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【考察】:オイルショック1973 vs 2026——《前編》似て非なる二つの危機

2026年4月28日。

ホルムズ海峡が事実上の封鎖状態に入って66日目。出光興産の子会社が運航する大型原油タンカー「出光丸」が、封鎖下の海峡を静かに通過した。

しかし、これは封鎖解除ではない。
通過後もペルシャ湾内には41隻の日本関連船が足止めされたままだ。

スーパーの棚から納豆容器が消え始めた2026年の日本と、トイレットペーパーを奪い合った1973年の日本。
半世紀を隔てた二つの「石油の危機」は、表面上よく似ている。だが構造は、根本的に異なる。

何が同じで、何が違うのか。その問いに答えることが、今の危機を正確に理解する第一歩になる。

第一章:似ている風景、違う構造

まず、この比較表を見てほしい。

図1:【オイルショック1973 vs 2026の図解】
画像生成:Gemini

一目見ると、確かに似ている。
物価が上がり、国民が買い占めに走り、政府は後手に回る。半世紀経っても、人間の反応パターンは変わらないのかと苦笑したくなる。

だが、表の一番上の行に注目してほしい。

「危機の性質」——政治的意志による禁輸 vs 地理的・物理的封鎖


ここに、すべての違いの根源がある。

1973年、石油を止めたのは「人間の意志」だった。
OAPECがイスラエル支持国への禁輸を「決定」した。決定したということは、撤回もできる。
怒りが収まれば、あるいは十分な見返りがあれば、蛇口はまた開く。

2026年、海峡を閉じたのは「地理」だ。
イランが革命防衛隊を使い、ホルムズ海峡という物理的な水路を封鎖した。
地理は交渉で変えられない。
誰かの「決意」を翻させるだけでは、海峡は開かない。

これが、二つの危機の本質的な差だ。

第二章:物価高騰——「幹線封鎖」と「毛細血管の壊死」

1973年の狂乱物価は、わかりやすかった。

原油価格が約4倍に跳ね上がった。
ガソリンが上がり、電気代が上がり、輸送コストが上がった。
「石油が高くなった」という単純な因果関係が、物価全体を押し上げた。
消費者物価指数は1974年に23.2%上昇。
「狂乱物価」
という言葉が生まれたが、少なくとも原因はシンプルだった。

2026年は違う。

原油価格の高騰という「幹線」だけでなく、ナフサという中間財の供給網が複合的に崩壊している。

ナフサとは何か。

石油を精製する過程で生まれる中間素材で、プラスチック、合成繊維、包装材、食品容器、印刷インク——現代の経済を支えるほぼすべての製品の原料になる。

ここに日本固有の構造的な弱点がある。
日本は長年、原油からナフサを精製する工程を中東に委ね、精製済みのナフサを直接輸入する形に最適化されてきた。
コスト効率は高い。
だが裏を返せば、原油が入ってきても国内でナフサに精製できる設備が圧倒的に不足しているということだ。

【ナフサでできるモノ図解】
画像生成:Gemini

ホルムズが閉じた今、「原油なら代替ルートで調達できる」という話にならない。
精製設備がなければ、原油はただの黒い液体だ。

納豆の容器が消えるのは、納豆メーカーの問題ではない。
納豆を包むプラスチック容器の原料であるナフサが入ってこないからだ。
塩ビ管が不足すれば建設が止まる。包材が足りなければ食品が流通できない。

1973年が「幹線道路の封鎖」なら、2026年は「毛細血管の壊死」だ。
痛みが見えにくく、じわじわと、しかし確実に経済の末端から機能を奪っていく。

新たな「毛細血管」:デジタル資源の枯渇

1973年、石油が止まって困ったのは、車を走らせることと、部屋を暖めることだった。

2026年、私たちはもっと深刻な「見えない毛細血管」の壊死に直面している。
「計算資源(コンピューティング・パワー)」の枯渇だ。

日本の物流、在庫管理、そして金融決済の裏側では、膨大な数のサーバーが24時間稼働している。
しかし、電力供給が逼迫し、データセンターに給電制限がかかった瞬間、これら「現代の脳」は機能を減退させる。

  • アルゴリズムの停滞: 効率化の極致だったAIによる配送ルート最適化が止まり、トラックは空荷で走り、物流はさらに目詰まりを起こす。

  • クラウドの優先順位: 娯楽やSNSの帯域が制限され、代わりに「行政・医療の最低限の維持」にリソースが回される。

    1. 1973年はトイレットペーパーという「物質」を奪い合ったが、2026年は「つながる権利」と「情報の正確性」というデジタル資源を奪い合うことになる。

心理的背景の差:ハングリーな買い占め vs 絶望的な蓄え

この二つの危機において、国民の動きを決定的に分けているのは「未来への期待値」の差だ。

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1973年の買い占めは、どこか「祭り」のような熱狂を帯びていた。
まだ成長の余力があり、危機を乗り越えれば元の豊かさが戻ると信じていたからだ。

しかし2026年の買い占めは、静かで、冷徹だ。

「もう二度と手に入らないかもしれない」という、デフレで冷え切ったマインドが、消費者の財布の紐を締め、同時に特定の物資への異常な執着を生む。

市場がテーマ株に過剰に反応するのも、この「もうここしか逃げ場がない」という、追い詰められた個人投資家の「消去法的な熱狂」が燃料になっているのではないか。


第三章:株価——なぜ今回は「危機がバブルを生む」のか


1973年、オイルショックは株式市場を直撃した

日経平均は1973年1月の高値5,359円から、1974年10月には3,355円まで約37%暴落した。企業のコストが跳ね上がり、収益が悪化し、投資家は逃げた。「危機=株安」という単純な方程式が成立していた。

2026年は、その方程式が壊れた。

日経平均は当初こそ急落相場があったが、乱高下しながらも、特定セクターが爆発的に上昇している。
防衛関連、エネルギー転換、ドローン——
危機そのものがテーマ株の燃料になっているのだ。

なぜこんなことが起きるのか?

