「学習する」とは何なのか、今一度考え直すべきだった
こんにちは、Sonnyです。
今回は、「学習すること」ことを今一度考え直すことで、自分のスキルアップの速度を加速させられることを体験したので、その過程を言語化しておきます。
きっかけは、山口周さんのこちらの記事👇
少し前から山口さんのメンバーシップに登録し、購読させて頂いています。どの記事も多くの気づきあり、山口さんの見識の多さや深さに驚かさせるものばかりで、刺激もらい、自分の糧とするべく読ませていただいております。その中で、上記の記事は、自分の本業である理学療法における学びの過程において、重要な洞察を得ることができるものでした。ここでしっかりと言語化したくまとめることにします。
こちらの記事内(無料部分に記載あり)では、学習を以下のように表現されています。
経験を通じて自分の信条・習慣・思考様式を変化させることで、同じインプットに対して、より良いアウトプットを出せるようになること
そして、次のようにも解説されています。
この定義には、多くの人が学習に対してイメージする「何かを加えること」というニュアンスが全く含まれていないことに注意してください。
学習というと、すぐに「何かを勉強すること、練習すること」といったイメージがつきまといますが、本来の学習というのは「自分というシステムが変容すること」であり、さらに踏み込んで指摘すれば、その変容によって「世界が違って見えるようになること」なのです。
つまり、学習というのは高度に「認知的システムの変容」という側面を持っているということで、禅でいう「悟り」に近いニュアンスがあるのです。
この機会に理学療法士しての「学習」を改めて考え直してみようと思います。山口さんのこの記事が、ぼく自身が以前から漠然と感じていたことの解像度を高めてくれました。
学習を考え直すことで、人的資本の更なる拡大に繋げていけるようにしたいと思います。
それでは、本題です。
♦︎教科書を読むことは学習になのか?
一般的に、理学療法士としての勉強は、人の身体の動く仕組みを知るところから始まります。この動く仕組みを知ることで、その基本の動きから逸脱しているものを患者さんの身体から探し出し、治療ポイントとするのです。
このように書くと、なとなく「学習している」感が出ていますが、果たして本当にそうなのでしょうか。
確かに、教科書で運動学や解剖学を学べば、なんとなく身体の動きをわかったような気になることはできます。しかし、体感的に、一生懸命に教科書や論文を読んで関節などの構造を知ったとしても理学療法場面においては、見える世界は変わりません(構造を知ることが必要だし、一般的な介入であれば十分ではあります)。
逆に、ステレオタイプ的な思考に陥り、新しい発想やアイディア、自分の中でのスキルのイノベーションみたいなことは起こらないと思うのです。
♦︎マネすることと学習について
社会人になって4-5年目くらいの時、漠然と上記のように感じたことで危機感を募らせ、自分が進むべき方向性を大きく軌道修正することにしました。
そして、新しくベンチマークとする師匠(ぼくが勝手に読んでるだけ)を見つけ実際にセミナーなどで体験にいき、そのスキルなどを模倣することから始めました。
そこで、模倣することの難しさを体験します。
まずは、そのベンチマークとしたセラピストの検査や治療場面での姿勢や触れ方などの見た目”をマネすることから始めます。いざ、その”見た目”をマネした手技を実際の臨床場面で活用しようとすると、その形と手法から、どんな情報得るのか、そもそも何が情報なのかが全く理解できないんですね。
これは、自分の中で衝撃でした。セミナーで自分自身の身体で体感してきて間違いなくこの手法で治療に有用な情報が得ら、治療につながることが明白でした。だって、変化することを自分の身体で経験しちゃったんですもの。
そこから、試行錯誤を重ねて研鑽していくわけです。
ここ経験から、ベンチマークのマネをするということの意義が見えてた気がします。重要なのは、形を真似るすることをきっかけにして、ベンチマークとする人の思考と感覚をトレースすることです。つまり、何かわかりすいところから真似を始めて、それをフックにベンチマークが何を考えているのか、何を感じているのかを自分の身体を通して明らかにする過程がマネて学ぶことなのだということです。
一方で、真似ることには落とし穴もあることを十分に認識していくことが必要だと思います。それがステップアップ時期の見あまりです。
♦︎「あ、こうゆうことか」をいかに生み出せるか
マネて学ぶというステージからは、適切なタイミングでステップアップする必要があったようです。
当時のぼくは、あまりに自身の実力差のあるセラピストをベンチマークに設定したせいで、マネて学ぶという領域に留まろうとしすぎたのだと今になって感じるのです。
今になれば、マネることでベンチマークとしたセラピストのエッセンスを自分に取り入れ、それを軸に自分の頭で考え、自分の身体で感じ、自分のスキルを磨いていくべきでした。そのタイミングが遅くなってしまったことが大きな反省です。
反省であるとはいえ、自分でこのポイントに気がつくことができたことは収穫でした。
トレースすることに固執せず、目の前の現象に対して自分で判断してアプローチすることに集中することで、見えるものが変化してきました。これが認知システムの変化なのだと感じます。
しかし、「こうゆうことか!」ということが出てきてと思っても、少し経つとそれが「わかったつもり」だったことに気がつき、この過程を行ったりきたりするんですね。
その過程を何度も何度も繰り返すことで少しずつ自分のスキルが高まっていくのだと思います。かなり繰り返した気がしますが、まだまだ足りない。忙しく慌ただしい臨床の中で、この作業を反復することはなかなか大変なのですが、「あ、こうゆうことか」と発見があった時、ぼく自身なかなかのアドレナリンがでますw
この過程を経るごとに、自分のアプトップや見える世界が変わっている実感が少しずつですが確かにあります。これこそが、学習なのでしょう。
これからも、しっかりと”学習”を繰り返していこうと強く思います。
今回は、ここで終わりにします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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