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「3 years old」が言えなかった駐夫の6ヶ月後

アメリカに到着してすぐ、家の近くの公園で、3歳の娘と遊んでいたときのこと。

先客は誰もおらず、貸し切り状態。
ブランコやすべり台で思う存分遊ぶ娘。
それを眺めながら、ここがアメリカだということも忘れていた。

そのとき、後ろから女性に声をかけられた。

「She is so cute! How old is she?」

娘を指さしながら、にこやかに笑っている。
何気ない、公園の風景。
暖かくて、誰もが少し優しくなるような時間。

でも私は、突然の英語に、完全にフリーズしていた。

How oldって言った?
I am・・・じゃなくて、娘の年齢だからShe is・・・
いや、それよりもまずThank you!から入ったほうがいいのか?
あれ、なんて言えばいいんだ?

そのまま「3 years old」の言葉すら出てこず、
焦った私は、なぜか指で数字の3をつくり、無言で苦笑いを浮かべたまま、
スリーピースをしていたのです。

そのあとの記憶は、あまりありません。
女性が何か言ってくれていた気がしますが、それに返す余裕はなくて、私は娘の手を引いて、別の遊具へと逃げるように立ち去りました。


こんなはずではなかった。
アメリカに来れば、自然と英語は話せるようになる。
割と本気でそう思っていました。

受験勉強では英語は得意だったし、TOEICも750点は取れていた。
文法も単語も、知っているつもりだった。
あとは慣れの問題で、生活していくうちに何とかなるだろう、と。

でも、公園でも、マンションのロビーでも、カフェでも、満足に返答することすらできない。

スタバでは店員さんに他愛ない雑談をされていることにすら気が付かず、注文が通ってないのかと思い、必死に「カフェラテ、プリーズ!」を繰り返していた。

英語がテストの科目から、生活の道具に変わったとき、自分の英語は、ほとんど役に立たなかった。

正直、英語ができなくても、生活はなんとかなる。
誰かに頼ればいいし、困れば助けてくれる人もいる。

でも、それだと、少しずつ取りこぼしてしまう。
ちょっとした会話を、「分からないから」で流してしまうこと。
楽しそうだと思ったことを、そのまま見送ってしまうこと。

家族で楽しむためにアメリカに来たはずなのに、出かけること自体が、少しずつストレスになっていく。
娘が「やりたい」と言ったことを、全力で叶えてあげられなくなる気がした。
このままじゃ、だめだ。

それから、娘が起きる前、毎朝5時に起きて英語に向き合うようになった。
Podcastを聞きながら洗濯をして、妻のお弁当を作る。
瞬間英作文やシャドーイングをして、そのあとオンライン英会話を受ける。

日中、実生活や英会話でうまく言えなかった一言を、あとでアプリに入れて何度も言い直す。

車では娘と一緒に英語の童謡を歌って、寝かしつけが終わったあとは、英語のマンガや本を少し読む。

これだけ頑張っても、6ヶ月経った今も、英語はうまくない。
発音も自信がないし、雑談で笑いを取ることなんてできない。

それでも、少しずつ出来ることは増えてきている。

先日、マンションの屋上で、子どもを連れたパパに声をかけられた。

「How old is she?」

一瞬だけ、あの公園のときの感覚がよぎった。
でも今度は、フリーズしないで、相手の目をしっかり見て、

「She is three years old. How old is your child?」

たどたどしいけど、しっかり返した。
相手は少し笑って、会話はそのまま続いた。

そのあと、もう一人のパパも加わって、3人で少しだけ雑談になった。
近所の美味しいレストランの話や、日本とアメリカの違いの話、病院の話なんかをした。
100%は聞き取れない。
それでも、会話の中に、自然と混ざることはできた。
娘も、そのパパの子どもと、当たり前みたいに一緒に遊んでいた。

今も英語ができるとは言えない。

でも、週末には家族で色々なところで遊べるし、外出することも怖くなくなった。

それだけで、この6ヶ月は意味があった。
あのときのように、何も言えずに立ち尽くすことは、もうないと思う。

帰任予定まであと1年半、これからも、英語で楽しめることを少しずつ増やしていきたい。

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