羊飼いへの道はまだ遠く
中途半端。何もかもが中途半端に思えて、嫌になった。
俳優を辞めて、仕事を捨てて、羊飼いになろう。
2025年12月、気づけば私は、北海道の雪を踏みしめていた。
* * *
時は遡り、2025年1月。
札幌の居酒屋で、私はほぼ初対面のおじさんとサシ飲みしていた。
おじさんは、東京で俳優をしているらしい。
曰く、札幌と東京とでは芸能の仕事の幅や単価が全く異なるらしく、その語り口は熱っぽかった。
相手がおじさんだろうがおばあちゃんだろうが、他人の話を聴くのが好きな私は、おじさんとかれこれ朝の4時まで飲み明かした。
当時、私は札幌で、主に舞台俳優、モデル、会社の経営者として経済活動に勤しんでいた。
けれども、俳優やモデルとして稼げるお金は雀の涙。おじさんの実感の籠もった東京トークを聞いたことで、「絶対住みたくない」「人の住むところじゃない」と評してきた大都会・東京への興味がむくむくと湧いてきた。
北海道民は地元への誇りと愛着が強く、「東京なんぞ」と斜に構える人もそこそこ多いと思う。その一員だった私による、華麗なる掌返しだった。
飲んだあとの帰り道、入浴中、布団に入ってもなお、東京のことを考えていた。ぐるぐるぐる。頭の中を東京の2文字が駆け巡る。白んだ空を横目に3時間ほど眠り、夫が起きたタイミングで私も目が覚めた。
寝起き一発、私は「おはよう」よりも先に「東京に行こうかと思うんだけど」と言った。夫は「え?」と言って目を丸くした。しかしその5分後、5時間後、5日後と、時間が経つほどノリノリになっていった。流石は私の夫だと思った。私の夫としての適性が抜群だった。
そうして4月、私たち夫婦は爆速で上京を完了させていた。
が、私は早々に、6月の舞台公演のために札幌へとトンボ帰りした。
稽古から本番までの1か月強は、アーティスト・イン・レジデンス(芸術家の滞在制作を支援するプログラム)の宿泊施設で過ごした。
このとき上演した芝居は『ドアを開ければいつも』。
亡き母の七回忌のため、四姉妹が実家に集う。その一晩の物語だった。
@numata_hanaka 『ドアを開ければいつも』 立ち稽古奮闘中🤯🤯 小物や消えものが多いです💦 あれっこれは…アッチだ…コッチだ…バタバタ…꜀(.௰. ꜆)꜄ 🌼沼田花香のご予約フォームはこちら🌼 https://ticket.corich.jp/apply/372437/007/ ※✕&Instagramでも発信中👉numata_hanaka ────────────────── MAM〈女性の時代〉シリーズ第1弾 シアターZOO提携公演 「ドアを開ければいつも」 今回のMAMは女性作家に焦点を当てた「女性の時代」シリーズ。 女性として社会と関わり、模索し、その視点から描いた作品を上演。 第一弾は阿藤智恵作「ドアを開ければいつも」! 様々な形で上演され、ロングランも記録している名作です。 《STORY》 93年の年の瀬、亡き母の七回忌前夜、久しぶりに実家へ集まる四人姉妹。今となっては次女と父だけが暮らす、元・みんなの我が家。あんなに一緒に過ごした居間が、それぞれの過ごした時間でなんだか違ったものに見えてくる。そしてお互いも… 積もる話に四人の夜はあっという間に過ぎて、やがて、それぞれ心に秘めていた話が明らかに… 6/26(木)〜29(日)@シアターZOO 【林檎】チーム のしろゆうこ 沼田花香 吉田諒希 、(てん) 【水仙】チーム 小林泉水 縣梨恵 高橋海妃 志田杏樹 6/26(木)14時:林檎 19時:水仙 6/27(金)14時:水仙 19時:林檎 6/28(土)14時:林檎 19時:水仙 6/29(日)13時:水仙 17時:林檎 開場30分前 前売り:3,500円 早割り:3,000円(5/31まで!) ペアチケット6,000円 U23:2,500円 チケット発売開始5/10 #MAMのドア
