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自分という聖域を守る結界が破られないために、使えるものは何でも使う

マッサージの仕事をしていると、よく聞かれる問いの一つに「お客さんから変な気をもらっちゃうことはないのか」というものがある。セラピストの数だけ答えがありそうな気がするが、私はこれまで一度もない。お客さんから怒鳴られて吐いたことはあるけども、お客さんの体に触れた後、体調が悪化した経験はない。

人間、体験したことは信じられないもので「私、お客さんから変な気をもらっちゃうの・・」というセラピストのことはあまり信じていなかった。そんな強力な感染症、聞いたこともないわ。考えすぎちゃうのん。

長い間そんな風に考えていたのだが、セラピストになって数年経ったある日。実家の裏側にゴミを投げ捨てられるということが相次いで起きていた。

最初はタバコ、その後はペットボトル、コンビニのプラスチックゴミ。当初は黙って処理していたのだが、ある日パンクした自転車が投げ込まれていた時は「はああ!?」と声が出た。

父と同級生で顔馴染みの近所の自転車屋さんが見るにみかねて引き取ってくれたのだが、普段は温厚な自分もこの時ばかりは「人の家を何だと思ってるんだ!」と鬼のような形相をしていたと思う。

そんな家の庭への不法投棄に悩んでいた時、旅行カバンを整理していたら、あるものがカバンから出てきた。それは、ずっと前に淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮に参拝した際に頂いた砂だった。神社では正式参拝すると、お返しにお塩やお神酒をくれるところがあるが、数年前に淡路島の神社を訪れた際にお清めの砂をもらっていたのだった。

当時の自分はあまり目に見えないものを信じるタイプではなかったのだが、溺れるものは藁をも掴む心境だったのか、白くて厚い立派な紙に包まれた砂をうやうやしく取り出し、家の裏にまいてみた。するとその後、実家へのゴミの不法投棄がパッタリ止まった。たまたまかもしれないが、感謝の気持ちより先に「す、すごい・・」と目に見えぬ神仏の力に圧倒されたのを覚えている。

そうしたこともあってか、次第に目に見えないものへの関心が少しずつ強くなっていった。

マッサージの施術をするセラピールームでは、お客さんが10人とか予約がパツンパツンな日でも、必ず入れ替わりの際に換気をするようになった。お清めにはまって「やっぱりホワイトセージを焚いてみたいなー」とか思うようにもなるのだが、サロン内は火器厳禁だったので夢に終わる。

自宅サロンをしていたときは盛り塩をして、お客さんが帰った後は全ての窓を開け音叉を鳴らし、日本酒をほんの少し入れた水で床拭きをしたりした。招かれざる客というのはある日するりと境界線を超えてくることを、不法投棄の一件から学んだ気がしたのだ。

元々穢れとは汚いことではなく、気が枯れていることを指す。どんな真面目な人間でも魔がさす瞬間というのがあるように、エネルギーが落ちているとき、人は結構簡単にやられてしまうものだ。最近の心の世界ではバウンダリーといって、他人との関係の中で自分の境界線を守ることを勧めていたりするが、これも自分という大切な聖域を守るために大事な考え方である。

邪気を払うのに本来必要なのは覇気であるが、いつも覇王色を出すわけにもいかない。大切なのは自分の結界が弱くなるのはどのタイミングなのかを見極め、その時期への対策を持つことのように思う。

元々節分は冬から春に季節が移り変わる時、この世とあの世の境界線が薄くなって魔物が入り込みやすいことから、豆や鰯の頭で魔を祓うという意味合いがあった。
伊勢神宮と出雲大社という日本を代表する二つの神社は、実は都(平安京)を守るための結界として位置していた、という説もある。

常時自分一人で頑張り続けるより、塩なりお神酒なりを使って、時に目に見えない力を借りるのもアリなのではないか。と、かつての鈍感セラピストは思っていたりする。


















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小澤仁美 最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。