、その実現を全力でサポートすること。

実は、コピーライター・CMプランナーの仕事も、クライアントの「本当にやりたいこと」を言葉にして、「本当に叶えたい未来」を映像などで実現する仕事だった。それと同じように、マネジメントという仕事も、チームメンバーの「本当にやりたいこと」を叶える仕事なんじゃないか。

20年やってた仕事の意味を、40すぎてから理解する。
遅いですよね。でも、遅くてもわかったんだから、いいことにしましょう。
クリエイターとしての自分の質が変わった瞬間でした。

  • 作る喜び → 引き出す喜び

  • 表現する → 言語化して火をつける

「自分は何に熱を出せる人間か」が、ここで初めて再定義されました。
問題は「何をやるか」ではなかった。「どう感じるか」だった。 やりたいことを見つけるのではなく、 やりたさを感じられる状態に戻すこと。
この転換で、世界の見え方が変わりました。
これからは、「本当に応援したい人を、応援しよう」と心に誓ったんです。犬の前で。

愛犬「キートス」。今年で14歳。キートスはフィンランド語で「ありがとう」という意味がある。キートス、いつも、ありがとう!

【「本当に応援したい人」は、社内にいた】

そうこうしているうちに、ずっと僕のメンターだった先輩が局長になりました。そして、マネジメント補佐をやってくれと言われました。自分に一番向いていないぞ、と思ったんですけど引き受けました。大好きな先輩からのオファーには「はい」か「YES」か「喜んで!」の三択しかありませんでしたし、何より、あの秋の夜に「本当に応援したい人を応援しよう」と決めていたからです。電通の人は大好きだし、局の子たちを応援するのは何の迷いもない。
タヒチに行くより、これは近い。近すぎて気づかなかった、とも言える。

それで始めたのが、いわゆるヒューマンリソース系の仕事。若い子たちの話を聞いて、大先輩たちの話を聞いて……意外に楽しくてね。徐々にクライアントを減らす代わりに、人事局の仕事を増やしていきました。
ただ、10数年築いてきたコピーライターとしてのスキルを手放すことへの恐怖は、確かにありました。
最前線のクリエイティブから離れることは、コピーライターとしての「筆を折る」ことと同義です。
「俺はもう、クリエイターとは呼ばれないんだ……」
その寂しさと、専門性を手放す恐怖は、言葉では言い表せないほど深いものでした。アイデンティティを自分で剥がすって、結構な作業ですよ。皮ごと剥がれる。

でも同時に、僕が個人的な興味と挫折をきっかけに学んでいた「心理学」の知見が、人事の領域で非常に珍重されたのです。役に立つ日が来るとは思っていなかった。勉強は裏切らない、らしいですよ。
自分自身が何をしたいのかを解明するためのトレーニングが、そのまま社内の迷える社員たちの研修に直結しました。

【見渡したら、同じ顔の同世代が山のようにいた】

管理職として自分の部署を見渡し、研修講師として人事局に出入りするうちに、それまで目の前の制作作業に没頭していた時には見えていなかった、社内のいろんな事情や課題が見えてきました。
僕と同じように熱を失い、うつろな目で出社している先輩や同世代が、社内に山のようにいたのです。
一人じゃなかった。
いや、一人じゃなかったと知って安心するのは違うんですけど、まず単純に驚いた。こんなにいたのか、と。
どんなに優秀なクリエイターや、圧倒的な実績を持ったプロフェッショナルであっても、ずっと現場の最前線で活躍しつづける人はほんの一握り。企業というシステムの中にいる限り、一定の年齢を超えると現場から引き離されます。
もちろん、現場から離れて管理職として生き生きと働く人もいますし、人事総務などのバックヤードで新たな活躍の場を見つける人もたくさんいます。そっちの道を見つけた人は、本当に尊敬する。

けれど、20代・30代で全身全霊で仕事に取り組み、全エネルギーを注ぎ込み、熱狂し、没入した快楽を知ってしまった先輩たちの中には、その熱を失い、没入する場所を塞がれてしまった人が確実にいる。彼らの背中は、一様に寂しそうで、疲れているように見えました。
かつて大きなクライアントをリードしていた営業の大先輩が、定年を数年後に控えて役職を解かれ、現場に復帰するも、特にやることもないまま生気を抜かれ、亡霊のように社内を歩く姿。
かつてスターと呼ばれるほど活躍していたコピーライターの先輩が、時間を持て余してデスクでネットサーフィンをしている姿。
商社に就職し、世界を駆け回って活躍していた学生時代の同級生が、かつてのギラギラした光沢を失い、「定年までどう会社にしがみつくか?」を肴に飲む姿。
書いていて、しんどいです。でも、書きます。
これは本人のスキルや、やる気の問題じゃありません。みんな、長いこと「他人軸症候群」を抱えたまま、ここまで来てしまった。それだけなんです。