♬ オリジナル楽曲 - 沼田花香@おはな🐻❄️🌹#CanCam - おはな 💐🐑🧶🚘🏍🎣
私が演じた次女・真紀子は、過去の傷や家族への葛藤を孤独に抱え込んだ女性だった。彼女を演じていく過程で、私は私自身の過去の傷にも触れながら、彼女の親友になったような気持ちで役を理解していった。


舞台が終わり、7月。
幕が下りても、私は真紀子から離れられず、燃え尽きていた。
演劇はそのとき限りの生ものだ。ひとたび終わってしまえば、この作品作りのために集い、毎日のように顔を合わせた座組のみんなは散り散りになる。良い舞台、良い時間だったからこそ、元の日常に帰った途端、虚無感に襲われた。
それからというもの、私はしばらく動けなかった。
何も舞台のせいというわけではなかった。自分が無茶を続けたここ数年分の疲労が、まるで示し合わせたかのように一気に押し寄せていた。
* * *
2023年4月。
私は病棟看護師を辞めて、フリーランスになった。
同時にモデル事務所に所属し、就職してから離れていた演劇活動も再開。やたら営業が得意だった私は、学生時代のバイト先関係の伝手で、営業代理店の仕事も始めた。この3本の柱で、個人事業を立ち上げたのだった。
それからちょうど1年後、売り上げも順調だったので、法人化することにした。それが現在2期目を迎えた『株式会社Filmii』である。私が代表、夫が役員の小さな会社だ。
資金は潤沢ではなかったので、ホームページの作成から社内システムの構築、書類の整備にロゴや名刺のデザインまで、裏方業務のすべてを私が引き受けた。夫には得意な営業に集中してもらい、私は地獄のような仕事量を粛々とこなし続けた。夫にデザインなぞ任せたら、頭から煙を出すに違いない。
自分でやればなんでも安上がりだったが、馬車馬とはこのことだった。キントーンやワードプレスとは毎日恋人かと思うくらい見つめ合った。
その傍らで、モデル事務所の演技レッスン、ウォーキングレッスン、アナウンスレッスンに出て技術を磨いたり、遠方に出張したり、舞台・TV・CMに出演したりもした。当時の私は多分、3人くらいいたと思う。
ある時期から、通勤時に通る太い道路の車の音が、やけに耳障りに感じるようになっていた。やがて堪らなくなって、音を程よく遮断するイヤホン型の耳栓を使うようになった。
たびたび、胸がざわつくような感覚がした。実際には存在しないはずのたばこの匂いが、ときどきふっと香るようになった。
じわじわと異変が顔を覗かせるようになって、それでも働き続けていた。プライベートでも様々な面倒ごとに見舞われ、心が擦り減る音がしたが、気づかないふりを続けていた。
* * *
話は戻り、2025年7月。
心身の悲鳴を無視し続けた私は舞台を終えた途端、ゼンマイが切れたように動けなくなっていた。夫からも働きすぎだと諭されて、7月某日、『私はこれから数か月、何もしない宣言』を発令した。
人生の中で、久しぶりの夏休みだった。
嬉しい。何もしなくていい長期休暇なんて、社会人の誰もが羨むに違いない。
ところがどっこい、全くエンジョイできなかった。
私は休むのが下手くそすぎた。やるべきこと、やったほうがいいことが次々と頭の中に浮かんでくる。思考が止まらない。「それを夫に任せるより、自分でやった方が早い」という考えが何度も頭をよぎったが、それがダメなのだと自覚していたし、もはや身体も動かなかった。とにかく地道に、「これをお願いしてもよろしいでしょうか」と夫への説明と依頼を行うようになった。夫は非常に不器用ながら、一生懸命私の代打を続けてくれていた。
