砂糖と塩を間違えた
料理も簡単なものなら、すぐにできるようになってきた。
味付けは、いまだ成長しない。
妻から教わった味付けを基本に適当にやっている。
少しづつだが、以前よりよくなってきた。
あくまで自己評価だが。。。
そんなある日、切り干しだいこんの煮物を作っていた。
切り干しだいこんの煮物は、私が幼いころから身近にあった料理だ。
学生時代、近くの食堂でどれほど食べただろう。
切り干しだいこんの煮物は、ひじきの煮物と同様に、私の故郷を思い出す料理だ。
切り干しだいこんの煮物は、むずかしい料理ではなかった。
手際よく煮物を作っていたのだが油断した。
調味料を頻繁に使っていたわけではないので、塩と砂糖の入れ物が、どの位置に置いてあるのか良くわかっていなかった。
当然、砂糖を入れているつもりだったが、見事に砂糖の分量の塩を入れてしまっていた。
ふだん見慣れた切り干しだいこんの煮物は、みためは同じようだったが、食べてびっくりだ。
塩辛くて食べるものではなかった。
大失敗だ。
そそっかしい私がやりそうなことだ。
甘味料を入れて調整したが、うまく味はでなかった。
なんとか食べるレベルになった程度だろう。
それでもめげずに毎日挑戦している。
冷蔵庫にある食材が頭に浮かぶ。
手際よく料理を作ることができるようになってきた。
ただし、腱鞘炎で包丁が使えなくなった。
ゆっくりと両手で包丁を扱っている。
食器洗いは、きれいにできるので好きな仕事だが、ここでも腱鞘炎の影響がでている。
左手にがんばってもらいながら、右手は手加減して、使い終わった食器を洗っている。
食事をする時間に比べると、作る時間と食べ終わった食器を洗う時間のほうがはるかに多くの時間を使うことを体得した。
お米が炊き上がったときのすばらしい光景も体得できた。
お米は自分で研いで炊く、そして炊き上がったとき、自分でお釜の蓋を開けるのが一番だ。
炊き上がったご飯をみると、それだけで食欲がわく。
こんなすばらしいものがあったのだ。
今更ながら、お米のすばらしさを知ることができた。
たぶん、妻は不満だろうが、私自身は、自分で作った料理に満足している。
ささやかな努力の結晶だ。
毎日、美味しく食事をすることができる。
なにもない時代に育った私は、今の時代の料理は、どれもすばらしい料理ばかりだ。
自分で作った料理でさへだ。
美味しい食材を作ってくださる人たちに、日々、感謝しかない。
もうすこし料理がうまくなりたい。
それにしても料理はおもしろい。
