書体の名づけについての覚え書
はじめに
現在、日本語書体は3000種類を超えるといわれ、百花斉放の趣きを呈している。書体数の充実はまた、書体名の充実であるともいえよう。
しかし、書体名にことさら注目して語られることは、これまで意外にも少なかったのではないだろうか。
本記事では、通時的あるいは共時的に書体の名づけを見つめ直し、書体における名づけとはどのようなものであるかについて考えてみたい。
書体の名づけの歴史
金属活字期
手始めに、金属活字が確立した明治期の活字見本帳に書体名の淵源を探ってみたい。
東京築地活版製造所による明治9年発行の活字見本帳『TYPE FOUNDRY. TSUKIJI AT TOKEI.』を披閲してみると、そこには「第壹號」や「第貳號」などといった活字サイズの記載がみられる。しかし、明朝体も楷書体も一様にサイズ表記のみの記載にとどまり、各書体の分類を企図しているとはいえない。
つづく、明治21年発行の『新製見本 SPECIMEN OF NEW TYPES』や、明治27年発行の『座右之友』になると「壹號明朝」や「貳號楷書」など書体の種類も含めた記載となっていることが認められる。さらには「四號平形新体かな」などのやや詳細な名称もみられる。
加えて、明治36年発行の『活版見本 SPECIMEN BOOK OF TYPES』には装飾書体として「フワンテール形」や「蔓形」、それに「五號二分ノ一冷泉體平假名」などのユニークな名称もみられ、このあたりに書体の名づけの萌芽を見出すことができるかもしれない。しかし、これらは今日における固有名的な書体名というよりは、明朝体や楷書体と同じく種類としての書体の分類にとどまるといえよう。例えば、「フワンテール形」はアメリカの装飾書体Fantailにその参照元を探ることができ、それをそのまま引用している。
念の為に補っておくと、現在では、東京築地活版製造所の書体群を「築地体」、秀英舎の書体群を「秀英体」と称ぶが、これらは後年に至っての呼び習わしである。
さらに時代が下って、昭和8年森川龍文堂発行の『活版総覧』や昭和35年岩田母型製造所の「活字母型書体見本」などをみても、名称についての事情はそう変わらないようである。
ただし、例外もないではない。
その一つとして、楷書系活字をあげることができる。
明治35年に発売された「勝宝活字」の由来は、「天平勝宝年代の我国文化開明にあやかるためつけられた」(「鉛活字鋳造の揺籃時代」『印刷界』第156号)とある通り、書体の種類やサイズによる便宜的な名づけではなく、書体に何かしらのイメージを付随させるような今日的な名づけに近いといえるだろう。
また、印刷史研究者の府川充男が「正楷書」について、「正楷書とは“正しい楷書”の謂ではない。清朝体が日本の一活字業者の作った楷書活字の一系列に付された商品名であるのと同様に、支那の業者名に取材した製品名であったわけである」(『聚珍録 第二篇』、三省堂)と述べている通り、現在一般名詞化しているように思われる「正楷書」や「清朝体」なども製品名であることがわかる。ただ、これらの書体は、固有名的な名称というより、明朝体やゴシック体と同じ相における書体の一種類を示すような名称となっている点には注目すべきだろう。つまり、明朝体やゴシック体といった書体の種類と固有名的な製品名が必ずしも截然と別れていなかったことを意味する。
ともかく、楷書系活字においては十把一絡げに楷書体とするのではなく、固有の書体名を与えることがあったことが諒解されるのである。これは、明朝体やゴシック体が抽象化された没個性的で匿名性の高い書体であるのに対して、楷書体は書風を重視する書体であることに起因しよう。結果的に楷書系活字はその書体固有の書風を顕示するべく、一段踏み込んだ名づけが要求されたのであろう。
またもう一つの例外として、カナモジカイのカタカナ活字をあげることができる。大正9年に設立されたカナモジカイは、国字改良論の観点から国字をカタカナに絞るよう提唱した。彼らは可読性に優れたカタカナ書体の開発に取り組み、大正から昭和にかけて数々のカタカナ活字を発表した。
一部を上げると、「マツ」や「タケ」、「ホシ」「ツル」「スミレ」「アラタ」「クレハ」などがある。従来の書体の種類やサイズによる便宜的な名づけに囚われることなく、思い思いの名詞を取り合わせていることがわかる。それでいて、今日的な書体名よりも、もっとささやかな領分の名詞を切り取っていることもわかる。ちなみに、「アラタ」というのは設計者であるミキイサムの子息の名前を冠したというのだから、その自由さが窺えよう。
