器用すぎて人生迷子、常に低体温な私の生きる意味
先に言っておきます。
生きる意味とかヤバそうなタイトルだけど、
別に暗い話ではありません。笑
テンションは低いですが、落ち込んでいるわけでも、悩んでいるわけでもありません。笑
あくまでも気になる星人の観察記録です。笑
では、本題に…
何かに夢中になれる人ってすごいなーとつくづく思う。
小さい頃から、わりと何でもそこそこできてしまう私。
図工の成績は良かったし、勉強もそれなり。スポーツもそれなり。
テトリスは得意で、パズルも好きだった。
でも、「これが一番好き!」っていうのが、なかった。
獣医になりたいと思った時期もあったけど、受験に失敗して、生物系の大学へ。
そこで何を学んだのかは正直あまり覚えてない。
就職にも興味がなく、のらりくらり。
そんな時、外資系企業で派遣社員として実験用マウスのPCR検査の仕事をすることに。
PCR検査で使うプレートには384個の穴。
そこに検体を効率よく、無駄のないように配置していく配置図を作る。
それを考える時間が、ちょっと楽しかった。
まるでゲームみたいで、テトリスの感覚が生きていた。笑
でも、夢中にはなれなかった。
私は昔から「なんでもそれなりにできるけど、ひとつのことに夢中になれない人間」だった。
本気で何かを極めたことがない。
人から「器用だよね」と言われても、自分ではピンとこなかった。
どれも中途半端で終わってしまうから。
なんでも器用にこなせるがゆえの、手応えのなさ
って言えばいいのか、なんとなく満たされないこの感覚は、何なのだろう。何のために生きているんだろうなんて考えたりもして。
そして、そんな自分をふとした時に責めたくなる。
だって、「夢中になれる人」って、ほんとうにすごいと思うから。
何年もひとつのことに打ち込める人。
睡眠時間削ってまで練習してる人。
何かを極めて、自分の道にしてる人。
そういう人を見ると、「私にはその情熱がないな…」って、ちょっと寂しくなる。
常に低体温な人生なんです。笑
「自己決定理論(Self-Determination Theory)」という理論では、人が本当の意味で満たされるには、自分で“選んでいる感覚”が必要らしい。
自分で選んだ道、これが自分だと納得できる道。
でも私は、自分で選んでいるようで、たぶん“なんとなく得意だったから選んだ”だけだった。
だから、心から満たされた感覚がなかったのかもしれない。
心理学で「選択のパラドックス」という言葉がある。
選択肢が多すぎると、かえって決められなくなるという現象。
それを読んで、まさに自分のことだと思った。
私は、何でも“そこそこ”できてしまうから、どれを選んでも“行けそう”に見えて、結局どれも決めきれない。
迷っているうちに、時間がどんどん過ぎていく。
それでも最近は、「それが自分なんだな」と思えるようになってきた。
夢中になれないのは、劣っているからじゃない。
いろんなことに興味があるから、
視野が広いから、
一歩引いて物事を見られるから、
深く潜るより、横に広げるほうが得意なだけ。
もしかしたら私は、「極める人」じゃなくて「つなげる人」なのかもしれない。
深く潜った誰かの話を聞いて、それを別の分野に持っていく。
そんな風に、器用貧乏の人生を使っていけたら面白い。
迷子になりながらも、私はわりと楽しく生きている。
器用すぎて迷子になる人間も、案外やっていける。
おわりに
夢中になれる人はすごい。
でも、夢中になれない人も、それなりにおもしろい。
人生の正解がひとつじゃないなら、私は私の“迷子な生き方”を、ちょっとずつ楽しんでいこうと思う。
結局、何のために生きてるのかって聞かれたら、
正直まだよくわからない。
でも最近は、たぶん「暇つぶし」なんじゃないかと思ってる。
今もまだ、「これが自分の道だ!」とは言えないけど、どうせ終わるこの人生を、どうせならちょっと楽しく、無駄に見えるようなことを並べながら、テトリスみたいに隙間を埋めていくだけでも、悪くないかなって。