「危機の受益者」が可視化された時代

1973年は、オイルショックの恩恵を受ける産業が存在しなかった。
石油が止まれば全員が困る、ゼロサムの世界だった。

2026年は違う。
ホルムズ封鎖が長引けば長引くほど——

水素・LNG・原子力関連株などは代替エネルギーへの期待で上がる。
防衛関連株はドローン迎撃需要で上がる。
国内回帰・サプライチェーン再構築関連株は供給網見直しの波で上がる。

危機が「投資テーマ」に変換される速度が、1973年とは比較にならないほど速い
情報が瞬時に世界を駆け巡り、資金が瞬時にテーマへと集中する。

バブルの温度感

テラドローンは危機の初期段階で注目を集め、その後1万円を超える水準まで上昇した。
AI関連株や電線インフラ株も継続的な買いを集めている。
2026年5月7日には日経平均62000円以上の新高値を更新する狂乱相場が訪れている。
もしものナフサ供給不足に陥った時に発生する実体経済へのダメージなど眼中にないくらいの強気相場だ。

ただし、ここには罠があるかもしれない。

「危機が長引く」という前提で買われたテーマ株は、危機が終わった瞬間に逆回転する。
1973年は危機が終われば全員が助かった。
皮肉なことに、2026年は危機が終われば、危機で儲けた投資家が損をする。

けっして煽るわけではないが、出口のタイミングを誤れば、危機の終わりが個人投資家にとっての「第二のショック」になりかねない。

第四章:政府の初動——角栄の速度 vs 現代

図1の比較表の「政府の初動」の行が、最も皮肉が効いている。

左:角栄が1ヶ月で外交転換。
右:「4ヶ月分確保」の繰り返し。

角栄の初動は驚くほど速かった。

1973年10月に禁輸が発動されると、同月中に政策転換の検討を開始。
11月には「イスラエル占領地からの撤退を求める」声明を閣議決定。
12月には三木武夫を特使として中東8カ国に派遣した。
経済的ダメージが数字として表れる前に、すでに動いていた。

1973のオイルショックが起きた原因図
画像生成:Gemini

なぜそんなに速く動けたのか。

答えは単純で、「相手が誰か」がわかっていたからだ。OAPECという組織が、政治的意志で禁輸を決めた。
ならば、その意志を変えればいい。
角栄はキッシンジャーとの摩擦を恐れずに「日本はイスラエルを支持しない」と宣言し、相手の渇望——
国際的な正当性と承認——
に応えた。

2026年は、「相手が誰か」が定まっていない。

最高指導者が死亡し、指揮命令系統が不透明なイランと、誰が、何を交渉すれば封鎖が解けるのか。
外交の前提条件である「交渉相手」が存在しない状況で、政府にできることは限られる。
「4ヶ月分確保している」という言葉は、無策ではなく、構造的な手詰まりの表明でもある。

角栄が速かったのは、彼が優れていたからだけではない。1973年の危機が「速く動けば解決できる構造」だったからでもある。

画像生成:Gemini

まとめ


1973年のオイルショックと現在進行していうる事象とは、似ているようで、根本が違う。

物価高騰は今回の方が見えにくく、深く、長引く可能性がある。
株価は危機をバブルの燃料に変えた——
しかし出口を誤れば第二のショックが待っている。
政府の初動の差は、個人の能力の差だけではなく、危機の構造の差でもある。

そして、なぜ「出光丸だけが通れたのか」——
その問いへの答えは、半世紀前の一人の企業家の決断に遡る。

1953年、出光佐三はイギリス海軍の封鎖を突き破り、タンカー「日章丸」をイランへ送り込んだ。その決断が73年後に「1隻の通過許可」として返ってきた。

外交でも軍事でもない。民間企業の信頼の蓄積が、公式な危機管理の教科書には載らない形で機能した——その物語は、後編で。



《後編へつづく》






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参考文献

本記事の記述にあたり、背景知識や事実関係の参照とした主な資料は以下の通りです。

出光興産社史・日章丸事件関連資料(Wikipedia、各社史料)

1973年第一次オイルショック関連:ENEOS石油便覧、Wikipedia、現代ビジネス

狂乱物価・消費者物価指数:総務省統計局、Wikipedia

2026年ホルムズ危機関連:時事通信、日本経済新聞、ブルームバーグ、ロイター

ナフサ・石油化学サプライチェーン関連:経済産業省資料、各業界団体資料

ペトロダラー体制関連:各経済史資料

免責事項

本稿を公開するにあたり、以下の点をご承知おきください。

本記事は歴史的事実と現在進行中の情勢分析に基づき、筆者独自の視点で構成・執筆した「歴史考察」および「評論」です。一部に筆者の主観的解釈が含まれますが、特定の政治的立場を支持・宣伝するものではありません。

現在進行中の情勢については執筆時点(2026年5月)の情報に基づいており、状況は刻々と変化しています。その正確性や完全性を永続的に保証するものではありません。

本記事の内容を引用・利用したことによって生じたいかなる損害やトラブルについても、筆者は一切の責任を負いかねます。

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