従来にはなかったカタカナ活字という新たなスタイルに対応するかたちで、新たな名づけが可能になったわけである。
さらにはカタカナ表記という制約を勘案し、簡潔でありつつも同音異義による混乱を生じさせない名称が選ばれたのであろう。加えて、カタカナ活字の字数の少なさが設計者による書体の作品化をもたらし、「アラタ」に代表されるような個人的趣味的名称を生み出したとみることができるのではないか。
ただ、このようなカタカナ活字は、その後の歴史的な帰趨の点検を俟つまでもなく、徒花と成り果ててしまった。たしかにその名づけやモジュール式の設計思想は、後述の「タイポス」などへの架橋となった側面があるが、カナモジカイのカタカナ活字の発展じたいは終焉をみた。
とまれこのような例外を除き、金属活字期の書体の名づけの大部分は、先にみてきたような活字のサイズと書体の種類の弁別に終始していたといってしまってよい。
ではなぜ、このように書体の名づけというものが今日的な固有の名づけまで至らず、便宜的な分類にとどまっていたのかといえば、それは、金属活字では多書体化を行なわなかったことによると思われる。金属活字は、後の写植などとは異なり、常に改刻の機会があったことで、同一書体に手を加え続けることができた。結果として、書体数は絞られ、簡便な分類で十分対応することができたのだ。
加えれば、多様性を重視する今日ほどは、多くの書体群が求められていなかったことも大きな要因だろう。
写植期
続いて、写植の場合をみてゆきたい。
写植用書体としての嚆矢は、昭和4年頃に写研の石井茂吉が制作したいわゆる「仮作明朝」をあげることができる。その名称からも、試験段階にある書体であることがわかるが、名づけの側面においても同様におざなりの感がある。というより、そもそもこの名称は、石井じしんではなくアオイ書房の志茂太郎がつけたというのだから、ある意味で書体の名づけはさほど重要視されていなかったともいえるかもしれない。
この「仮作明朝」は改良され、後年には「石井中明朝体」と称ばれるに至る。ただ、一時期は単に「明朝体」と称ばれていたようで、昭和26年に「細明朝体」が完成したことにより、「中明朝体」と称び改められることになった経緯がある。そこに、いつしか制作者の名を冠し「石井中明朝体」と明記されるようになった。
この名称の変遷は、そのまま書体の名づけの発生を物語る好個の例として捉えることができるのではないだろうか。
そもそも同一圏域内に複数書体が存していなければ、はじめから名づけという弁別的行為は不要で、とりあえず「明朝体」とでも称んでおけば十分だったのである。写植の文字は金属活字とは違って固有のサイズに縛られることもないので、金属活字の見本帳に見られるような号数の記載さえも不要だった(ひるがえってみれば、「明朝体」という名称は暗にゴシック体や楷書体などの展開を前提としていたともいえる)。
そこに「細明朝体」という新たな明朝体が加わったことで、にわかに弁別の必要が生まれ、「中明朝体」と称ばれるようになったわけである。さらには、制作者の名を冠することで自社のブランドを誇示するよう策したのであろう。
このあたりに、書体の名づけの成立過程を読みとることができる。とはいえ、これらは場当たり的な類別に過ぎず、今日的な名づけからは隔絶している。
ほかにも初期の写研の書体をいくつか瞥見してみると、「太ゴシック」「楷書」「アンチック体」「ファンテール」などがみつかるが、めだたしい名づけは見当たらない。
次に、モリサワの初期の書体についても簡単にみておきたい。
昭和30年頃に発表されたモリサワの最初期の書体に、「中明朝体AB1」と「中ゴシック体BB1」がある。「中明朝体」や「中ゴシック体」などの表現は、写研と同質であることが確認できる。また、「A」や「B」は記号番号としての役割を持ち、明朝体やゴシック体などの書体の別や、ウェイトなどを表している。
そのほかの初期書体を一部あげておくと、「教科書体CA1」や「宋朝体FMK1」「隷書体E1」「アンチック体AN1」「見出ゴシック体MB31」などがある。
このような記号番号を用いた書体の指定は写植特有のシステムである。やや話はそれるが、このあたりについてすこし触れておきたい。
記号番号は写研では書体コードなどとも呼ばれ、アルファベットを中心に構成された文字列のことを指す。実地において広く用いられた。
例えば、先述の「石井中明朝」のオールドスタイル小がなは「MM-A-OKS」と表記される。
