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【エッセイ】終戦の日と祖父の想い出

 祖父がこの世を去ってから、約20年経つ。

 私が5歳の頃から大学卒業まで同居していた。厳しいところがあった。孫だからと言って溺愛された記憶はない。ただ、色々なところへ連れて行ってくれた。

 私が小学校を卒業した春休み。祖父は他の二人の従兄弟も一緒に、自らの故郷と母校。広島の平和記念資料館、呉の軍港、そして、江田島の旧海軍兵学校(現在は海自の幹部候補生の学校)へ連れて行ってくれた。

 そう、祖父は兵学校出の職業軍人で、海軍士官だった。孫達をそのような場所へ導いた意図。それは、わからない。多分、純粋に自らの幼少から青春時代を過ごした縁の地を見せたかっただけで、『平和教育』的な気持ちはなかったと思う。

 元軍人だった祖父は、夕食の席などでよく海軍や軍艦、訓練、戦前に訪れた諸外国の話をしてくれた。ただ、実際の戦闘の話は聞いた覚えがない。第二次世界大戦にも士官として参戦しているはずだが……やはり、孫を相手に悲惨な戦闘の話はしたくなかったのだろう。
 また、事あるごとに「第二次世界大戦は日本は負けると思っていた」と語っていた。その二つが、結果的にではあるが、私にとっての『平和教育』になったと、思っている。

 先ず、「戦闘の話をしなかったこと」
これは情緒面の話。戦闘の残酷さ、悲惨さを語らない。もしかすると、祖父の放った砲弾で亡くなった方がいるかも知れない……その現実を肌で感じ、思うところがあったからこそ、孫にその話を出来なかった……後々、その事実が却って「戦争の現実」を私に感じさせられた気がする。

 もう一つ、「戦争に負けると思っていたという発言」
これは理性の面の話。後で調べると当時太平洋方面に限定すれば、日本海軍と米英海軍の戦力バランスは、日本有利であったとか……ならば、「勝てる」と思ってもおかしくないところであるのに。
 恐らく、祖父は戦争の勝ち負けは「戦力」ではなく、その国全体の経済力、工業生産高や資源量などを総合した「国力」であることを感じて、そう思ったのだろう。
 何かで見たが、当時世界を席巻した戦闘機『ゼロ戦』は、完成すると飛行場まで牛車で運んでいたらしい。そんな国が米英相手に戦をして勝てる訳がない。ということではないかと考える。

 私見だが、『平和を守る』には「情」と「理」双方の視点が必要なのではないか?と思う。
 「情」だけ。例えば「戦争は悲惨だから憲法9条を守れ」と声高に叫ぶだけでは、解釈改憲を重ねられ憲法9条が、『宗教の経典』として扱われてしまうのでは……と、思う。事実、2項の戦力不保持条項があるにも関わらず、自衛隊は世界有数の戦力を持つ『軍隊』として世界では見られている。それを政府は「自衛権を行使する最低限の『実力』」と称している。これは既に『憲法の経典化』が進んでいる証左ではないだろうか?

 私自身は、地政学上のリムランドで、歴史上戦争が多発する地域に位置するこの国では、それなりの戦力は必要。自衛隊を国防軍として認定し、国際法の範囲内で軍事行動出来るようにすべきと考える。
 しかし、『経典化した憲法』の下でそれを行うのは、非常に危うい。第二次世界大戦前夜の「いつか来た道」を繰り返す懸念がある。それ故、自衛隊(=国防軍)の行動の範囲を明文化した憲法・法律を整備すべき……それが、「理」の面から『平和を守る』ことに繋がるのではないか……と考えている。

 しかし、「理」だけでも足りない。論理的に必要だから戦力を行使するとしても、引き金を引く痛みを感じないない人。また、部下と相手、更にその場で生活する人の生命や痛みを何とも思わず、非情な命令を下す人達に、『平和を守る』ことが出来るだろうか。
 それらの行動に、「ちょっとした躊躇」をする気持ちの積み重ねが、「情」の面で『平和を守る』ことに繋がるのではないだろうか。

 鬼籍に入って久しい祖父に、改めてそれを聞くことは出来ない。が、祖父は情理両面を持って国防の任務に就いていた。と、信じたい。

 祖父の最期には立ち会えなかった。両親から危篤の知らせを受け、その数日前から実家に帰省していたが、その日、どうしても外せない仕事があり、職場に戻った午前中に、その知らせが入った。
 電車を乗り継ぎ、夕方に再び実家へ。道すがら、実家で祖父と対面しなければならないことに、物憂げな気持ちがあった。
 正直な気持ち、同居していた約20年間、祖父に親しみを感じることは出来なかった。少し恐れ多い存在だった。
 しかし、客間の布団で北枕に眠る祖父と対面した瞬間、何とも言えない感情がこみ上げる。思わす正座してしまい、涙が溢れた。他の3人の祖父母の見送りの時は「泣こう」として流した涙。一番親しみのない祖父は、自然に湧き出てきた。そして、頭の中に浮かんだ言葉。「お疲れ様でした」と自然に呟いていた。

 明治の最後の年に生を受け、大正、昭和、平成と生き抜き、戦争の世紀と言われた20世紀を駆け抜け、歴史の教科書に書かれていることを体感してきた祖父との最後のひとときだった。

ーあとがきー
 第二次世界大戦の終戦の日。思うことについて、祖父との想い出に乗せて記しました。子供達に戦争の世紀を引き継ぐことのないようにするのは、その時期を肌で知る世代と接してきた我々世代の責任ではないか?と、思います。個人レベルで出来ること、その内の一つという想いもあります。
 何かと「重い」話ではありますが、一年の内、せめてこの日だけでも思いを馳せる。まずはここからかな…と、思っています。

ーーRyo Natsumi


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