どよん。
布団の中で天井を見つめる間、頭ばかりが働き続けることで、不安や絶望感に襲われた。それはときに、「東京のスーパーの野菜があまりにも美味しくない」という贅沢かつ切実でしょうもない悲しみだったり、「お米が手に入りにくくなった。今度は肉か、野菜か、いつ生きる糧が奪われるのか」「不穏な世の中だから、日本で戦争が起こる日も遠くないのかもしれない」「それではますます、食料が手に入らなくなるかもしれない」という大きな不安だったりもした。
こうして書き起こしてみて驚いた。ほとんど食べ物のことしか考えていないではないか。追い込まれた人間の思考の割には、食い意地が張りすぎている。
食べ物に脳内を占拠された私はついに、「自分で食べ物を作らなければ。いつか手に入らなくなる前に」という思考に飛躍して、のちに「羊飼いになる」という結論で綺麗に着地した。とんだ食いしん坊だ。その決意はピンと両手を伸ばして着地する体操選手のように清々しく、そしてアホっぽすぎることも自覚している。
* * *
自分で育てるならば、野菜がいいだろうか。でも、天候や害獣などの被害リスクを考えると難易度が高いなあ。
家畜はどうだろうか。昔から動物が大好きな私は、安易だが、家畜を扱うことのほうがまだ向いている気がした。小さいころはよく、車の窓から牛や馬の姿を見つけては「ママ、あんなに沢山いるんだから、一匹くらい連れて帰ってもいいんじゃない?」と真剣に説得して笑われていた。
しかし、夫には今の仕事を続けてもらうと仮定すると、非力な女性が一人で就農するにはどれもハードルが高い。せめて、強く心惹かれるものであれば頑張れるのではないか。
豚、鶏、牛。いずれもピンとこなかった。
思い立ったが吉日で生きてきた私は、既に想像力だけで半分農家になりかけていた。布団の中で。
そして、寝たり、牧場物語をプレイしたりする日々のなか、「羊はどうだろうか」と考えついた。
日本にも「羊飼い」と呼ばれる人たちがいるが、その数は少ない。
実際、日本に流通する羊肉の99%はオーストラリアやニュージーランド産である。国内流通1%未満の貴重な国産羊肉。それを新鮮なまま頂くと、臭みなど一切なく、めちゃくちゃ美味しい。
私は羊に興味を持ってから、羊のことが書かれたサイトや書籍、動画を、貪るように見ていた。
初めに見たのは、アマゾンプライムビデオにあった『ひつじがすき』という作品だった。動画の最後に、声優の速水奨さんが素敵な声で羊を100匹数えてくれる特典映像がついていた。不眠に悩んでいた私は、そのシュールな音声に合わせて次々と映し出される全国の羊たちを眺め、昼寝をした。
映像だけでは飽き足らず、絶版本を含む羊関連の書籍をいくつも買い集め、畜産技術協会が発行する季刊誌『シープジャパン』の旧号まで取り寄せた。

車を走らせ、羊に会える場所へと足を運んだりもした。東京、千葉、静岡、栃木。一番遠いところでは兵庫にも行った。



私は既に羊にメロメロで、すっかり『羊病』に侵されていた。
当然、その味わいも深く知っておかねばなるまい、と思った。
北海道出身なだけあって元々ジンギスカンは好きだったのだが、国産の羊肉はおそらく食べたことがなかった。そこで、いくつかの国産羊肉と、羊乳を取り寄せることにした。
初めて飲んだ羊乳は、牛乳をよりコク深くしたような濃厚さで驚いた。美味しい。これがもっと一般に流通したらいいのに。
気づけば、一般人の割にはやたらと羊に詳しくなっていた。
羊という生き物は、その全てが可愛らしい。
もふもふの毛に包まれた、まあるい胴体。ピコピコ揺れるしっぽや、もちもちのほっぺた。幸せが詰まった大きなお尻、全然臭わない大きめのチョコボールみたいなフン。仔羊が高い声で「メェー」と鳴き、ぴょこぴょこ跳ねる様子は身悶えするほど愛おしかった。

