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夏の本

「読んで楽しいか」と聞かれたら、首を横に振るだろう。
「何度も読みたいか」と聞かれたら、少し考えこんでしまうかもしれない。
なぜなら、この読書体験には「痛み」がともなうから。「ぜひ読んでみて!」なんて気やすい薦め方はできない。
ただ、「読むべき本だ」とだけは、はっきり言える。

「墜落遺体」 飯塚 訓

1985年8月12日に起きた日航機墜落事故は、すべての遺体の身元が確認されるまで127日間を要した。この本は、長く過酷な状況下で検死作業にあたった2800人以上もの医師、看護師、歯科医たちが、現場でなにを見たのか、どう行動したのか、その詳細を記録した一冊だ。
現場担当者の視点で綴られた記録であり、物語ではない。それ故、言い回しがやや熟れていなかったり、生々しい描写が淡々と繰り返されたりする箇所があり、その文体に最初は少し戸惑うかもしれない。しかしそれは、事実を正確に伝えようとする著者の誠意と熱意によるものだということが、読み進めるうちにわかってくる。そして内容に引きこまれ、戸惑いはいつのまにか消えている。

毎年夏になると、新聞やテレビでこの歴史的な大事故が取り上げられる。事故原因の検証や生存者の救出劇、遺族の苦しみ、事故後の業界の取り組みなど、さまざまな視点で語られるたびに、関心を向けて接してきた。それらを興味深く見るたびに、歴史的な大惨事に興味を持ってしまうことへの後ろめたさ、自分の中にある悪趣味な一面への嫌悪感、そういった後ろ暗い感情があった。
時には、都市伝説的に扱ったり、表面的な悲しさをなぞるだけだったりするお粗末な企画もあり、そんなものを興味本位で見てしまった時ほど、後味の悪いやましさに咎めらて、気分が悪くなった。

知りたいけど、触れるべきかどうか躊躇する。そんな葛藤する気持ちは、この本を読んで以来、消え去った。
日航機の事故について知るべきことは、ここに全部書いてある。これ以外の情報を自分から探したり、見に行ったりする必要は、私にはもう無い。そう思えたからだ。それくらいに、この本は重く、濃く、凄まじい。
一気に読み切るのは、いつも無理だ。体調や気分が優れない時もやめたほうがいい。凄惨な現場に心ごと持っていかれて、そして、現実に戻ってくるまでに時間がかかる。言葉を絶する描写に、向き合う覚悟がいる。
それでも。

やはり、一度は読むべき本だと思う。
少なくとも私は、生きているうちに読むことができてよかった。知ることができてよかった。
あの夏のどうしようもない悲しさを。
せめて体の一部だけでも、連れて帰りたいと願う家族の想いを。
その想いにこたえるために、職責を超えて尽くそうとした多くの人たちがいたことを。


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本を読んで、登場人物の思考や行動に影響を受けることがたびたびある。
独特の考え方や視点をまねしてみたり、舞台になった町や観光地に行ってみようと思い立ったり。実践できることばかりではないが、人生のヒントとの思わぬ出会いも、読書の楽しみのひとつだ。私はこの本から、ある貴重なヒントをもらい、実際に行動に移した経験がある。

「オルゴォル」 朱川 湊人 

小学五年生の少年が、ひょんなことから東京〜大阪〜鹿児島まで一人旅をすることになる。さまざまな人と出会い、考え、悩み、成長していく姿が、素直な子どもの心情とともに描かれる。父親の再婚相手に戸惑い、福知山線の事故現場に衝撃を受け、広島の原爆ドームを見て大きく心を揺さぶられる。団地と学校だけだった自分の世界が急に広がり、意図せぬほうにどんどん転がっていく中で、目にするものすべてを一生懸命に見て、考えようとする主人公が、少しずつたくましくなっていく。