書体コードについて、松本八郎は次のように吐露する。
どのメーカーもまるで化学式のような書体記号がつけられていて、これはとても覚えられたものではない。余談ながら、写植見本帖をみるたびに、H2Oなどと覚えさせられたあの幼い日の悪夢のような授業風景を、いつも想起する。「水」ではなぜいけないのか、と呟いていたあの時のように、書体記号を朱記するごとに、今は自ら落ちこぼれの烙印を押しているような気にもさせられたりする。
書体名ではなく書体コードで呼び習わされることで、書体はあくまで工業製品に過ぎないということを、自己言及しているようだ。この実地における書体コード使用の跋扈は、当時、書体の名づけというものを重要視していなかったことの一つの証左ともなろうか。
新書体ブーム
それでは、今日の固有名的な名づけへと貫流する決定的な契機はどこに見出すことができるのだろう。
結論を急げば、その書体は1969年に写研から発売された「タイポス」であるといえる。
「タイポス」は、明朝体にもゴシック体にも属さない近代的でシステマチックにデザインされた書体であり、いわゆる新書体ブームの口火を切ったエポックメイキングな書体である。
「タイポス」の名称について、書体設計士の橋本和夫は次のように述べている。
それまでの書体名は、岩田母型の明朝体だから「岩田明朝」、モトヤの楷書体だから「モトヤ楷書」……というように、どこそこのメーカーの書体という呼びかたをしていました。書体に固有名詞をつけたのも、「タイポス」が先駆けだったのではないでしょうか。
橋本の言うように、慣用的に社名と書体の種類を掛け合わせたような簡便な名称が一般的な時代に、「タイポス」という名称は清新だったにちがいない。先鋭的なデザインは当然のこと、その名称もあいまって新時代の到来を決定的なものとしたといえる。
時好にも恵まれ『アンアン』や『ノンノ』などのファッション誌や広告などに広く採用された。というよりも、時代そのものが、旧来的な基本書体以外の新たな書体を求めていたということだろう。
「タイポス」が過去の書体たちに別辞を送ったことにより、新書体ブームが花開く。これは同時に固有名的な名づけのはじまりでもあった。
「タイポス」という名称は、その制作者である伊藤勝一、桑山弥三郎、長田克巳、林隆男が結成した「グループタイポ」に由来する。
「タイポス」が写研から発売された1969年に、モトヤから発売された「モトヤアポロ」も新書体ブームの一つの書体として注目に値するだろう(同年発売ではあるが、少なくとも「タイポス」は1961年ごろにはおおよそ完成しており、1962年には「タイポス」と命名されていたようだ)。
「モトヤアポロ」も「タイポス」同様、明朝体にもゴシック体にも属さない近代的でシステマチックにデザインされたいわゆる新書体である。
その名称の由来は、発売年である1969年に月面着陸を果たしたアポロ11号に拠るものであると想像できる。新書体と宇宙飛行を貫く先進性を鍵語として名づけたのだろう。そういう意味では強く時代を反映しているともいえる。
ほかには、新書体ブームを牽引した書体として1972年発売の「ナール」をあげることができる。仮想ボディいっぱいの字面に、ふところを広くとった丸ゴシック体はそれまでの組版を一変させた。
「ナール」という名称は、デザイナーの中村征宏の頭文字と丸を意味する「アール」を配合して作られた(ただし、もとは単に「細丸ゴシック」と呼ばれていたことも注記しておきたい)。
また、新書体ブームにあって「ナール」と似た名づけ方の書体に「スーボ」がある。「スーボ」は、それまでにはなかった極太の丸ゴシック体として登場し、衆目をさらった。
名称の由来は、デザイナーの鈴木勉の頭文字と「ボールド」の配合に拠る。
新書体ブームに類別される書体をほかにもいくつか書き出しておくと、「OH」「じゅん」「フォーク」などになる。
しかしどうだろう、これらの書体名にはどこか通底する語感を覚えるところがある。先述の雑誌『アンアン』や『ノンノ』などとも通じ合うようなポップさとでもいえばよいだろうか。書体の名づけも時代の雰囲気の反照を受けたものに他ならないのであろう。
新書体ブーム以降、今日にわたって多くの書体がリリースされるが、その指数関数的な書体の増加に伴う書体名のいちいちの点検はもはや無意味であろう。
この新書体ブームを転機として、今日的な名づけが確立したと結論づけておきたい。
書体の名づけの分類