そんなに言うほど可愛いか?と思った人はちょっと待ってほしい。
羊は想像以上に種類が多い。ポケモンくらい無限にいる。きっとあなたの好みに合う羊も、世界のどこかにいるはずである。白、黒、茶色。顔つき、体つき、大小まで、種類によって様々なのだ。
それもそのはず、羊は温暖な地域から寒さの厳しい地域まで、低地から山岳地帯まで、世界中のあらゆる地域で飼育されてきた。
主に北緯30°から45°の地域に生息している羊は、外敵から逃げた先で環境に適応したり、人間が選りすぐりの個体を交配させたりして、多様な変化を遂げている。
実は、羊は最古の家畜である。
これまで1万年以上にわたり、人類の生活に寄与してきた。肉、毛、革、脂、血など、全身余すところなく活用され、例えば食料、衣服、家の素材、医療品、スポーツ用品、楽器などに姿を変えて役立てられている。
それってすごくない?羊万能過ぎない?
羊がいれば、この不安な世の中を生きていけるような気がしてきた。羊と暮らせば、あらゆる不安が全部吹っ飛んでいく気がする!最悪、億が一、戦争が起きてしまっても、羊と一緒に走って逃げよう!
それから私は、本気で羊飼いにジョブチェンジしようとした。
東京は暑すぎて、人が多すぎて、美味しい野菜や海鮮が手に入らなすぎて、当時の私は「もう無理じゃ」と思っていた。とっとと北海道に帰って羊飼いになろう。全部ほっぽり出して、俳優も辞めて、羊飼いになるんだ。
まずは座学から頑張ることにした。確実に羊飼いになれる道を模索し、移住フェアや農業フェアでも相談をした。血迷っているのに堅実。いかにも私らしかった。目標が定まれば、そこから逆算して必要なステップを踏めばよい。ほとんどのことは、実現できるのだから。
ネガティブなんだかポジティブなんだかよくわからない脳味噌で、羊の歴史や飼養方法を学んだ。そうして私は、気づけば北海道の地に降り立っていた。
* * *
2025年12月某日。
私は厳選した羊の書籍を小脇に抱え、飛行機に乗り込んだ。目指したのは北海道白糠町。数名の羊飼いが根を張っている土地だ。
私はここで、2か所の羊農場さんのお世話になり、羊飼いの研修を行うことになっていた。事前に履歴書や職務経歴書、自分の思いを800字で書けという課題の作文も提出していた。
東京に引っ越したかと思えば、あれよあれよと白糠町へ。滞在は約1週間。同行した夫はまたしても結構ノリノリだった。
滞在時、移住を検討している人向けの『ちょっと暮らし』の部屋(アパートの一室)を借りるには、原則2名以上でなければならなかったので、夫が同行してくれたのは助かった。彼は終始、とても楽しそうだった。
一方で、研修を控えていた私はすっかり緊張していた。持参した参考書や書き込んだメモ帳を読み返し、「未経験で羊飼いになりたいだと?ナメてるのか?」と詰められないようにと、震えながら知識を反芻した。

元看護師である私は、看護学生時代の過酷な経験のおかげで、実習・演習・研修と名の付くものが恐ろしい。舐めてません。本気なんです。どうか詰められませんようにと祈って、研修の日を迎えた。
* * *
農業未経験で飛び込んできた羊飼い志望の若者を見て、現地の羊飼いたちは怪訝そうな表情を浮かべていた。
その反応は織り込み済みだ。私にできることはただ正直に語ることだと思い、熱意と本気を伝えようと努めた。
ある羊飼いは「以前、本業が牧師で、聖書からのイメージで羊飼いを志した人がいたんだよ」と教えてくれた。
牧師×羊飼い。相当なレアキャラである。
羊を飼いたいと思い至るまで、人はいろんな入り口からやってくるのだなあ。
