25年前の私が書いた曽我梅林レポート その4 あとがき編
確かにどっかに取ってあったんだよなーーーとあきらめずに探してみたらありました。25年も前の過去のレポート。バカですと恥を晒す行為ですが、まだかわいかった20代のわたし。愛しいバカなので公開しようと思います。
友達あてに作ったレポート。紙で郵送で送ってたww
いまでいうブログですねwww
つっこみどころもありますが、昔だし、若気の至りということで、お叱りのは目をつぶっていただけるよう重ねてお願いします。
●●● 注 意 ●●●
話が長い。けど、そのままにしてます。
口が悪い。友達あてだから許してほしい。
意味がわからないところがある。
間違っているところがある。
自分の名称は、名前○○たんとなっているので、ぼくたんに修正
漢字間違い修正
一部小見出し追加
●●● 目 次 ●●●
4部構成にわけました。なんせ長いwww
その1 まえおき編
その2 曾我物語編
その3 太宰治編
その4 あとがき編
ちなみに25年前は2部構成になっていました。
25年前20代の私が書いた曽我梅林レポート その4 あとがき編
やがて、甘酒やおでん、そば、もち、梅干しなんか売ってる人混みへ。
この冷え込む時に花見宴会してる人、家族連れ、カップルなんかでごったがえしてる。寒さに耐えられず、温かいものを買いたかった。
けど、けど、その1で購入した冷え切って固くなった駅弁がある。
あきらめきれず、売店の周りをウロウロしていると、ラムネみたいのが湯の中で温められている。まさかホットラムネ?ぞっとして、えっどんなん?と思い、ちょうど買いに来たよっぱらいおじさんに聞くと、「熱燗だよ、ねえちゃん。こんな冷え込む時は、熱燗とみそおでんがサイコーよ。」と上機嫌でした。残念なことに梅干しの試食は無いものの、梅ワイン、梅ジャム、つけもの、試食してまわったよ。
50円でレンタルしてる網ござを借りて、底冷えする梅の下で、固い駅弁と冷たいペットボトルのお茶・・・・。
となりのグループはコンロになべがかかって、温かそうな湯気が立ち上がっている。寒くて、足なんかも冷たくて、落ち着いて食べることもできず、ペコペコなお腹に弁当かっこんで、屈辱的な気持ちで早々と立ち去った。
花見など冬の野外活動は、温かいものを用意しよう。
トミジイにいろいろ教えてもらって、賢くなった。
これがほんとの「バイリンガル」・・・・・。
おしまい
ここからは 2025年あとがき
A4用紙4枚を文字起こししました。過去の自分にツッコミを入れながら。御見苦しい点ばかりで申し訳ありません。太宰ファンのひとにも怒られそうで怖いです。ゆるしてください。
熱燗がわからないなんて、、、覚えてないけど透明な瓶だったのかなー
50代になった今読んだら、、、
さて、大人になったら太宰の良さ、凄さがわかるのかな、、、と言っていたぼくたん。
今度「斜陽」読んでみようと思います。だぶんバカさ加減は変わってない気がするから、またわからないと思うけど。
又吉さんとか好きだよね、太宰。太宰の良さをなんかで説明YouTubeとかでしてくれてるかもしれないね。
誰か太宰の良さ、教えてください。
雄山荘
小田原曽我の洋館おうちには、名前があった。「雄山荘」
昭和5年(1930) 東京の印刷会社が接客用の別荘として建築
太平洋戦争中 元華族の静子たちが疎開してくる
昭和21年(1947) 2月21日から5日間太宰が滞在。まだ梅は蕾だったかもなー
昭和26年(1951) 静子が去る、貸す
平成5年(1993) 最後の借主が去って無人となる
太宰ファンが署名、小田原市も動いたが当時の所有者が売却せず。
平成21年(2009) 12月26日早朝 原因不明の火事により全焼。
確かに全焼したニュースを聞いたような気もしますが、まったく忘れていました。
治子さん
しらなかったけど、娘さん作家になってました。
出自がかっこよすぎないか!!
しかも治子さんの手記を原作とする映画『斜陽のおもかげ』が公開されたりしてる。
太宰治記念館 「斜陽館」
斜陽とネットで検索すると、五所川原の太宰の生家である太宰治記念館 「斜陽館」がでてくる。
名前の由来は、小説から。なんとなくわからない人からすると太宰の家が傾いていった様子を書いた小説だと勘違いしてしまうのではないか。
ほんとの斜陽館は、小田原曽我の雄山荘なのだ。
それだけは忘れないようにしよう。
かしこ