今日の書体を眺望すると、その書体の名づけをいくつかのパターンに分類できそうである。試みに、簡単に点綴しておこう。
金属活字期のような書体の種類や用途、太さなどの名称を除外すれば、まず、社名による名づけが思いつく。例えば、タイプバンクの「TB明朝」、字游工房の「游明朝体」などである。また、先述の「岩田明朝」や「モトヤ楷書」もその限りである。さらには、「築地体」や「秀英体」にまで遡れることを考え合わせると、最も基本的な名づけ方であるといえるだろう。
また、それを敷衍したところに地名による名づけがある。例えば、「筑紫書体シリーズ」や「ヒラギノフォント」が思い浮かぶ。これらは、企業の所在地周辺の地名や開発者の出身地からとられている。
「築地体」もある意味ではここに数えられるかもしれない。
さらに地名という点においては、都市フォントとして横浜の街をイメージして開発された「濱明朝」などを加えても良いし、しまなみ海道の風景に着想を得て制作された「しまなみ」などをあげてみてもよいかもしれない。
このように地名由来の書体は多く、企業の所在地に拠るものはもとより、地貌との交感によって成されたものまで多岐にわたる。
デザイナーの名前を冠した書体も欧文書体ほど多くはないが存在する。先にみてきた「石井書体」などがその代表だろう。また、小塚昌彦が制作指揮した「小塚明朝」などがある。
さらにこの変奏といえるのが、先述の「ナール」や「スーボ」のようなデザイナー名を変形させたものである。稲田茂の「イダシェ」や「イナクズレ」、田中一光の「光朝」などをあげておこう。
配合的手法ではなく、一字を抜き出して名づけたものには、篠原榮太の「篠」などがある。
さらに、「本蘭明朝」をはじめ写研書体において「蘭」を冠する書体は、社長の石井裕子指揮のもと制作された書体だというから、これも一変奏と見なすことができるかもしれない。
文字の形状を比喩的に象徴させたものも多い。例えば、ゴシック体をぼかしたような「ボカッシイ」やトンネルのような形状の「トンネル」、雷のようなひび割れた形状の「イカヅチ」などである。
また、必ずしも文字の形状には縛られない形で比喩的に象徴させたものに、江戸文字風のデザイン書体である「TBてやんでぇ」や、おそらく英語のnowからきているであろう「ナウ」などをあげておこうか。
機能や形態、設計思想をそのまま書体名としたものもある。
例えば、可読性の高さを目指して設計された「メイリオ」は「明瞭」に由来するし、「こぶりなゴシック」は小振りな文字の謂である。「TBカリグラゴシック」はカリグラフィーの要素を取り入れたゴシック体のことである。
そのほかにも、「Bold」「黒い」「アンドロイド」を組み合わせた「ボルクロイド」などの造語的名づけもみられる。
「あおとゴシック」の由来の一つとして、文字の造形的側面への顧慮がある点は注目に値しよう。書体の名づけとして示唆に富んでいる。
書体のコンセプトを特に体現しているグリフとして「あ」「お」「さ」「た」「ち」「の」「は」「ま」「も」「ん」を入れた単語が候補に上がりました。
いうまでもないが、これら以外の名づけの筋もあるだろう。
それに、みてきたような名づけのパターンは截然と分けられるようなものではなくその境界は溶け合っている。
例えば、先ほど取り上げた「ボカッシイ」について補足すれば、その書体名の最後の「イ」が大文字なのは、デザイナーの今田欣一の「イ」に由来するそうである。つまり、「ボカッシイ」はデザイナーの名前を冠した書体ともいえるわけだ。
いずれにせよ、今日における書体の名づけは広範で、金属活字期のそれに比すると差はあきらかである。
おわりに
これまでみてきたように、新書体ブーム以前の書体は基本的に便宜的に名づけられたものであった。換言すれば、機能的な名称であったともいえよう。
しかし、書体の溢れかえる今日では書体名からそのような機能性は失われ、代わりに馥郁たるイメージを発する装置となった。
独創を期するあまりに、隘路へと突き進んでいるような名づけもみられる。
かつては機能的なラベルに過ぎなかった書体名は、今日では、書体のイメージを方向づける重要な要素となっている。
だからこそ、名づけには慎重さが求められるのではないか。
単なる印象的な言葉の選択であってはならない。
書体名とは、単なる装飾ではない。
それは、書体と世界との関係をはかる、ひとつの解釈のあり方なのである。
2026-04-28 本記事の一部に誤解を招きかねない表現がございましたので、該当部を削除し、一部表現を変更いたしました。