そして、もっとしんどいのは、彼らの姿が、数年後の自分だったということ。
専門性を手放して管理職になり、研修講師として社内を歩き回っている自分。気づけば、「現場」からは遠く離れた場所にいる。電通には役職定年というものがない。つまり、ここから先は誰かがレールを引いてくれるわけじゃない。このまま数年がたてば、居場所を自分で作れないまま、亡霊のように廊下を歩くようになるかも知れない・・そのルートが、はっきりと目の前に見えました。
「働かないおじさん予備軍」。
自分のことを、そう呼ぶしかなかった。
電通の最前線を走っていたはずの自分が、気がつけば、その予備軍の一人として、同じ風景の中に立っていた。

【ヤバ過ぎる「大定年時代」が、もうすぐやってくる】

定年まで、あと10年とちょっと。
1971年から1976年の6年間の出生数は、約1,300万人。今後10年をかけて、この膨大な人数が順に定年を迎えていきます。
「大定年時代」が来る。そう思った時、背筋が冷たくなりました。
ちなみに、僕もその1,300万人の一人です。他人事として書いていません、念のため。

現場を離れ、行き場を失い、熱を失った大量の社員が、もし「不活性社員」になっていったら?「働かないおじさん」として会社のお荷物扱いされていったら?
これは電通という一企業の話じゃない。日本の大企業すべてが直面している、巨大な社会課題です。

「俺たちは、このまま、あと10年以上もやり過ごしていくのか?」
いや、絶対に違う。
これまで死に物狂いで会社を支えてきた人間が、そんな消化試合のような結末を迎えていいはずがない。
ただ会社を辞めて逃げるのではなく、同世代と一緒に、自分軸を取り戻したい
「働かないおじさん」などという不名誉なレッテルを貼られかけた同世代に、もう一度、火をつけたい。

そのためには、ただ冷たく外に放り出す(早期退職させる)のではなく、会社のバックアップを受けながら、独立の準備やスキルのアップデートができる「安全な助走期間と環境」が絶対に必要だ。
いきなり大海原に放り出したら、みんな泳げない。泳げるって言ってる人ほど、たぶん泳げない。
この葛藤と気づきが、僕の中に「新たな使命」を誕生させた瞬間でした。

【熱狂は、戻ってきた】

それからの日々は、全てが一変しました。
自分と同じように「本当にやりたいこと」がわからないまま、くすぶっているミドルシニアと、一緒にこの年代を盛り上げる。
その使命感が生まれたことで、私の中にあの全盛期のような「熱狂」が完全に戻ってきたのです。戻ってきちゃったもんは、戻ってきちゃったんだから、仕方ない。
かつてコピーライターとして、クライアントの「本当にやりたいこと」を言語化し叶えていた私に、今、全く違う形のプロフェッショナリティが加わりました。
今の私は、

  • 人が「本当にやりたいこと、叶えたいこと」(=人生の背骨)を言語化するプロであり

  • その実現に向けて伴走し、サポートするプロであり

  • ミドルシニアにもう一度「熱狂」を呼び覚ますプロフェッショナル。

自分で書いていて、ちょっと恥ずかしい。でも事実です。

そして、2021年に私たちが立ち上げた会社「ニューホライズンコレクティブ(NH)」(電通100%子会社)は、まさにその野望を形にした場所です。
ここでは、大企業の看板を下ろしたミドルシニアが、年齢も役職も関係なく、もう一度「1年生」として新しいスキルを学び直し、互いに教え合い、自分の名前で案件を獲得しています。
50すぎて1年生やるの、最初は恥ずかしいんですよ。でも、3日で慣れます。人間、慣れます。
かつて孤独に「承認印」を押すだけだった大人たちが、再び手触りを取り戻し、活き活きとプロジェクトを回している。
私たちが目指す「次なる熱狂の場」は、すでに確かな形として動き始めています。

できたばかりの人形町のオフィスの前で代表の山口裕二さんと(撮影:新津保健秀さん※サムネールの写真も)2024年より、オフィスは銀座に移転しました。

【立ち向かっている「巨大な壁」】

目標は、明確に定まりました。
ただ、この考え方と仕組みには、まだ「認知」という巨大な壁が立ちはだかっています。
私の熱狂も、

  • 組織の新陳代謝に悩む法人の人事部や経営者

  • 今まさに息苦しさを感じている個人

この両方に届かなければ、意味がない。
私が一人で「同世代、自分軸を取り戻そう!」と騒いでも、社会課題は解決しない。一人で騒いでる中年、ただの不審者ですから。

だからこそ私は、建前を捨てて、自らの言葉で発信するという挑戦を始めました。これが、その挑戦の第一歩です。

【同士達よ、力を貸してください】

◉人事、経営者の同士へ
今、「組織の新陳代謝」と「ミドルシニアの活躍」の板挟みで、頭を抱えている人事担当者や経営者の方は、本当に多いはずです。
私と一度、お話ししませんか?
これは一企業だけで解決できる課題ではありません。
これまで会社を支えてきた彼らを埋もれさせてしまうのではなく、もう一度「最強のタレント集団」として輝かせるための環境を、共に作りましょう。
社内向けの勉強会でも、タイアップセミナーでも構いません。「他人軸症候群からの回復と、自分軸で生きるための仕組み」を、ともに模索したいです。
怪しい宗教じゃないので、安心してお声がけください。