しかしその彼は、結局肌に合わず故郷へと帰ってしまったという。
育てた人材が離れてしまう悲しみは私にもわかる。だから、羊飼いとしてやっていけそうかどうか、自分自身を見極めなければならないと思った。
またある羊飼い『Sさん』は、私の履歴書を見て「聞きたいことが沢山あるんだよ~」と楽しげだった。
そして、私がどんな仕事をしてきたのか、なぜ羊に興味を持ったのか、なぜ白糠町に辿り着いたのかなど、様々な話をした。もちろんSさんも、いろんな話を聞かせてくれた。羊飼いになってからの話、4人の息子の話、奥さんの話、羊飼いを辞めそうになったときの話。
途中、私のコミュニケーション能力を褒められたのだが、その能力に長けているのは圧倒的にSさんのほうだった。
出会って早々、Sさんは私のことを「人生2周目」と評した。
「花ちゃんは倍速で生きてるんだね。何を聞いても、そんなふうに答える26歳いないもの。同じような人に出会ったことないでしょ?」
息を呑んだ。
これまで、同年代からしっかりしてると言われることは多かった。年上の人から、年下っぽくないと言われたこともあった。
けれど初対面で人生2周目と、おそらく的を射た表現をされたことに、驚いた。
思えばその言葉には、単純に「しっかりしていてすごいね」という評価と、うまく言えないが、「しっかりしていてかわいそう」みたいなニュアンスも含まれていたような気がする。
私は昔から大人びているというか、10代までは斜に構えているような節もあったと思う。達観したような、悟ったようなところがあった。
その背景にあるのは十中八九、育った家庭環境だろう。傍目に見た我が家は、十分に恵まれていたと思う。しかし事実として、何度か死のうと思ったくらいには、やりきれないことも多かった。
幼少期、友達の家から帰らなければならない時間になると、やけに喉が渇いたような感覚と虚無感に襲われた。不思議なことにそれ自体、違和感として捉えていなかった。普通のことだと思っていた。家という小さな社会で、私は生き抜く力ばかりを身に付けてきた。
「花ちゃんはきっと、まだいい大人に出会えていないんだね。仕事も全部自分でできちゃうから、良い上司に出会うのも難しいもんね」
「普通の人は、バイトでやっていた程度の経験で会社を興すことはできない。花ちゃんは構造を把握する能力が高いんだね」
話題は、バイト経験をもとに営業代理店を立ち上げたのは異常だという話になっていた。
そこで夫が合いの手を入れる。
「そうなんですよ。本当に能力が高いんです」
私は突然褒められたことに困惑して、へらっと笑う。わざわざ絶賛してもらっているというのに、たいして誇らしい気分にはなれなかった。
滞在期間中、Sさんから何度も繰り返し尋ねられたことがある。
「羊飼いになって、何をしたいの?」
美味しい肉を生産したいとか、一度飲んだ羊乳が美味しかったから羊乳の生産に興味があるとか、羊と暮らすことで人生の手触りが欲しいとか、ましてやどんなビジネススタイルでとか、そんな答えはどうやら求められていなかった。
何度か「こんなビジネス構想がある」という話もしてみたが、さっぱり響いていない様子だった。
「花ちゃんはさ、ビジネス思考ができるし、『挑戦ジャンキー』みたいなところがあるのかもね。挑戦を繰り返す連続起業家みたいな。本当は長い間やっていくほど、わからないことが見つかるはずなのに」
耳が痛い。その通りかもしれなかった。
私はたしかに挑戦を繰り返しまくっているし、そうでなければ落ち着かないところがある。本当はもっと腰を据えるべきだとも思っている。それでも、がむしゃらに挑戦してきたことや興味を持ったことの全てが本当に好きなことで、どれも大切な経験だった。
