妻の駐在に帯同し主夫になった理由
33歳で10年勤めた会社を退職し、子どもと一緒に妻のアメリカ赴任へ帯同した理由
振り返ると、人生の大きな決断は、だいたい直感で決めてきました。
例えば大学受験。
必死に勉強し当時の第一志望に合格したのに、両親にお願いして1年浪人させてもらった。
というのも、受験直前に急に勉強のコツをつかみ、成績がぐっと伸びた。センター試験のリスニングが、日に日に解像度を増していく。
「もっと伸びる。もう1年挑戦したい」
そう思ってしまった。
1年浪人の末、想定以上の大学に合格した。
でも今思うと、日々成長していく実感や、勉強が楽しいと思えたことの方が大きかった気がする。
例えば大学生活。
フットサルをやりたかったのに、なぜかお笑いサークルで漫才やコントに打ち込んだ。
何となくもらったチラシ、暇で見に行った新歓ライブ。
隅っこの小さな教室、客席は10人もいない。電源のない形だけのスタンドマイク。
上半身裸で犬のぬいぐるみを持って登場する謎の男。内容はあまり覚えていないけど、この教室で自分もやりたい、と思ったことだけは覚えている。
今思うと、人前で何かを表現する難しさや、強烈な個性を持つ人たちと出会えたことは、自分にとってかなり大きな経験だった。
こんな感じで人生における様々な場面で、自分の感覚に従って行動してきた気がします。
後から理由を考えることはあっても、最初はいつも感覚でした。
今回もそうでした。
妻から2年間のアメリカ駐在の話を聞いたとき、
「家族みんなで一緒に暮らしたほうが、普通に楽しい」
直感的にそう思いました。
キャリアやお金のことなど、考えるべきことはたくさんあります。
それでも一番最初に浮かんだのは、家族一緒に楽しく過ごす時間でした。
そのために自分が主夫になるのが、一番しっくりくる。
そこに打算的な意味合いはなく、です。
ただ、会社を辞めて渡米するというのは、将来のキャリアや会社にも関わる大きな決断です。さすがに感覚だけで決めていい話ではない。
立ち止まって、ちゃんと考えたこともあります。
整理すると、考えていたポイントは大きく3つありました。
同じようなことで悩む人がいるかもしれないので、当時考えていたことを書いてみます。
① 妻のキャリア
② 娘との時間
③ 自分のキャリア
まず一つ目は、妻のキャリアです。
「いつか海外で暮らしてみたい」
結婚前から、妻がよく口にしていた言葉でした。
実は数年前にも、妻にアメリカ赴任の内示が出たことがあります。
しかしその当日、娘の妊娠が分かり、赴任は白紙になりました。
子どもができた喜びと、赴任ができなくなった悔しさが入り混じった表情。
生まれてくる子どものためにも、悔しいとは決して言わなかった妻。
だから今回、二度目のチャンスが巡ってきたとき、何よりも全力で応援したいと思いました。
二つ目は、娘との時間です。
当時、娘は2歳。
ドキンちゃんとコキンちゃんの違いを雄弁に語ったり、
ジャングルぐるぐるをドヤ顔で踊ったり、
小さいすべり台の頂上で怖くなって大号泣したり。
昨日できないことも今日できて。
今日のこと一生忘れないだろう、そんな瞬間が毎日あって。
小さい娘と家族で過ごす時間は、今しかない。
後からお金で買うことも、まとめて取り返すこともできない。
もちろん私が日本に残って、仕事を続けながら育児をする選択肢もありました。
ただ、仕事をしながらワンオペで育児をする。
正直、私のキャパシティではどちらも中途半端になる気がしていました。
実家も遠く、頼れる人もいない。
仕事や育児に疲れて、娘を全力で楽しませてあげられる自信がなかった。
それなら、この2年間は割り切って家族との時間を最優先にした生活をしてみたい。
2歳から4歳という、二度と戻らない時間を、家族で一緒に過ごしたいと思いました。
最後は、自分のキャリアです。
「男として恥ずかしくないのか」
「自分のキャリアはどうするんだ」
退職を伝えたとき、父にそう言われました。
かなり衝撃でした。
父はとても寡黙な人で、これまで私の決断に意見をしたことはほとんどありません。
どんな決断をしても、黙って見守ってくれていました。
その父が、初めてはっきりと反対した。
そして私は、何も言い返せませんでした。
父のほうが、私のキャリアを真剣に考えてくれていた。
「家族一緒が楽しい」という感覚だけで、決めていい話ではなかった。
人生で初めて、自分はどんなキャリアを歩みたいのかを真剣に考えました。
大学を卒業してから10年。
日本の大手メーカーで人事部門の仕事をしてきました。
仕事は充実していましたし、多くの経験をさせてもらいました。
この時間は、自分にとって確かな財産です。
駐在帯同の話がなければ、人事としてもっと経験を積んでいたと思います。
一方で、海外での生活や子育ては、これまで触れてこなかった価値観に出会える機会でもあります。
だからこそ、この2年間をただの停滞ではなく、これまでの経験を深め、新しい視点を得る時間にしたいと思いました。
英語力や資格といった目に見えるスキルに加えて、これまでの人事の経験や、主夫としての生活、そして異文化の中で子育てをしている経験。
そういったものを、自分なりの強みにしていく。世間では「ブランク」と呼ばれるこの期間を、自分をアップデートする挑戦にしたいと思っています。
また、家族帯同の補助制度もあり、少なくとも2年間は収入面でも現実的に生活できる見通しがありました。
こうした考えを父にも正直に話したところ、最終的には私の背中を押してくれました。
これが、駐在帯同を決断したときに考えていたことです。
実際にアメリカでの生活が始まってみると、家族で過ごせる時間の大切さや、異文化での暮らしや育児の大変さを日々感じています。
生活の中で日々感じたことを、これから色々と書いていきたいと思います。
