見出し画像

「患者に好かれる看護師」が、職場で必ずしも評価されない理由


「〇〇さんがいてくれて、本当に助かりました。」

患者さんや家族から、そんな言葉をもらえる看護師がいる。

“退院時に涙を流しながら感謝される人。”
“病院宛にお礼の手紙が届く人。”
“看護部長や師長から「素晴らしい看護ですね」と褒められる人。”


それは間違いなく、看護師として嬉しい瞬間だ。

でも――

現場にいるスタッフ全員が、その人を同じように評価しているとは限らない

むしろ、時にこんな空気が流れる。

「その人が一人の患者さんに時間をかけてる間、こっちは他の患者を全部回してる」

「丁寧なのはいいけど、その分の負担は誰が背負ってるの?」

患者から慕われることと、職場で求められること。

この二つは、時に大きくズレる。

今日は、その“言いづらい現実”について書きたい。


患者に好かれることは、確かに大切

看護において、信頼関係は何より重要だ。

不安を抱えた患者に寄り添うこと。
家族の話を丁寧に聞くこと。
忙しくても、安心できる言葉をかけること。

こうした積み重ねがあるからこそ、

「この人にお願いしたい」
「この看護師さんがいると安心する」


そう思ってもらえる。

これは間違いなく、看護の本質の一つだ。

だから、“患者に好かれる看護師”を否定したいわけではない。

むしろ、その力はとても価値がある


でも、病棟は一人で回しているわけじゃない

問題は、その先にある。

病棟看護は、個人プレーでは成立しない。

誰かが一人の患者に長く関われば、
その時間、別の誰かが他の患者を受け持つ。

📞ナースコール
🧑‍⚕️急変対応
🚑入退院対応
💉処置
💻記録
🧑‍🧑‍🧒家族対応
🗣️申し送り

現場は、止まらない。

つまり、

「丁寧に関わること」

その裏側には、

「誰かが別の仕事を抱えること」

が必ず発生している。

ここに、現場の摩擦が生まれる。


「チームワーク」という便利な言葉

看護の現場では、よくこう言われる。

「チームで動こう」
「みんなで支えよう」
「チームワークが大事」


もちろん、それ自体は正しい。

でも時々、この言葉は

“個人の負担を飲み込ませるための言葉”

として使われることがある。

明らかに仕事量に偏りがある。
誰かがずっとフォロー役になっている。

それでも、

「チームなんだから」

で片付けられてしまう。

スポーツのように語られる“チームプレー”は美しい。

けれど、看護は人間関係の仕事だ。

感情もある。疲労もある。限界もある。

理想論だけでは回らない。


褒められる人の裏で、静かに積もるもの

“患者から届く感謝の手紙。”
“管理職からの賞賛。”

それは素晴らしい。

でも、その評価が

「患者から見えた部分」

だけで完結してしまうと、現場との温度差が生まれる。

残った記録を終わらせた人。
急変対応を引き受けた人。
定時を過ぎてもフォローしていた人。


そういう人たちは、あまり目立たない。

評価もされにくい。

だからこそ、

「褒められているあの人」

に対して、

素直に拍手できない気持ちが生まれる。

それは嫉妬ではなく、

“不公平感”

なのかもしれない。


本当に求められる看護師とは

では、
良い看護師とは誰なのか。

患者に好かれる人か。
スタッフに信頼される人か。

答えは、きっとその両方だ。

患者にだけ向いてもいけない。

スタッフにだけ向いてもいけない。


本当に求められるのは、

「患者に寄り添いながら、チーム全体も見られる人」

なのだと思う。

これは簡単じゃない。

むしろ、かなり難しい。

だからこそ、

そこに悩み、葛藤しながら働いている看護師ほど、

本当は現場を支えている。


最後に

患者に感謝されることは、たしかに嬉しい。

でも、それだけでは測れない価値がある。

見えないフォロー。
言われない気遣い。
評価されない調整。


そういうものが、

毎日、病棟を支えている。

拍手される人だけが、優秀なのではない。

静かに現場を回している人も、
確かに必要とされている。

そして本当に強いチームとは、

その両方を、ちゃんと認められる場所なのだと思う。

いいなと思ったら応援しよう!

7010nsous|看護師×公認心理師×第一種衛生管理者 応援いただきありがとうございます❗️ いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます‼️ 今後ともよろしくお願いします。