考えれば考えるほど、俳優一本、看護師一本、羊一本というように絞って生きていくことが、私には難しいように思えた。好きなこと、やってみたいことは多くある。そのうちの一つを選び抜くことができていない。
私のなかには、そんな自分への嫌悪感が存在していた。
* * *
学生時代、母と兄のガチ喧嘩を止めに入ったら、とばっちりを食らったことがある。
「お前は何もかも中途半端」
どういう文脈で言われたかまでは覚えていないが、兄の言葉だった。とんでもない流れ弾である。
私はそれからの人生、何をしても「中途半端」と嘲る声が聞こえる気がした。その言葉が耳から離れないのは、図星だったからだ。私は完璧になりたかった。それなのに、俳優やモデル、あるいは何か得意な分野ですら、一番になることなんてそうそう叶わない。そもそも大抵のことは、何を以てして一番というのかもわからないのだ。
私にとっては一番、あるいはそこそこ上位でなければ、どれも価値がなかった。だから、一本に絞れない人生なのか。好きなことが多いのは事実だが、一筋に生き抜く勇気がないだけかもしれなかった。
* * *
「羊飼いになって、何をしたいの?」
Sさんに納得してもらえる回答を、私は考え続けていた。
ふと、『私の最後の羊が死んだ』という本を思い出した。直木賞作家・河﨑秋子さんの著書である。羊飼いになりたいというなら、その仕事の苦しい部分や暗い部分も知っておかなければと思っていた折、見つけて手に取った本だった。
河﨑さんは15年ほどの間、羊飼いをされていたご経験がある。大学卒業後はニュージーランドで羊の飼養について学び、帰国後は『Sさん』に羊の飼い方を教わったという内容が書かれていた。
その本の情報から、『Sさん』という人物が、私の目の前にいるSさんで間違いないだろうということは予想がついていた。
「河﨑秋子さんの『私の最後の羊が死んだ』という本を読んだのですが」
「ああ!秋子ちゃんね」
Sさんは河﨑さんのことを秋子ちゃんと呼んだ。
「羊飼いになって何がしたいか。秋子ちゃんに聞いたときはね、文章を書きたいって言ったんだ」
……文章。
「羊飼いになって文章を書きたいなんて、最初はエッセイとかそれっぽいことでも書きたいのかなって思ったんだけど、全然違ったね。直木賞作家になっちゃった。秋子ちゃんは最終的には羊飼いを辞めたけど、彼女が羊を飼う理由から逸れずに成功したんだから、羊飼いとしても成功だと思う」
「羊飼いになりたい理由と目的を見失うと、お金儲けとか、本来なりたかった理想とは違う方向に走ってしまうことがある。だから、何のために羊飼いになりたいかをよく考えたほうがいいよ」
その言葉は、人生の本質を捉えているようにも思えた。目的を見失うと、本来描いていた理想とは離れた道に進んでしまうことがある。だから目的をいつも明確に。それは、いつどんな場面でも同じことが言えるような気がした。
文章を書きたいから。正直、その理由を他人が聞いても、羊とどう繋がるのか理解できないだろう。たとえ本人にしか意味はわからなくとも、一本の軸がしっかりあることが大切なのだと、よく理解のできる話だった。
「花ちゃんはね〜、今すぐ羊飼いになるにはまだ早い気がする」
Sさんは続けた。
「羊を通して色々学ぶ人と、色々学んだ後に羊に落ち着く人がいる。ここで研修しているもう一人の若者は前者だと思って育てているけど、君は……」
ビジネスや芸能の世界から田舎の羊飼いへ。『新たな挑戦』の背景には、羊飼いへの志が8割、今の人生からの逃げが2割、含まれていたかもしれない。そして、それはあっさりと見抜かれていた。
しかし、私の志が否定されることは一度もなかった。否定どころか、会話の折に触れて能力を賞賛し、温かい言葉をかけ、私の本気を受け止めてくださった。