物語の中で、少年はある人と一緒に広島に降り立つ。観光や食事は二人で楽しむが、原爆資料館だけは、入り口で別れて、それぞれに見学することになる。空襲で亡くなった子どもたちの写真、焼け焦げた三輪車、病床で綴られた日記、すべての展示をひとつずつ、時間をかけてゆっくりと、自分のペースで受け止めながら少年は見ていく。誰ともしゃべらず、誰かの歩く早さに合わせもせず、自分ひとりで歴史と向き合う時間。それは、展示を見た自分が抱く感情と向き合う時間でもあっただろう。出口のところで、もう一度見ておきたい展示があると引き返すシーンでは、想像する彼の背中が、少し大きくなっているように感じた。

この本を読んでから数年後、原爆資料館を初めて訪れた私は迷わず、「別々に見よう」と同行者に告げた。結果、正解だった。写真一枚一枚を、説明パネルの一字一句を、それぞれのペースでじっくりと見ることができたからだ。出口の外では、先に見終わっていた同行者が、深く考えるような顔つきで広島の青空を見つめていた。私は静かにその隣に座り、しばらくの間、ふたりで黙ってそこに居た。いま見てきたことの悲しさと、目の前に広がる平和な世界とのギャップに私は感情が追いつかず、言葉にすることもできなかった。そんな空気を言葉はなくとも共有できることに安堵し、そして時を経て、主人公の少年とも共有できたような気持ちになった。
もしこれから、家族や友人と原爆資料館に行く機会がある方には、ぜひとも一人でまわることをお薦めしたい、と強く思う。

この本は現代の設定だが、私はこの作家の作品に漂う「昭和の空気」がとても好きだ。人々の会話、暮らしの音、町のたたずまい。そして、すこしの不思議。個人的には、短編集「かたみ歌」が一番好き。


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夏休み中は、遊んでいる少年たちをよく見かける。自転車で連れ立って走っていたり、公園で集まってゲームをしていたり、理由はわからないがケラケラ笑いながらじゃれていたり。仲間との楽しい時間が永遠に続くように思える、でもあっというまに過ぎ去っていく、そんな少年たちの刹那な日々は、いつの時代も変わらないものだと思う。

ドロケー、ゲーセン、銭湯、ラテカセ、ケンカ、ザリガニ釣り、駄菓子屋・・・。昭和50年代の新宿が遊び場だった小学五年生たちの毎日を、いきいきと描いた自伝的小説。

「新宿スペースインベーダー  昭和少年凸凹伝」玉袋筋太郎


著者の職業や芸名から、敬遠される人も少なくはないかもしれない。感動や教訓といった高尚な内容でもない。でも、私はとてもおもしろかった。失礼な言い方をすると、予想外のおもしろさだ。自転車で町を駆けまわる彼らと一緒になってはしゃぎ、叱られ、泥だらけになって遊んでいるような気分になれる。当時の町の空気まで見えてくるようで、特に、昔の西新宿、神宮球場、都内の下町を知っている人なら、「あの頃の東京」を懐かしく体験できると思う。

言葉の重複や、一文の長さなど、“素人っぽさ”が垣間見えるところもあるが、それは本人自身が書いている何よりの証拠だろう。そういった拙さも、だんだんと味わいになってくるから不思議だ。おおらかであたたかく愉快な文章に、気づけば引きこまれている。子どもならではのバカさや大胆さ、友人を大切にする気持ち、そういった誰しもが記憶にある「あの頃」が、この本にはつまっている。
私が特に好きなのは、スーパーカーライト付きの最新自転車をおばあちゃんに買ってもらった時のエピソード。夢にまで見たかっこいい自転車がうれしすぎて、お店に“あるもの”を忘れてきてしまう、というお話に大笑いし、そしてホロリとさせられる。どこまでもあたたかい文章が、とてもとても、やさしいのだ。

文庫版の解説は、著者と同い年で“戦友”でもあった、芥川賞作家の西村賢太氏。この本を読んで、少年時代のある記憶の扉が開いたというその解説だけでも、一読の価値があると思う。

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私が夏に読んできた本、夏になると思い出す本のことを書いてみました。
もし気が向いたら、ぜひ。

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