◉同世代の同士へ
男女問わず、深夜に一人で「このままで終わっていいのか?」と悩んでいる人へ。
(その深夜2時、私も似たようなことしてました。たぶん、同じ時間帯に、似た顔をした人が全国にたくさんいます。)
あなたの力と、心の奥底で燻っている熱狂を、共にあたため直しませんか?
会社の外の世界は、あなたが思っているほど怖くありません。出てみたら、意外と肌寒いだけでした。ダウン着ればなんとかなる。
教え合い、学び合い、再び一人のプレイヤーとして肩を並べて戦える「世界」が、ちゃんとあります。

NHでは静岡県の松崎町に田んぼを借りてメンバーと一緒に無農薬米を育てていたりします。NHオフィスでは、収穫したての新米をみんなで食べるイベントなど、月1回くらいのペースでたくさんの交流イベントを開催しています。

【「まだ始まっちゃいねえよ」――あの映画の、あのセリフ】

最後に。
北野武監督の映画「キッズ・リターン」のラストシーン。自転車に乗った二人の主人公が、夢やぶれた後にこんな会話をします。

「俺たち、もう終わっちゃったのかな」
 「バカヤロー、まだ始まっちゃいねえよ

あのセリフを、私は20代の頃から胸の中に持ち続けてきました。
52歳になった今、もう一度、自分と、同世代のあなたに向けて言わせてください。

「何言ってんだ、まだ始まっちゃいねえよ」

人生100年時代の主役は、私たちです。他人軸で生きてきた前半を終えて、ここから、自分軸で生きる後半が始まる。

熱苦しくてもいい。 大人気なくてもいい。 ちょっと恥ずかしくてもいい。 私たちで、日本をもう一度、面白くしましょう。

これからも、暑苦しい発信を続けていきます。
どうぞよろしくお願いします。

〜〜終わり〜〜

【「会って話しませんか?」僕からのお知らせと招待状です】

このたび、僕の新刊『もし人生にいきづまったら 人生をシフトして、やりたいことを実現する12の方法』(アスコム刊)が、2026年6月30日に発売さました!
(Amazon:https://amzn.asia/d/0e345KQE


そして、この出版を記念して、皆さんと直接対話するためのトークイベントを開催します。本のなかでは書ききれなかった「ことばの奥にある想い」を語るのはもちろんですが、ただ僕の話を聞いて終わるような会にするつもりはありません。

当日は、本のなかで描かれた、あの「〇〇を破る」ワークショップを参加者の皆さんと一緒にやります。
今回のnoteに書いた、「他人軸症候群」から抜け出して、自分の本当にやりたいことを見つけるというステップ。これを一人きりの部屋で悶々とやるのが怖いなら、僕と一緒に、そして同じ悩みを持つ会場の仲間と一緒にやりましょう。
手を動かし、声に出して、今まで見えてこなかった「本当の自分」に直接会いに行く。そんな泥臭くて熱い時間を共有できたら嬉しいです。

会場(東京・代官山周辺)でのリアル参加に加えて、オンライン参加もご用意しました。各回ごとの参加も、両日の参加も大歓迎です。

【開催概要】
◆ 「自分軸」の見つけ方
~他人軸症候群から抜け出して「本当にやりたいこと」を見つける方法~
日時:2026年7月28日(火)19:00〜20:30(※終了後、懇親会あり)
★自分のやりたいことの輪郭を見つけていきます。
※会場は東京・代官山を予定。確定し次第、参加者にメールにてお知らせします。

【参加費】
トークイベント&ワークショップ:
無料(会場・オンラインとも)
懇親会:
各回2,000円(※会場参加の方のみ・当日受付払い)

▼ お申し込みはこちらのフォームからお願いします ▼
https://forms.gle/MXHM9JgzErgTqTgH8
あなたと一緒に一歩を踏み出せることを、心から楽しみに待っています!

〜終わり〜

この記事を読んで何か思うことがあった方、感想をFacebookのDMをいただけると励みになります。
「うちの会社で一度話をしてほしい」 「自分も自分軸を取り戻したい」 「面白かったよ〜!」 「一緒に頑張ろう!」 「共感はしたけど、DMを送る勇気がまだない」
どんな一言でも構いません。
最後のやつも歓迎です。
あなたと直接お話しできることを、心から待っています。

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「三十路の魂、百まで」と思って十数年前に茶道を習い始めました。江戸千家 川上宗雪先生に師事し、昨年、師範のお免状をいただきました(撮影:村井眞哉さん)

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