「羊飼いは、農業は、何よりクリエイティブな仕事だ。既にビジネスの視点を持ってる君はとても有利だし、すぐにでも羊飼いになれるよ」
さすがに、そんな簡単な話でないことはわかる。
それでも私にはまだやるべきことがあって、もっと学べるチャンスや人として豊かになれるチャンスを手放すな、という意味だと受け取った。
数日の研修を終えた私は、Sさんと固く握手をして別れた。
* * *
東京に帰ってからは、自分の人生ってなんだ、何がしたいんだろうと、再び考えはじめた。
私は、私が好きなものがなんだったのか、もはやよくわからなくなってしまっていた。私が挑戦してきたこと、好きなこと、沢山あったはずなのに、何かに一筋で生き抜くことのできない自分を『ダメな奴』だと思ってしまっていた。
羊飼いにはなりたいし、羊のことも大好きなのに、羊飼い一本に絞ってこの先の人生全てを費やせるという確信が持てない。それではいけないのだ、無責任なのだと思っていた。
あるとき、『ドアを開ければいつも』でお世話になった、俳優・演出家・脚本家のMさんとお酒を飲み、つい「好きなものがわからなくなっちゃいました」と漏らした。
するとMさんは、花は真面目だからなあ、と笑ってこう続けた。
「日常で心が動いたものを、一つ一つ認めたらいいよ」
言葉がコトンと、目の前に置かれた。
「この季節が好きだなとか、この花の香りが好きだなとか、このお箸がいいなとか、そういう些細なことに、気づいていったらいいんじゃないかな」
そうか。
そんなことで、よかったのか。
好きという気持ちは、誰にもそれを否定されないような形で示さなければいけない気がしていた。
例えば、このバンドが好きと言うからには、流行りの曲だけではなく、インディーズ時代の曲まで知っているくらいの熱量がないと認められないと思い込んでいた。
でも、本当はどんなに些細な『好き』も、認めてよかったんだ。
今はまだ、何か一本で生きることが難しいのなら、
私は、私が出会う好きなものたちの傍で、ミーハーな強火オタクを極めてみたっていいのではないか。
私には、いろんなものに惚れ込む才能がある。
細く光が差した気がした。
山ほどある好きなもの。そのオタクとして魅力を言葉で表現し、世の中に伝えていきたい。自分の過去の不幸や幸福、どんな経験もいつか全部言葉にしたい。それがいずれ、誰かの支えになるようにと書いていきたい。
些末なことが容易く炎上する時代に、自分の言葉や感情を発するのは怖い。それでも勇気をもって言葉にすると、似たような考えを持つ人と巡りあえることもあるだろう。
私の辛さや、私だけの考え方だと思ってずっと言えずにいたことは、誰かの辛さや、誰かが言いたかったことだったと気付けるかもしれない。
『書くという仕事』には、好きなもの全部と関わり続けられる道がきっとある。言葉で繋がれる。その幸せのために、挑戦したいと思った。
演劇が好きだ。羊も好きだ。羊飼いになるという夢はこの先も口に出し続ける。いつか時が来たら叶えようと、本気で思っている。
今は、書く仕事を始めよう。
私は思い切ってライター講座に入校した。
結局また挑戦、また倍速じゃんと笑われるかもしれない。
Sさんに「ライターの勉強を始めました」と報告したら「倍速だなあ。倍速でもいいから、丁寧に生きてなりたい自分になってください」と返ってきた。
その言葉が胸に沁みる。Sさんの太陽みたいな笑顔を思い出した。丁寧に、丁寧に、なりたい自分を描こう。
『中途半端』を裏返せば、それは、いろんなものを愛せる才能だった。
中途半端。
そうだとしても、もうその声に苦しむ必要はない。
私は言葉を紡ぐ。再び人生を歩き出す決意をした。次はいつ、白糠の羊に会えるだろうか。
